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あとがき

 此の転戦記の原本の複写を始める決意をした時の私の心境は、原本通りに忠実に複写する事であった。「既に戦争は終った」と、良く言われ、私もその様に思い込んで居た。だから三十年以上も前の出来事の記録は、も早や何んの抵抗もなく披瀝(ひれき)出来るものと考えていた。然し此の原本を二十一年ぶりに、複写の為めに読み返し乍ら複写を続けて行く中に、原本通りに忠実に複写出来ない事を痛感した。嘗て戦場と化した国々の、無辜(むこ)の良民に対する道義的な問題や、尚まだその戦禍が齎している後遺症が、今日

    • 轉戦記 第4章 終戰編 復員②

       此の収容所に二晩収容されて、六月十七日朝、全員は出所を赦され、自由に身に開放された。東北出身の戦友は、聯隊長以下夫々各個に、午前中には出発して帰ってしまった。私達九州方面の戦友は、全員統一行動をとり、夜九時久里浜駅発復員列車にて出発した。汽車に乗って驚いた事には、軍の引揚列車であるこの汽車に、各駅毎に一般民衆が飛び乗り、駅員の制止も聞かばこそ、窓からでも飛び込んで来るのである。私達は内地の事情を知らないので、此の人達に同情して、狭い座席を譲ってやった。夜が明けた頃大阪駅に着

      • 轉戦記 第4章 終戰編 復員①

        プランチブリーで露営の一夜を送った翌朝、此の駅より一同は汽車に乗って、一路バンコックに向け列車は急ぐ。五月二十七日、バンコックの埠頭よりランチに乗り込み、沖に停泊して居る米軍輸送船、リバティV・O 六四号に乗船した。此の船は七千噸位いの船で、速力十五ノット。驚いた事には、此の船はリベットを使用してなく、総て熔接により建造されて居た。午前十一時愈々出発。長く、苦るしかった戦地とも、萬感の想いで別れを告げて、紺碧の海原を懐しの故国へ向けて船は辷る様に走る。舟は途中給油の為めサイゴ

        • 轉戦記 第4章 終戰編 復員命令降る

           土埃に塗れての突貫作業で、ノンホイの病院建設を終り、再び敷島の宿営地に帰ったら、五月一六日突如として、内地帰還の命令が伝達された。五月十九日現地を出発との事で、部隊全員夢かとばかり躍り上って喜び合った。然し出発迄に「現在の宿舎の一切を取り壊し整理して、井戸から便所、其の外堀ってある所は全部埋戻し、総てを原形に復せ」との事である。我等はまさかこんなに早く帰還出来るとは誰一人として思っても居なかったので、出来得る限りの節約をして貯えて置いた食糧や砂糖類の仕末に困り、此の全部を井

        あとがき

          轉戦記 第4章 終戰編 崩れた軍紀

           一九四五年一月十日、第三十七師団特別教化隊は、第十八軍の指揮下に入った為めに解散となり、三ヶ月目に懐かしの工兵聯隊に復帰した。宿営地の周辺のシャム人部落では、米の獲り入れも終えて、穂を抜き取ったあとの田圃の中に、立ち枯れたままの稲に火をつけて、其の炎々と燃え上る火の明りの下で、毎夜の如く踊り狂って居た。やがて雨期に入れば、此の田圃は総て水中に没してしまひ、六ヵ月間はその水が引く事はないのである。民家は此の水に備え、又野獣の襲撃を避ける為めに、床の高さは地上より二メートル以上

          轉戦記 第4章 終戰編 崩れた軍紀

          轉戦記 第4章 終戰編 罪罰昏迷

           統卒の本義に則る為めか、軍紀の要道か、此の頃地下に大きな穴を掘って、此の上に丸太を並べて頑丈な柵を作り、此れを重営倉として、昔日通り規律を犯した者を罰して、此の中に入れた。団体生活を営む以上は、軍隊であるなしに拘らず、規律を守らねばならない事は、当然の事では有るが、此の重営倉の中には、高級幹部の個人的軋轢や、感情問題が絡んで、入牢させられる様な事件もあり、部隊内でも批判が起こり、問題になると云ふ様な出来事も有った。                              

