マガジンのカバー画像

words storage [コトバのオキバ]

138
ボクのつぶやき
運営しているクリエイター

記事一覧

何かを始めることが怖いという感覚はいまだにある

昔はそんなのばっかりだったし,足踏みをすることで逃げようとしていたことが多い

でも本当にやりたいことややるべきでないことなど,自分が行きたい方向がわかっていれさえすれば,あとはすぐに決めるだけだ

即決・即行動をし続けるしかない

自分らしさを追求しようとすると,あまりにも多くのコトが必要だ

自分のことを分かれば分かるほどそうなるのかもしれない

ただ,本当に心の底から自分に納得できるようになれば,必要以上のコトを求めなくなるのかもしれない

余裕をもつために常にギリギリを突破し攻め続けるべきなんだろう

決定的な尖った強みを,いつも自分の中にないかと探してはそんなもの妄想でしかないと痛感するやりとりをこれまでの人生で幾度となくしてきた

ないものはない,とはっきりと言語化し諦めるという終焉は今考えてみればごく自然で合理的なことだった

事実だけを直視し,今の自分で等身大の解釈を

価値観は異なれば異なるほど,自分の成長にとって歓迎できるものなのだと思う

と言っても,異なる経験や異なる課題を乗り越えてきてその人を形成してきたものがあるということ,それらをお互いにリスペクトできるマインドを持っているという前提が必要になる

お互いを認識する共通言語なるものが

全員が他者全員に等しい愛を与えるなんてできない

そう考えると,虚しいような感じもするが人間の不完全さに思いを馳せると自然だし少しの理不尽があっても許せるような心持ちになる気がする

誰かの優しさを感じたら,表面だけでなく,その気持ちが湧き上がった理由を知ろうとする人間になりたい

瞑想がなんとなくいい感じらしい,という話を聞いて以降,5分間ずつであるができる限り毎日起床後・就寝前に行う習慣ができ約1ヶ月半が経過した

明確な大きい成果はまだ感じるには至っていないが,内観の浸透率が高まっている感じはある

自分の思考が何に偏りどう流れているのかをより知ろう

正直,自分と向き合うことを放棄したくなる気持ちが芽生える時があるが,そんな時はそのような気持ちを味わうことができてよかったと思うようにしている

その時の気持ちがどこからもたされて,どこにいきたくて,という率直な内なる自分を知ることができるきっかけに違いないと思えるからだ

豊かに一人で生きていこうとすると,一人で生きようとしないことが必要なのでないかと考えることがよくある

豊かにというのが個人によって定義が異なるのはもちろんだけれど,依存先を最適化するという言い方がしっくりくるのかもしれない

目的と手段を混ぜっ返さないような認識も必要なんだ

「自分の居場所なんてそう簡単に見つからない」

とある映画でこんな台詞があった

そうだよな,と素直に共感した気持ちがある一方で,本当にそうなのだろうかという疑問も湧き出た

どちらが正しいかを議論をしたいわけでなく,世界がどう映って見えるのかと環境要因次第なのではないかと思う

いつだって自分が選ぶんだということを忘れないようにしたい

認めさせるとか偉ぶるということでなく,自分の人生の課題や優先事項に沿って主体的に選択をしていくということ

ただ他人の人生や組織の選択に流されて下流で生きていくのでなく,流れが始まるのはどこからなのかを見極める必要がある

「ねぇ,聞いて!」という言葉にときめくことがある

あなたに聞いてほしいんだ,というエネルギーが溢れていることを感じると尚更愛おしく思える

誰にでも聞いてほしいのでなく,今この瞬間にあなたに聞いてほしいことがある

それだけで,日々を幸せに感じることができる気がする

自分が自分のことをネガティブに捉えてウジウジしていることを意外と他人は気にしていない

そのことは逆もまた然りで,僕はそのことを他人を認め合うことができる重要な鍵だと思う

どうか,自分を否定し傷つけてしまう人がいたらそれをそのままにしておかず,肯定的になれますように

生きることに慣れすぎてはいけないのだと考えるようになった最近

求めたいことがあるのならば,コンフォートゾーン(快適領域)でなく,ラーニングゾーン(学習領域)に身も心もおく必要性が高い

結局,自分がどこに行きたくて,その瞬間にどこにいるべきなのかを認識することが大切だと知った

続)怒鳴るという行為で,自らの度量の無さを曝け出しているのだと思う

しかもそれに無意識である上,感情をコントロールできていないということも同時に表してしまっているし,全ての非を相手に押し付けてしまっている,本当に愚かな行為としか思えない

アンガーマネジメントの必要性だよな