あとがき

 此の転戦記の原本の複写を始める決意をした時の私の心境は、原本通りに忠実に複写する事であった。「既に戦争は終った」と、良く言われ、私もその様に思い込んで居た。だから三十年以上も前の出来事の記録は、も早や何んの抵抗もなく披瀝(ひれき)出来るものと考えていた。然し此の原本を二十一年ぶりに、複写の為めに読み返し乍ら複写を続けて行く中に、原本通りに忠実に複写出来ない事を痛感した。嘗て戦場と化した国々の、無辜(むこ)の良民に対する道義的な問題や、尚まだその戦禍がもたらしている後遺症が、今日に至るも、未だに生々しく痕されている事実を思う時、戦後は終っていない事に気付いた。第二次世界大戦の様な戦争の戦後の終るのは、一世紀の永きをも要するのではないか、とも思われる。

 神国日本の神々は、我等日本人に戦争を敗ける事を以って、平和と繁栄の喜びを教えてくれた。戦争とは如何に悲惨で、そして無駄なものであるか。勝者は勝利の瞬間から、忽ち次の敵に対する脅威に恟々きょうきょうとして備えねばならぬし、亦一事の勝者たり得ても、永遠の勝者たり得る事はない。力を以って制する者は、何時かは力によって亡びてしまう。勝者に利するものは、終局に至れば、何一つとしてない。その終焉は「滅」の一字に尽きる。又敗者は哀れである。祖国をも失なう破目ともなりかねない。そして、敗者としてのあらゆる艱難は必定である。


 現在地球上に争いは絶えない。然し我が祖国日本だけは、永遠に此れらの争いに巻き込まれてはならない。我が日本は有史以来、沖繩を除いて直接戦場と化した事はない。即ち敵国軍人による直接の蹂躙を受けた経験はない。若し第二次世界大戦に於いて、日本国土が直接戦場と化していたとするならば、広島や長崎の原爆被害の、数百倍の被害であったかも知れない。我々は此れ等の貴重な経験を生かし、永遠に平和と繁栄の祖国たらしめなければならない。 

 此の転戦記の中に、若し戦争に因る悲惨などと云う様な感じを与える場面が有ったとしても、それは戦争のほんの一齣ひとこまに過ぎず、事実は書き得べからざる程の無惨なものである。

 私達戦争経験者は、それを知るが故に、戦争のない永遠の平和を念ふ次第である。尚本書発刊に当り三七P戦友会事務局湯浅照夫氏と森永義夫氏にご盡力を賜りましたことを厚く感謝申し上げると共に、此れを機に戦友諸兄の資料を集大成して工兵第三十七聯隊史を完成される事を希うものであります。             終り

       昭和五十年八月二十六日

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