          轉戦記 第4章 終戰編 罪罰昏迷

          轉戦記 第4章 終戰編 自活への闘い②

           此れは、或る将校の浅慮な言葉に端を発したものであった。或る日、私が教育を担当して居た、其の鮮人の初年兵が泣いて私の所に来て「残念だ」と言ふので、其の理由を問い詰めたら、「朝鮮人であると云ふ事で、人種差別的な、侮辱の言葉を受けた」といふ事である。そして彼は、此の部隊から逃亡する意思のある事を、私に仄めかすのである。「悪い事態になった」と思った私は、早速中隊長に相談して、翌日聯隊長立会いの上で宿営地の野っ原で、鮮人初年兵一同と、懇談の形で話し合ひをした。私は中支那の孝感で、前線

          轉戦記 第4章 終戰編 自活への闘い②

          轉戦記 第4章 終戰編 自活えの闘い①

           愈々バンコックに到着すると、日本帝国の敗戦を伝えられた。漠然として予想はして居たものの、矢張り信ぜられぬ気持で愕然とした。泣いて防毒面を焼き捨てる者、打沈む心を酒で紛らかす者、怒鳴り散らして八つ当りする者、今後の不安感等で、一時は皆んな落ちつきを失しなって居た。私は愈々軍隊の階級を捨て、夫々の個人の実力を発揮する時が来た、と痛感した。   不思議な事に、私は別に何の感動も起こらなかった。何を感じ様にも、故郷は余りにも遠過ぎるし、此れから先どの様になるかは、誰一人予想出来な

          轉戦記 第4章 終戰編 自活えの闘い①

          轉戦記 第三章 転進南下②

          列車は一路南下して、部隊はシャムの首都バンコックに到着し、此処で数日間を過した。 バンコックは絢爛華麗なるチャクリ宮殿が有り、蒙華な寺院が至る所に点在し、華僑が此処でも商業の主導権を握って居て、華僑街を発展させて居た。 学校も多いらしく、街では多数の学生を見受ける。 シャム人は山田長政の関係でもあるまいが、眞に日本人に良く似た顔をして居る。 特に女学生は素足でさえなかったら、日本人に間違ふ位いで、非常に人種的近親感を抱かせた。 然しバンコックの街角や、市街の要所要所、道路上に

          轉戦記 第三章 転進南下②

          轉戦記 第三章 南方編 転進南下①

           一九四五年 五月、故郷を遠く佛印に在りて、我等は昼となく夜となく、敵の執拗なる空襲と、熱帯の暑さに悩まされ乍ら、次の戦闘準備に怠りなかった。 然し戦況は実に絶望的なもので、既に敗戦の兆し濃厚であった。 我等の駐屯地に捕虜となって居る、フランスやオーストリーの軍人達は、「今年の九月迄に、連合軍が大勝利を収めて戦争は終結する。」と云って居た。 此の言葉を巡って、連日兵隊間の唯一の話題となって居た。……    五月二十七日、我等は南え転進の命令を受けて、愈々運命の転進行動を開始し

          轉戦記 第三章 南方編 転進南下①

          轉戦記 第三章 南方編 本隊追及達成②

           二間位いも気長く休んで居たら、友軍の方から「夕暮れ迄居ると、周辺の敵が襲撃して来る恐れがあるので、何とかして早く出て呉れ」と大聲で知らせて来たので私は一計を案じ、坑内に折良く有った長さ一・五メートル程の板切れを「ポン」と入口の外に放り出した。 すると敵は私の予想通り、此の板片を私と錯覚してバラバラと石を落して来た。 私は其の石の最後のものが落ちたと感じた瞬間、坑道から一目散に走り出て一気に台地の下迄走り下りた。 敵は私の姿を見て投石したが、私の計算通り石の落ちる時間より、私

