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陰・陽・中庸💫ワンネス💫とは何か!?


最近、noteにてワンネス、陰陽、中庸について記事で読んだりコメント欄で語ったりということがあったので、もう一度、記事にしながらそのあたりのことを考えてみたいと思う。

ぼくが全ては一つで、様々なものは見える世界でも見えない世界でも繋がっていると感じはじめたのは20代の頃、有機農業研修生をしていてその時の土の中の菌や微生物の繋がりを知ったり、感じたり、また、その頃読んだ宮崎駿のナウシカの影響も受けている。聖なる予言をはじめとするスピリチュアル関連の本なんかも読んだりで世界は別れているけど一つなんだなという考え方を理解し始め感じだしていた。

今、読み途中だけど「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」(奥野克己著)という本を読んでいてその本ではボルネオの森で狩猟採集で暮らすプナンが出てくる。

彼らプナンの行動様式や言葉のコミュニケーションを見ているとワンネスに近いなと、思う。

彼らは個人的に反省することはなくありがとうやごめんなさいも言わない。それは個の区分けが希薄だからそういうことが起きてくる。物の所有も殆どせず、集落に来た新しい物品や狩猟の獲物、採集した果実等も集落の人々の間でまわっていくエネルギーとして扱われる。

彼らは物質的にも精神的にも森と一つの共同体となっている。勿論、そこにはワンネスという言葉もない。

ということを考えると、ワンネスという言葉が今もてはやされ人々が意識しようといているのは狩猟から農耕へと人類の生活様式が変わり、文明がどんどん大きくなり、食料の所有が金品の所有へと進み、それがさらに紙幣になり、今やデジタルになろうとしてるこの世界で個の細分化が益々進んでいるがゆえに、揺り戻し的にワンネスという言葉が溢れ出てきているように感じる。

ぼくはワンネスという言葉はコ口ナ禍が始まってから始めたこのnoteで知った。
その前までは宮崎駿のナウシカに出てくる「個にして全 全にして個」またはヨガで「真我と自我を統合し宇宙と一つになった状態。」気功の本では「全一」という言葉で語られていた。
または、若い頃読んだスピリチュアル系のインディアンの本ではグレートサムシングがそれに当たるのかもしれない。

ぼくが常日頃行っているヨガの考えでは
一人の個人が宇宙と一つとなるためには、
心身のバランスがまず整わないとならないと教えられている。

ヨガの聖典によるとこの世界はプラーナというエネルギーで成り立ち、そのプラーナは3つのグナで成り立っている。

ラジャス(激性)

タマス(怠性)

サットゥヴァ(純性)


個としての体内のプラーナをサットゥヴァに整える事が出来た時、ヨギー達が目指すところのサマーディ(三昧)へと進みそれが更に深まるとニルビージャサマディー、自我と真我の合一が起こる。それは宇宙との合一に等しくそこでもって言葉としてのワンネスではなく存在としてワンネスが実現される。




これだとわかりにくいのでわかりやすく日本人に馴染みがあるように言い直すと、ラジャス・タマスは陰陽に置き換えられ、サットゥヴァは中庸に置き換えることが出来る。プラーナは単純にエネルギーと置き換える。

個としての陰陽のエネルギーが整えられ中庸を実現したときこそ、ワンネスを感じられるのではないか。

ただ個のエネルギーが乱れに乱れていれば、中庸からのワンネスは実現できないように
その合一の相手である世界が、宇宙が乱れに乱れていれば、幾ら個が中庸になってもワンネスは実現できないのではないかと思う。
または、乱れに乱れた世の中で真にエネルギーを中庸にすることすら非常に難しい事のように思える。


支配者はスピリチュアルを利用する


今の時代、文明が発達し極限まで近づいているように思われる時代においてこの世界の支配者達はそのままの自分達の権益、資産、立場を保ったまま乗り越えようとしているように見える。
ぼくはワンネスを語るブログやnoteの記事を目にする度に、多少の違和感を感じてきた。

それは支配者も自分たちと元は同じだから、何をやってても許されるという考えだ。


なぜそこに違和感を感じるのかと言えば、それを野放図にしていれば陰陽のエネルギーは整わず、世界が中庸に導かれることはなく、個人も彼らの施策に振り回され、自らを整えるのが難しい世の中となってしまっているように感じる。

