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金木犀の香りが運ぶ思い出「自立とは」


香りの思い出

 香りはさまざまな思い出を連れてくる。
 先日仕事の関係で先方の会社に向かった途中、甘い香りがしてきた。ちょっと考えて「あっ、金木犀の香りだ~」と気がついた。おそらく樹木の多いお寺があったから、そこに金木犀の木があったのだろう。目にはしなかったものの、秋の訪れを教えてくれる金木犀。帰宅後、過去に書いた金木犀にまつわるエッセイを読み返した。16年という歳月を経て、いろいろと変化したことに気づく。

M大学の金木犀の木(2023年10月に撮影)

エッセイ「金木犀の香り」

                            2008年10月
 金木犀の香りがどこからともなく漂う季節がまた、やってきた。もうすっかり秋だ。この香りは、2004年に入院中、乳癌の再発の検査で入院していたKさんとの出会いを思い出させる。Kさんは2年前に遠くへ逝ってしまった。そのKさんが手作りしてくれたビーズのネックレスを、今、私は身に付けている。

 今年の6月、祖父も肺癌でこの世を去った。大好きだった祖父。私にとってはかけがえのない存在だった。去年の今頃は、SLEの精神症状が出て、精神科を退院して1カ月足らずで、まだ、いろいろと不安を抱えて生活していた。そんな私を祖父はいつも支えてくれていた。人の命ははかない。けれども、強くもある。私は今、息をしている。

 もうすぐ、友人が結婚する。独身でしばらく生活を送るのだろうと思っていた二人の親友がばたばたと結婚することに決まった。一人は、今度の日曜日。もう一人は十二月中旬だ。とても嬉しいことだが、少し寂しい気もする。

 結婚を間近に迎えた友人に、ウェルカムボードの作成を頼まれた。考えあぐねた結果、金木犀と握り合う2人の手を描き、そこに「祝結婚」と書いた。友人のパートナーが友人のイメージカラーをオレンジ色だと言っていたことと、彼女が金木犀の花が好きだと言っていたことから、それらをモチーフに取り入れたのだった。握り合う2人の手は、私の誕生日に、同じ難病仲間の友人が贈ってくれたカードに描かれた絵をヒントにもらった。そこには、「コレカラモ、テヲトリアッテ、イキテ、イキテ、イキヨウ!!!」というメッセージが添えられていた。主にパステルを使って描いたが、あたたかみのある優しい感じの絵になった。金木犀の香りが漂う度に、初心に返り、二人が強く結ばれていることを確認し合って欲しい。

 12月の中旬に結婚する友人とは、先日長電話をした。どちらも大学時代の友人である。私は、9月で34歳になった。結婚もしていないし、仕事もしていない。家族に養ってもらっている。幸福な病人だ。けれども、元気である。習い事もしているし、無理ない程度の家事もできる。なるべく歩くようにして、体力も養っている。端からみれば、病人らしくない。でも、薬は毎日、山のように飲んでいるし、月に一度は、S大学病院に通っている。いくつか病気の症状も出ている。これは、病気の原因が解明され、新しい治療や薬ができない限り、一生続く。だから、私は、確かに難病なのだ。

 今まで、仕事をすることが当たり前だと思っていた。アメリカで日本人学校の高校の教師として6年弱働いた後も、塾の講師をしたり、事務の仕事に就いたりしてきた。しかし、病気は無理をする度に悪化していった。外で働くことが必ずしも私にとって必要なことではないのだと考えつつある。無理をしてがんばることが全てではない。

 自立とは、何をいうのか。ある著書のあとがきの中に、次のようなことが述べられていた。「自立という言葉に、私たちはふりまわされ過ぎたのかもしれない。ひとりでも生きられる私、を目指し、自分で自分につっかえ棒をしようとした。他人とかかわるのは、その後、と思い込んできた。ところがどっこい、つっかえ棒はすぐに外れてしまうのだ。人は人によって支えられる。寄りかかりながらも、寄りかかりすぎない。その按配をわきまえる以上の自立は、幻想でしかありえない」。私の心は何を望んでいるのだろう。平穏な暮らしが与えられていることが奇跡なのだと思う。
 
 私は、恵まれている。難病と共に生きていくこと、いつ病状が悪化するかわからないけれど、こうして一日を穏やかに暮らせるのは、きっと誰かのお陰なのだろう。いつも守られているのだ。感謝の心の大切さに気付かされる日々。
 
 私は、金木犀の香りが好きだ。そして、この香りを感じる度に様々な思いが蘇る。私にとってなくてはならない樹木だ。こういう風に季節を感じさせる自然の力はすごい。日本には四季があるから、自然を愉しむことができる。なんてすばらしいことだろう。
 
 欲張りな私は、求めるものがたくさんある。したたかだ、とつくづく思う。でも、こんな風に恵まれた生活を送れるのは、やはり誰かのお陰なのだと思う。その誰かのためにできることは何なのか。世の中は暗いニュースが多い。残虐な事件も絶えない。私の負った傷。その傷口は多くの人々の助けにより、覆われつつある。今、私ができること。明日は、地元の養護学校にボランティア体験に行く。晴れたらいいな。そういえば、養護学校にも大きな金木犀の木がある。                             

変わったもの、変わらないもの

 16年という歳月を経ても金木犀の香りは変わらず、私にたくさんの思い出を連れてきてくれる。一方変わったこともある。私の病状は安定し、求めていたことができるようになった。大学時代の友人との関係も変化した。あの頃の心持ちで日々を過ごせているかはわからない。でも、誰かのお陰で今があり、自身の負った傷も癒えている。今年の秋も金木犀の香りに包まれ、優しい気持ちになりたい。

自立とは

 自立についての解釈はいろいろとある。そんな中で私が考える自立とは自分の拠点先をいくつかつくることで支え合いながら立つこと。拠点先とは人でも場所でも、何かの所属先でもいい。一人で抱えきれないことは多い。特にしんどい時は何かに頼っていい。依存していい。「お互いさま」と笑って言い合える社会になったら、もっと楽に生きられるように思う。
 金木犀の香りが漂う季節に改めて自立について考えてみたい。


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