結局、私たちに人を見る目なんてない。『フラジャイル』9巻を読んで

あぁ、人のことなんて何もわからないんだな。
そう思う9巻だった。

表象にでる行動だけを見ていても、なかなかその人の本質には迫れない。だから、その人との会話の節々にでてくることばや経験から「総合的」に誰かを判断しようとする。でも、その「総合的」だって、すべてを知っているわけでもない。あくまで、知っているその人の表象だけで、私はうっかり人のすべてを判断してしまおうとする。

私は、帰国子女が多く在籍する高校に通っていた。公立の中学校に通ってきた私がまず同級生に対して驚いたことは、とにかく彼女たちが明るかったことだ。

屈託がない。物事を悲観的にとらえない。誰かを不必要に攻撃したりしない。

気に入らない後輩を寄ってたかって囲んでシメるみたいなことが、日常的にあった中学校から出てきた私からしたら、自信満々で明るくふるまう彼女たちがまぶしく仕方なかった。人間関係のきたない部分とか、いやな部分なんて何も知らないんだろうなと思っていた。

でも、彼女たちは、私よりはるかにタフで厳しい生活を海外で乗り越えていた。
アメリカに10年住んだ友人には、現地の学校でアジア人だからと目の敵にされ、トイレで水をかけられた過去があった。
朝鮮学校出身の友人は、一緒に登校していた友達が電車でランドセルを切り付けられたと話していた。
イギリス人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれ、日本で育った友人は、ずっと日本人に見えないと後ろ指をさされるのがつらかったという。

私のそれまでの人生では、想像もできないようなできごとを経験していたのが彼女たちだった。彼女たちは、苦労を知らなかったから明るかったんじゃない。痛みを知ったうえで、明るくふるまっていたのだと。

なんというか、もはや恥ずかしかった。苦労してないから明るいとか、ばかじゃないのか自分、と。経験したからこそ、言葉と気持ちと行動がまっすぐ一本の芯で貫かれている強さがある。私の感じていたまぶしさの正体は、一本芯の通った彼女たちの強さだった。

フラジャイルの主人公・岸もそんな男の人だ。
ちなみに、岸の公式サイトでの紹介はこう。

その医者は極めて優秀な変人である。
岸京一郎、職業・病理医。
癌患者にとって自身の命を託すことになるその男は、患者と顔を合わすことなく精確な診断を下していく。
——直接会わずに済むことは、患者にとって福音である。

天才、変人、狂人。不自然なくらい、これまでのフラジャイルで岸という人間はレッテルがべたべたの記号的な描き方をされていた。

周りの人は、げっなんだこいつ、と思いながらも知らず知らずのうちに彼に乗せられている。ただ、そこに彼の本心というのは見えなかった。きっと何か意図があるのだろう。それだけはわかるが、それが何に基づいているのかを知ることはできなかった。彼がどんな思いで仕事をしているのかという描写はこれまで一切なかった。

でも、9巻を通して読むと、岸の真ん中にある芯に迫ることができる。執拗なまでに真実にこだわる姿の源流を見つけることができる。劇中で、岸が病理医になる前の話はたった1話だけだ。さらりと描かれたそのエピソードですべてが説明されているわけではない。でも、読者が自分で岸の現在とオリジンをつなぐことができるる回だ。1巻から8巻までの岸への見方が、かわる。

たぶん、フラジャイルはここからが始まりだ。岸という人間を知ったうえで読むこれからの話は、もっと厚く、熱いだろう。冬には10巻、来年には11巻が出るらしい。いまから、その発売が楽しみだ。

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