ゆうこ

東京生まれ。いまは四国。働いています。

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マガジン

  • あばらぐらむ

    読んだ本の感想をかきます。

最近の記事

ここはわたしの居場所。

休みを取って、2か月半ぶりに実家へと帰った。この春から、わたしは四国内の職場に配属されている。 私が乗る東京ゆきの飛行機は1時間ほど遅れた。暇をつぶすために、本を一冊買った。伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」。ある一説に胸がバクバクと鳴った。 ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時にこそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。 (『ヨーロッパ退屈日記』伊丹十三:新潮社) 

    • 歯ぎしりが教えてくれる人生のこと

      「歯ぎしりひどいんじゃないですか?」就職で忙しくなる前にと、親に勧められて5年ぶりに訪れた歯医者でそう言われた。自覚症状もなく、家族からも友達からも「歯ぎしりしている」なんて言われたことはなかった。 でも、思い返してみると歯を食いしばっている自覚はあった。歩いているとき、映画を見るとき、本を読むとき、知らず知らずのうちに顎に力が入っている。それに気が付いて顎を緩めると、耳の付け根のあたりがひどく疲れた感じになる。そしてそもそも、みんな普段から歯を食いしばって生きていると思っ

      • さよならイオンつくば駅前店。

        なじみの大型スーパーが、1月末をもって営業終了した。約30年前、万博の開催とともに意気揚々と開店した(と思われる)スーパーは、ここ数年でさらにすすんだ開発による郊外化と、車で行ける場所に新たな商業施設が立ったことで急激に売り上げを減らし、ついに先月末に閉店となった。 その最終日、友達とする鍋の買い出しで、私はスーパーを訪れた。 1月末日の営業最終日。日もすっかり落ちた18時半ごろ。閉店が決まってから、スーパーでは連日、閉店セールが行われていた。家電や自転車なんかも安売りし

        • まだ、とちゅうだけど。『モディリアーニにお願い』

          相澤いくえ作の漫画「モディリアーニにお願い」を読んだ。道を歩く人の隣に、ずっと寄り添ってくれる作品だと思った。私の隣でともに悩んで悔しくなって、一緒に笑ってくれる。そういうお話だ。 あらすじ東北にある、バカでも入れる小さな美大。 山の中にあって女子がほとんどの学校である。 壁画の千葉と、日本画の本吉と、洋画の藤本は、 同学年の気の合う仲間。 冬の寒さも、制作の厳しさも、学生の楽しさも、 将来への不安も分かち合いながら、共に過ごしている。 真剣に創作をしながら。 道の途中に

        ここはわたしの居場所。

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        • あばらぐらむ
          7本

        記事

          全部、ゆるされたような気がした。「永い言い訳」

          2016年公開の映画「永い言い訳」は、一貫した自分なんてどこにもいないということを、色濃く、だけど柔らかく描いた映画だった。 あらすじ本木雅弘演じる衣笠幸夫は、妻がバス事故で亡くなった時、愛人と会っていた。その後、一滴も涙を流せないまま、同じ事故でなくなった妻の親友、竹原ピストル演じる大宮陽一と、その子どもたちと過ごすようになり、変化が訪れる。 誰もが抱える矛盾劇中の幸夫を、ほんとうにどうしようもないやつだと片づけることは簡単にできる。冒頭から、奥さんがスキー旅行に出かけ

          全部、ゆるされたような気がした。「永い言い訳」

          今までとこれからが混ざり合う場所

          昨年の秋ごろ、縁があって知的障碍者の子どもたちが通う特別支援学校を訪れた。そのとき、障碍×テクノロジーについて見てきたことと、それからずっと考えてきたことを書きたいと思う。わたしは未来にワクワクしている。 ーーー 私が訪れた小学部のクラスの中には一人、話すことができない女の子がいた。彼女は人の話も聞こえるし、会話の内容が理解できないわけではないという。ただ、日本語の発音が、現在の彼女の脳や筋肉の発達状況では、まだ難しい。 現状で、彼女が他人とコミュニケーションをとる手段

          今までとこれからが混ざり合う場所

          どうぶつの森みたいな日々を。

          「ひとりでやることが、一番簡単なんだよ。」 当時やっていたサークル活動のイベント運営委員になった私が、運営の仕事を割り振っても動いてくれない人たちへの愚痴をこぼしたときに、先輩にそう言われたことがある。 ただ単に「たいへんだな」と慰めてほしかったのに、咎めるような雰囲気のその一言に、ちょっと反発したくなった。 「どういうこと?」 たぶん、眉をひそめていた。でも、そういう私の態度も許してくれるくらい寛大な先輩だ。 「企画を考えるときに、一人でやるとなると、思いつくこと

          どうぶつの森みたいな日々を。

          性にまつわるあれこれ。

          大学の授業の一環で、えろ屋の紗倉まなさんが講演に来た。朝日新聞の記事(要ログイン)でしか、私は彼女のお仕事を見たことがなかった。その記事は、紗倉さんの仕事に対するまじめな気持ちが伝わる本当にいい記事で、彼女が来ると知って本当に楽しみにしていた。 壇上で話す紗倉さんはとても丁寧で、えろ屋を名乗る彼女が自分の体を使った表現に対してとても真摯に向き合っていたのが伝わる講演だった。授業のおかげで完全に彼女のファンだし、これからはもう、むっちゃくちゃに応援していきたい。 エロにまつ

