ここはわたしの居場所。

休みを取って、2か月半ぶりに実家へと帰った。この春から、わたしは四国内の職場に配属されている。

私が乗る東京ゆきの飛行機は1時間ほど遅れた。暇をつぶすために、本を一冊買った。伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」。ある一説に胸がバクバクと鳴った。

ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時にこそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。
(『ヨーロッパ退屈日記』伊丹十三:新潮社) 

実家の近くで開催される美術展に行けないとか、みたかったアニメが2週遅れで始まるとか、そういったことで日々のせいかつのすきまに「いつかは帰るし、次の転勤までの辛抱だ」と思っていた自分がいたことに気が付いてはっとした。今回の配属では、3-4年後には東京へと戻ることが決まっている。東京での「本当の生活」に逃げて、今の生活からわたしは降りてしまいそうになっていないだろうか。

伊丹十三が、ホームシックについて語るのは、外国で暮らすことについて書いた章だ。彼はこのあと、このときこそ勇気を奮い立たせろ、と続ける。

同じ日本国内でもことばが通じても孤独は感じるし、一人ぼっちのさみしさを抱えきれない夜は確かにある。でも、それがあたらしい暮らしを初めて2か月のわたしにとっての現実だ。

ただ単に働く4年間を過ごすのではなく、ここを現実だと受け止めたときに、はじめて、見知らぬ土地で働いた4年間は生きるのかもしれない。辛抱だなんて、もったいないんだな。そう思った。

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