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今までとこれからが混ざり合う場所

昨年の秋ごろ、縁があって知的障碍者の子どもたちが通う特別支援学校を訪れた。そのとき、障碍×テクノロジーについて見てきたことと、それからずっと考えてきたことを書きたいと思う。わたしは未来にワクワクしている。

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私が訪れた小学部のクラスの中には一人、話すことができない女の子がいた。彼女は人の話も聞こえるし、会話の内容が理解できないわけではないという。ただ、日本語の発音が、現在の彼女の脳や筋肉の発達状況では、まだ難しい。

現状で、彼女が他人とコミュニケーションをとる手段は二つだ。一つは、カードの使用。「トイレに行きたい」「着替えるのを手伝ってほしい」など、日常の動作が書かれたカードを持ち歩いていて、それを指で示すことで自分の意思を伝える。去年の初めから使い始めたというそのカードには、破れないようにラミネート加工が施されていたが、すでにしわくちゃになって、すっかり彼女の手になじんでいた。

そして、もう一つの手段は電子ペン。イラストを触るとペンが音声を出す、子ども用の英語教材で使われているようなあのペンだ。彼女が普段座っている机には、クラスの友達や先生の名前、「はい」「いいえ」など、授業で使う言葉が張り付けられている。それらの言葉をペンでタッチして、意思疎通をする。筋肉の発達がゆっくりな彼女は、初めはペンを持つのにも苦労したという。

そんな、ほかの人とはちょっと違う彼女の机を眺めていると、ある言葉が混じっているを見つけた。

「よんだだけ」。

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明らかに、授業には必要なさそうな5文字が混じっていた。「これは何だろう?」と思い担任の先生に聞くと、クラスメイトや先生の名前と組み合わせて「○○くん、よんだだけ。」という風に、彼女がふざける用の言葉なのだという。ペンの導入は今年度に入ってからだが、繰り返し、なんども楽しんでいるのだそうだ。それを聞いて鼻がツンとした。

自分の呼びかけに、誰かが答えてくれる、笑ってくれる。お互いがつながっている状態を楽しむ。言葉を発することも、体を動かすことも難しいという彼女ができる、ささやかなおふざけ。コミュニケーションの一番初めのうれしさがあると思った。たった一本の電子ペンが、それを可能にした。

言いたいことも思っていることもあるのに、それが伝えられない彼女のフラストレーションを、先生達はずっと感じていたという。そんな中で、ペンを使い始めてから、いろいろな形で彼女がコミュニケーションをとろうとする機会が増えたらしい。

電子ペン自体は、さして新しいものではない。でも技術が発達したことで、学校現場でコミュニケーションの方法として普及しはじめている位には、一般化しやすくなっているということだ。おかげで、通じ合えるチャネルが一つ増えた。ペンがくれたのは、単なる音声ではない。わたしたちが彼女と繋がれる方法だ。

X DIVERSITYという落合陽一さんなどが参加する、プロジェクトが昨年始動した。できないをできるのかえて、私たちの違いを楽しめる社会へ。そんなコンセプトで、社会の障壁を様々なテクノロジーで変えようとしている。また、島根大学のEyeMot(アイモット)がNHK主催の日本賞のなかで、教育コンテンツの最先端のものに送られる、クリエイティブ・フロンティアアワード部門で最優秀賞に選ばれた。社会の壁が、技術によってどんどん壊されていって、それが社会に認められているのを実感している。より色んな人と距離が近くなっていくことができる未来が待っているのに、私は純粋にワクワクしている。

一番初めのコミュニケーションのうれしさと、どんどん進化していくコミュニケーションの形が、一緒にある場所。そこでは、変わらずずっと人が感じてきたのだろういままでと、私たちが向かおうとしているこれからが混じり合っていることを実感した。そういった意味で、学校は今の社会の一番端っこの場所なのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。

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