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鵜戸神宮と飫肥城下町 宮崎紀行前編 ウガヤフキアエズ王朝とは何か!?

先月からウガヤフキアエズが気になりだした。
多くの人にとって何それ!?という名前かも知れないけれど、日本書紀にて、かの有名な神武天皇の父親に当たる。わが町鹿屋にはその墓、吾平山稜があり宮崎県日南市にある鵜戸神宮が生誕の地とされるところだ。
10月15日、天気予報は雨マークだったが、起きたら爽やかな秋晴れ!
週末、天気が悪くて伸ばし伸ばしになっていた宮崎紀行、行くぞ!!

朝ごはんを食べたあと、外を眺めると綺麗に晴れていた。妻も休みだったので雨だから霧島の温泉にと思っていたが予定変更、「晴れたよ、宮崎行くよ!すぐ行くよ!!」と、妻を急かしながら車に乗り込む。


鹿児島県志布志市夏井の海
神様に愛されたかのような
まばゆい光が広がっていた。

宮崎東岸に行くには自動車専用道路に乗り志布志インターで降りる。そして海沿いをひた走り宮崎串間市を抜け日南市に着く。
鹿屋のインターから2時間半の行程だ。


パーキングから鵜戸神宮の入口の櫓を眺めると
屋根瓦が台風14号の被害を受けたままになっていた。


ここから一時間車を北上させればかの有名な
青島神宮。
下の方の都井岬には野生の馬が群れで生息する、
今回の日帰り旅行は
⑫鵜戸神宮と左手⑪飫肥城下町のみ。


本殿までは海沿いを暫く歩く。
見渡す限りの太平洋。


参道に飾られる兎の置物。兎は鵜戸神宮のシンボル。


波しぶきが立つと太陽の光と混じり合って
世界が白っぽく見えた。


波が作る奇岩の横、本殿は洞窟内にある。


泡立たつ波と奇岩が異世界へと導いていく。
海と大地の壮大なエネルギーのぶつかり合い。


手水舎。花が散りばめられていた。


ウガヤフキアエズが祀られる本殿。



漢字にするとこのような字になる。


本殿裏もぐるりと回ることが出来る。
ウガフヤキアエズの母
玉依姫が授乳したと言われる。
お乳岩が並ぶ。



兎の由来。


わが町にもあるウガヤフキアエズの墓
吾平山稜がこの鵜戸神宮内にもあった。


この他にも吾平山稜は高千穂にもあったりと幾つかあるのだが、明治維新後薩摩藩によって鹿屋の吾平山稜がウガフヤキアエズの墓であると認定された。
さて、何故、この神の墓は幾つもあるのか。
ぼくは、ぼたんさんの竹内文書noteでウガヤフキアエズ王朝というものがあったという事を知った。


その後、ネットで調べてみると・・・
なんと大分に(飛騨、富山という説もある)ウガヤフキアエズ王朝があったという。

ウガヤフキアエズは一人の神ではなく
何代にも渡る王朝・・・

古事記、日本書紀では

瓊瓊杵尊→彦火火出見尊→ウガヤフキアエズ→神武なのだが

偽書とされる上記(ウエツフミ)、竹内文書、宮下文書等にはウガヤフキアエズ王朝として存在し、うえつ文によると第一代ウガヤフキアエズ〜神武天皇までなんと74代もの王がいて、それは大分を中心とする王朝であったというのだ。

しほりさんは古代史に詳しく、ぼくが鵜戸神宮に行こうと決めたあとこの記事を投稿してくれた。
(勿論、ぼくのためではない)

記事中に出てくるしほりさんのお知り合いのブログが

わ、わ、わ、わ、わw⁠(⁠°⁠o⁠°⁠)⁠w

というほどに詳しいので、
興味のある方はこちらもご覧ください。↓


ぼくからすると古事記、日本書紀こそが当時の為政者藤原氏の都合にて作られた偽書である。


日本書紀の系図は古代イスラエルの系図を当てはめたという説もある。詳しくはぼくの過去記事をどうぞ↓

勿論、日本書紀の全てが偽り創作ではなく当時の周知の事実を記載している部分もあるだろうし、そういう土台から創作しているものもあるだろう。逆に偽書とされている竹内文書や宮下文書、上記(ウエツフミ)にも事実と創作が織り交ぜられている可能性もある。

いろんなブログを見てみたがウガヤフキアエズ王朝は太古、大分を中心とし、飛騨や富山、出雲等にあった縄文の王国の緩やかなネットワークだったのではないか。
それが倭国大乱と呼ばれる乱で崩れその後、ヤマト政権が誕生した・・・
藤原氏はそのことを隠し、一人の神の中に王朝を封印した。。。
大体、名前に当てられてる漢字が動物だったり不という否定系の漢字が当てられてたり、動物系の漢字はやはり蝦夷、縄文人を連想させる。

鸕鶿草葺不合尊。。。



さてと、幾ら思索を巡らせても
答えは出ないので、カフェで一休み♪♪


10月に入ってから寒く感じるような日が続いていたがこの日は10月半ばにしてはとても暑く
頭も熱くなってしまったので
鵜戸神宮入り口にあるカフェで一休み。
社会的距離とやらでやたら席数少なめ。
居心地はとても良かったけどね♪


聖地巡りをすると
何故かソフトクリームを食べたくなる。
日向夏ソフトクリーム。
美味しゅうございました✨


カフェとお土産販売所が併設されている。
飫肥杉の食器。


さて、次回は江戸の風情が残る飫肥城下町へ!
古代妄想(誇大妄想!?)はありません😆




下はわが町鹿屋の吾平山稜。
春になると川沿いの参道には
桜が咲き乱れて綺麗です。
このような岩の墓は珍しいそうな。

ウガヤ朝何代目の王が眠るのか。。。
まだまだウガヤ朝の事は探求していきたい!


ご一読ありがとうございました!

以上です!


ナマステ✨


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