彼らはあらとあらゆる手段を使って分断を進めている。食料、水、生活必需品の中に有害な化学物質を混ぜ込み、病気や精神疾患、発達障害を作り出す。さらにはからだの潜在意識と脳の顕在意識を分け個人の意識をも仮想空間の中に閉じ込めてしまおうとしている。

また、古くはローマ帝国、イエズス会等から続く彼らの家系は宗教や精神性、瞑想、スピリチュアルにも精通している。

ぼくはワンネスという言葉を利用して自分達のしている事を正当化しているのではないかと疑っている。

それでもぼくは個と世界の中庸を目指すのがこのぼくの人生の道だと思うし、
自分の感覚を信じて
人間の本質である光が照らす道を信じて
進んでいくしかない


長い人類の歴史の中でバランスが崩れているときもあれば、バランスが取れているときもあった。
陰陽の激しいせめぎあい、大きな偏りから生まれる超自然的な事象。そこに人々は神を見て神話を産み畏れ奉った。
稀に現れた中庸の世界に人々は仏性を見出した。
現代のスピリチュアリズムもそのエネルギーの流れに物語や登場人物を与えているのだと思う。


中庸を目指すのにぼくはヨガや瞑想という手段を取っているが、道は一つではない。
様々な道がある。

例えば、長く体調不良に苦しんでいたびわの葉療法の魔術師のりたん🌸(のりこさん。アイコンもいつの間にかギャルだるまに😆)は無理をせず自分が氣持ちが良いと感じる方向へ進んでいき心身が真ん中に整った。

こちらは更年期を乗り越え月から太陽になったクリスタルボールヒーラーのkaloさん。ワンネスを超えさらなる次元へ上昇中!?(女性が月で太陽なら男はその間を漂う風と雲と自分にインスピレーションが降りてきた。。。)

(風と雲、だから風雲児っていうんだなという悟りもヒラメイタ💫)


畑や田んぼをやるもよし。自然の中に入るのも。
アート活動に集中することも良い。音楽もスポーツも。
不食の道を歩むのも。自然と中庸な人も稀にいる。そういう人は既にワンネス体験しているのかもしれない。扉はどこにでもあるのかもしれない。

また、あくまでこの記事に書いた事は正解ではなくぼく自身の個人的な感覚。
自分はこの考えに沿って生きているというだけなので、各々の答えを導き出してもらえたらと思う。自分と考えの違う方、自分の考えに同調出来ないという方も沢山いると思うけど、全ては陰陽中庸のエネルギーの流れの中の出来事だと思っている。

最後にイメージで書いてみました。


曼荼羅図みたいに描けたら
かっこいいんですが~💦
これで精一杯でした〜💦💦💦
保育園児くらいの絵みたいって
突っ込まれそうですねー😂
陽、陰に傾いた世界は
もっと球体も崩れていると思います。
ワンネス世界はもっと囲いがなく
限りなく広がっていくイメージで。
(そう思うなら書き直しなさい〜、
って言われそうですね😂)


😂(自分の絵にウケています🤣)


あと、もう一個!上で紹介したkaloさん、鳥取県で11月頭に行われる『イトナミ大山藝術祭』にクリスタルボールの演奏で出演されるそう。
お近くの方は是非!(kaloさんの登場は10月30日、お祭りじたいは10月29日から11月13日まで。)

なんと、こちらのイトナミ芸術祭、自分が風でも雲でもなくストレイシープだった頃(神奈川時代)、お世話になった絵描きの《wor un notiw》アキコさんも参加とのこと!wor un notiw、アイヌ語で水の星という意味です。


もう随分ご無沙汰になってしまったアキコさんだが、パートナーのノブヤさんとともに
夫婦二人で弟のようにかわいがってくれた。
2年ほど前に久しぶりにサイトを覗いたら
ノブヤさんは亡くなられていた🙏


何日かかけて書いてきたけど、思考があちらこちらに飛んじゃいました。ようやく結論。↓


人それぞれの魂の世界、
無意識の世界はワンネスという言葉で語られる世界で繋がり一つとなっている。
善悪二元論で生きていても
現代スピリチュアリズム的なワンネスで生きていても
ぼくはそれは陰陽中庸のエネルギーの流れの中で、それぞれのポジションに立っていると思っている。
だから、生き方に正解はないし
道は一つではないとも思う。

あなたがどのポジションにつくか
どんな生き方をするかは
あなたの魂の響きに
耳を傾ければ
自ずと答えは出てくる。




以上です!

ナマス・テ《あなたの中にある光に敬意を称します。》✨





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