          轉戦記 第三章 南方編 本隊追及達成②

          轉戦記 第三章 南方編 本隊追及達成①

           一日として休む暇もない我等初年兵引卒の本隊への追及部隊は、夜を日に継いで暑い広西省の山野を強行軍を続けて行った。或る時は下司官以上僅か三十三名で本隊の先抜隊として、敵中をひと休みもせず一気に八十粁余りも強行軍したり、又は先抜に続く先抜行軍の為めに、流石に行軍に馴れた健脚の我等も、三三、五五とバラバラに前進を続けて居る中に、夥しい敵地区の避難民に遭遇したり。 余りにも強行に歩るき過ぎて、眞夜中に只の二名で着いた部落は敵が居て、もう此れ以上歩るこうにも足が棒になってコチコチに固

          轉戦記 第三章 南方編 本隊追及達成①

          轉戦記 第三章 濱陽の変②

           伝令を飛ばせて、後方の大隊長の下に援兵を依頼したが、四方の山の方面より敵の正規軍が襲撃して来たので、後方の部隊も援兵処ではないらしい。 一同も「此んな所で無駄無駄犬死か!」と、無念の歯軋りをして居る中に刻々と時間は過ぎ、夜の薄闇がかかって来た。 「今こそ!」と負傷者運搬、死体収容の行動を、僅か二、三名の兵で始めたが、只四名の負傷者を土塊の影に運び得たのみで、手榴弾と小銃の敵の集中攻撃に、身動き一つ出来なくなってしまった。 此れに加えて何んたる事ぞ、天までが我に味方せず、地上

          轉戦記 第三章 濱陽の変②

          轉戦記 第三章 南方編 濱陽の変①

           羅金郷、柳州、と行軍して浜陽に到着した。 此の街は日本軍の治安隊は一應置かれては居るが、物凄な街で治安は悪るく、うかうか街を彷徨くと、敵のテロにやられてしまふ。 部落の家の中を捜して見ると、机の抽出しの中などから、銃弾が幾らでも出て来る。 しかも鉛製のダムダム弾だ。 城内は却って危険なので城外に宿営して居たら、治安隊の連中が来て 「此処から一二粁程奥地に行けば、一個聯隊が有に三年間は食べる程の、食糧豊富な部落があるので、徴発に行くなら案内してあげる」と態々知らせて呉れたので

          轉戦記 第三章 南方編 濱陽の変①

          轉戦記 第三章 南方編 羅金郷の戦闘

           霊川を経て、山又山を行軍する第三十七師團初年兵追及部隊は、山道を下りかかると、眼下に桂林が見えて来た。 桂林は至る所に、百メートル程の高さもある岩石で出来た天然の独立した塔の様な大きな岩石が、無数に林立して居る。 絶壁の岩石のニョキニョキ立って居る中を行けば、まるで海底を歩るいて居る様な気持になる。 驚いた事には、此の岩の塔は中を掘り抜いて一つ一つが、トーチカになって居り、まるで要塞である。 友軍は宝慶攻略の後、此の桂林を攻撃して、陥落させたのである。 我が三十七師團も嚇々

          轉戦記 第三章 南方編 羅金郷の戦闘

          轉戦記 第二章 中支編 初年兵受領②

           武昌に着くと、一行は兵站に宿泊したが、此処での一日三度の食事受領が大変で、馴れぬ初年兵の事とて容量も悪るく、毎度大騒ぎである。 此の武昌で一夜、初年兵を連れて映画館に行った処、丁度此の日が漢口の大空襲の日で、空襲警報と同時に映画館を飛出して、武昌と漢口の間の渡船場迄行き、揚子江の岸壁に身を寄せて、夜空の敵機の様子を見て居た処、地軸も裂ける様な大爆発音と共に、一瞬にして対岸の漢口の街はフッ飛んでしまった。 米国空軍による大爆撃である。 漢口の街は一晩中炎々と燃え続いた。 爆弾

          轉戦記 第二章 中支編 初年兵受領②