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#1 私が適応障害になった理由

こんばんは。
新卒1年目で適応障害と診断され休職中のtentenです。
今日は前回の記事(【初投稿】tentenの日常 )にもちらっと書きましたが
大学4年の9月頃に適応障害と診断された自分と向き合いたいなと思い記事にしようと思います。
今回は全体的な私の思考回路?というか考え方?について向き合いたいと思います。
長くなりそうなので何個かに分けて書いていこうと思います。

大学生時代の私

大学時代の私は何事にも好奇心旺盛で活発な学生だったと思います。
両親とも仲が良く、友達にも恵まれて、先生にも恵まれていたと思います。
3か国ほど海外へ短期留学を経験したり
2つほど学生団体に所属してイベント企画運営してみたり
テレビに出ることも挑戦してみたり…
「なんでもやってみないと分からない!」
というのがモットーだったように思います笑
ここまで聞くとめっちゃリア充な学生生活してるって思う方も多いと思います。

でも、そんな何でも挑戦、やってみよう精神がもたらした結果は、
「自信の無い自分を形成する」
ということでした。

自信の無い自分とは?

大学生時代いろいろとアクティブな活動をしていく中で
気づいたことは「自分って何も持ってない」ということでした。

留学では海外で生活できるほど英語力が身に付いたわけでもない。
なんなら、留学しなくてもネイティブのように話せる人なんてたくさん存在している。

学生団体では自分の目標や夢に向かって切磋琢磨している学生がたくさんいる中で、私は特にやりたいことも、成し遂げたいこともない。
多くの学生が学生団体以外の活動でも成果を上げている中、特に目立つ経験・スキルを持っているわけでもない私。

私って何ができるんだろう?
いや、何も持ってない。そもそも何も持ててない。

そうやって私は「自信」を無くしていきました。

それでも時間は止まってくれず。
私ならもっとできるはず。こんな私でも認めてくれる人はいるはず…
と信じて生きてきました。
そして、なんだかんだ学生団体や大学の授業、就職活動と自分と向き合う時間が取れない日々を過ごしていました。
今思うと、向き合う時間が取れなかったわけではなく、向き合いたくなかったに近いと思います。

自信の無いことが何に影響しているのか

ここまでいろいろと書いてきましたが
じゃあ、その「自信の無さ」は何に影響しているのか?
そこに触れたいと思います。

私自身、ある程度人よりできることが多かったからこそ、「できない」=「価値が無い」という考えを持ってしまっていました。
これは他人に対しては全く思わないのに、自分に対しては強く思います。

"できないことは悪いことじゃない。"
"新卒はできなくて当たり前。"
"これから成長できるいい機会だね。"

できない私に対して周りの人は皆こうやって言ってきました。

心の中ではできる自分を理想としています。
できない自分を受け入れられず、誰かに認めてもらうために様々なことに挑戦し続け、仮初めの自信を表面に身にまとい。
いつしか私は「できない」「分からない」と口にするのが怖くなりました。
その一言で私の存在価値がなくなるんじゃないかと思っています。

そして、その仮初めの自信は本当の私も見失わせました。
人に認めてもらいたいと生きてきてしまった私は自分の夢や目標を見失いました。
本当に自分が求めていることすらも分からなくなりました。

周りから褒められる自分が本当の自分ではないのではないか?
今ここで話している私は誰なんだろう。

そう思うことが増えていきました。
他人からの称賛を疑い、受け入れられなくなってきました。


これが私の適応障害の大きな要因だとも思っています。
今思うと、小学校の頃から両親へ認めてもらいたい!という想いも強い傾向のある子供だったように思います。
というか今回記事を書いていきながら、そうだったのか~とか色々と気づかされました笑
noteありがとう。自分と向き合わせてくれて笑

さてさて次の #2 では大学4年の9月頃に何が起きたのか、何がストレッサー(ストレス反応を起こすきっかけ要因のこと)になったのかを紐解いていけたら良いなぁと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
同じような気持ちになったことのある方、もしくは今同じような気持ちの方に少しでも「私だけじゃない」と思っていただけたら嬉しいです。

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