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ジョー・ライト「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」

125分ゲイリー・オールドマン、圧巻の独壇場。
声を震わせ目をちらつかせ、身体を揺らして喉を鳴らす。文字通り一心同体となった辻一弘の特殊メイクを血肉にした全身全霊のチャーチル像が、恐ろしく、憎たらしく、勇ましく、しかし惨たらしくもいじらしく、また痛ましく虚しく、されども誰よりも果敢に、悠然として、見たことのないはずの「チャーチル」の実像を信じさせる。
まるでゲイリー・オールドマンという多芸かつ多面的な俳優がこれまで演じてきた様々な人物像がそれぞれのシーンにフッと顔を覗かせるように、ゲイリーはまさしく人間チャーチルの姿を俳優オールドマンの身体を通して、魂を賭して、実在させている。
もはや誰もが言うだろうが、そんな様々な側面を見せたチャーチル=ゲイリー・オールドマンが最後の最後に見せるスピーチの鬼気迫る演技は、「ダンケルク」で皮肉的にも扱われながら、まさしく史実が史実を越え、演技が演技を越えて一人の人間が苦闘と苦悩の末に導き出した全人類共通の真実たる権利を守るための「橋頭堡」であるかのごとく激しく胸を打つ。
その「答え」を導き出すためのそれまでの長く、暗い120分は、まさに原題「Darkest Hour」が指し示すものを体現するように褪せた色調と濃い陰影に支配された作品テイストに覆われ、チャーチルが歩く地下道はまるで出口のないトンネルのように彼が、イギリスが立たされた行き先のわからない岐路そのものを象徴するようでさえある。
まるでアンジェイ・ワイダ作品のようにジョー・ライトの映像感覚には1940年ロンドンの厳密なリアリズムとチャーチルの心理を浮き彫りにする表現主義とがモザイクのように織り混ぜられ、私としてのチャーチル、公としてのイギリス、その両面から首相就任からダイナモ作戦発令に至る短くもあまりに長い重大な時間そのものを一つの映画にしている。
確かに地下鉄のシーンはドラマティカルに過ぎ、リアリスティックに進行していた作品の流れからじゃっかん逸脱していた感覚は否めない。しかしそれさえも、作り手が現代にチャーチルを通して何を伝えたかったのか、そのポピリズムではない真に民主主義的な人間の意志と発言による政治、そのものを考えさせるものとして非常に興味深く映る(あるいは何故チャーチルがその決断を出来たか、脚本的な苦肉の策でもあったかもしれないが)。
議論の応酬が繰り広げられる議場は冒頭のチェンバレン糾弾から沈み込むような暗さに覆われ、窓から差す陽光がよりいっそうその陰影を濃くするようである。地下道を行ったり来たりしていたチャーチルは、地下鉄で民衆の意志を知り、降りるべき駅に揚々と足を下ろす。そして意気を取り戻したチャーチルはスピーチのために議場に立つ。
議会の真ん中には窓から漏れる陽光が差し込み、果敢なるスピーチを披露するチャーチルを燦然と照らし、冒頭チェンバレンを罵る野党党首が影のなか言葉を放っていたのとコントラストを見せる。そしてスピーチが終わるとともにカメラはゆっくり持ち上がりその光の差す方へとズームしていく。
ファシズムの「闇」に迷っていたチャーチルが「人々」から降りるべき「駅」を教えられ、それを「議会」で訴える。それこそが「光」であることを描ききるように、ジョー・ライトの演出は単刀直入にして大胆にもあまりに力強く単純明快である。
トランプの時代へ、彼はこれこそが民主主義であるのだと突き付ける。執念の力作であろう。

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