          性にまつわるあれこれ。

          帰り道の歌。

          「がんばりたいときに、よく聞く歌は何ですか。」 わたしの場合は、BONNIE PINKの「Happy Ending」。高校三年生の一年間は、この曲をずっと聴いていた。 ねぇ 信じてごらん Happy Ending 君が手を伸ばしたその先にあるよ 語り聞かせるようなサビで始まる歌いだし。伸び悩んだ成績のグラフに胸がギュッとしまった日も、このフレーズを聞くとあと少しだけ頑張ってみようと思うことができた。 焚き付けないと消え入りそうになるガッツを、どうにか燃やしてくれる曲を

          帰り道の歌。

          知ることでみえる、世界はうつくしいのだ。―『せんせいのお人形』について―

          学ぶことがどういうことなのかを、これほど美しく教えてくれるまんがを私は他に知らない。 Comico+(コミコプラス)で連載中で、藤のよう先生作「せんせいのお人形」だ(追記12月15日:無印版Comicoでも12月から掲載を開始したみたいです)。 URL: http://plus.comico.jp/manga/957/ 以前に上のツイートに連なる形で感想をちょろっと書いたのだけど、改めて読んでまた良さに気が付いたのでnoteにつらつらと書いてみる。ほんのりネタバレぎみで

          知ることでみえる、世界はうつくしいのだ。―『せんせいのお人形』について―

          0と1の間を伝えるおしらせコンテンツ。

          7月28日(金)に最終回を迎えた、ほぼ日刊イトイ新聞の「ガラケーや古いスマホでは、ほぼ日が見られなくなる?セキュリティに関する基本的な話」がすごい。 内容は「ほぼ日のページが2018年の夏をめどに、いまよりもセキュリティの高いページに切り替わる」ことにまつわるもので、その副作用としてスマホOSの古いバージョンやガラケーを使っている人はほぼ日の閲覧ができなくなってしまうというおしらせだ。 中身といえば、たったこれだけ。でも、わたしは未だかつて、こんなにやさしいおしらせを見たこ

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          すさんだ夜とフライドチキン

          今日は、無性にむしゃくしゃしていた。 証明写真が必要な用事があったため、約束の時間ぎりぎりにコンビニのネットワークプリントで証明写真を印刷しようとしたら、150円しか持っていないことに気が付いた。ディスプレイに表示された金額は200円。50円足りなくて、その予定ごとふっとんだ。 私が悪いのはわかっている。 わかっている。私が悪い。でも、200円の表示と手元にある150円が同時に目に入った瞬間、なんかあらゆることがどうでもよくなってしまった。その、どうでもよくなってしまっ

          すさんだ夜とフライドチキン

          結局、私たちに人を見る目なんてない。『フラジャイル』9巻を読んで

          あぁ、人のことなんて何もわからないんだな。 そう思う9巻だった。 表象にでる行動だけを見ていても、なかなかその人の本質には迫れない。だから、その人との会話の節々にでてくることばや経験から「総合的」に誰かを判断しようとする。でも、その「総合的」だって、すべてを知っているわけでもない。あくまで、知っているその人の表象だけで、私はうっかり人のすべてを判断してしまおうとする。 私は、帰国子女が多く在籍する高校に通っていた。公立の中学校に通ってきた私がまず同級生に対して驚いたことは

          結局、私たちに人を見る目なんてない。『フラジャイル』9巻を読んで

          『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ

          発売日に地元の小さな本屋さんに駆け込んだ時は、そもそも燃え殻さんの本は取り扱いがないと言われた。取り寄せてもらう算段をつけて、その週のうちには届くだろうと思っていたら、各所で即日売り切れ、即重版となっていた。 本の奥付が第二版となり、私も落ち着いてようやく件の本屋に行った土曜日、発売日には取り扱いのなかったこの本が、私の取り置きのほかで一冊だけ、人気本のコーナーに置かれていた。新潮社のTwitterアカウントが伝える盛況ぶりよりも、その本屋の台に置かれた一冊のほうが、燃え殻

          『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ

          私と先生とツナマヨと。

          人って変わっちゃうのだ。 変わらないと思っていても変わっちゃうんだ。 いいか悪いかはおいておいて、変わる前のわたしのことを変わった後の自分にも覚えておいてほしいと思った。 大学1年生の時に履修していた授業を担当していた先生にに会った。 履修申請を私が間違えていたため、卒業前に単位取得のための再申請をしなければならなくなったからだ。 ひさしぶりに見た先生は、なんだか、すこしだけやせたように見えて、 4年前に見た姿とは違う人のようだった。 当時、大学に入りたてほやほやの1年生

          私と先生とツナマヨと。

          今、ここにいる私のこと

          今、自分はこんな場所にいるんだなあと、どこか他人事のように、ちょっと自分を突き放して「私」のことを見るような感覚になることがある。 このことを考えるようになったのは、 高校受験がきっかけだ。 推薦受験の日に出会った女の子のことが 私はいまだに忘れられないのだ。 彼女とは面接の控室の席が近く、長い待ち時間を何人かと一緒におしゃべりしながら過ごしていた。 「家族もこの学校に通っていてとても楽しそうに学校のことを話していたから 私も合格してここで学校生活を送りたい。」 そう照

          今、ここにいる私のこと