轉戦記 第三章 南方編 本隊追及達成①

 一日として休む暇もない我等初年兵引卒の本隊への追及部隊は、夜を日に継いで暑い広西省の山野を強行軍を続けて行った。或る時は下司官以上僅か三十三名で本隊の先抜隊として、敵中をひと休みもせず一気に八十粁余りも強行軍したり、又は先抜に続く先抜行軍の為めに、流石に行軍に馴れた健脚の我等も、三三、五五とバラバラに前進を続けて居る中に、夥しい敵地区の避難民に遭遇したり。 余りにも強行に歩るき過ぎて、眞夜中に只の二名で着いた部落は敵が居て、もう此れ以上歩るこうにも足が棒になってコチコチに固くなり、歩るきたくても足の神経機能が麻痺して動けなくなり、止むを得ず敵の部落の小さな橋の下に忍び込んで、川の冷めたい水で足を冷やしては、足の神経機能を回復させたり。 或るひは又、敵が待ち伏せして居る山峡を、夜間行軍で強行突破中、敵の追撃砲の集中攻撃を浴びたり、あらゆる試煉に耐え抜いて武陵橋と云ふ小さな部落に到着した。 此の日は食糧も部落内には全然ないので、我等は工兵隊のみ単獨で、二百名程の兵員で徴発に出発した。 徴発では度々敵の逆襲に遭ひ、苦い経験を充分に味はって居るので、綿密な作戦の下に周到な用意をして、遠く四方の山を控えては居るが、広い野原の眞只中に聳え立って居る岩の塔に向って攻撃態勢を整えた。 目標物は、高さ三十メートル程の円形の台地の上に突っ立って居る、高さ百メートル程の巌の如き絶壁の塔である。 此の塔の基礎の様な台地は、松や雑木の藪になって居り、塔の眞下迄は三十度位いの勾配で、斜面の距離は、台地の裾から塔の眞下迄六十メートル位いは有りそうだ。 台地の直径は山裾で百メートル位いのものである。 此の広西省附近の地図では、此の様な自然の岩の塔を巧に利用して、竪坑を掘って塔の頂上に登る事が出来る様にしてあり、又横にも坑道を掘って、此の中に部落の財宝や食糧を隠しているのである。 部落にとっては、此の塔を襲ふ者は支那軍、日本軍たるを問はず総てこれ外敵であり、若し一朝有事の際は、此の天然の要塞の頂上より、必死の反撃を果敢に行なふのである。 我等二百名は、塔に向って一列横隊に並び、塔の台地の手前百五十メートル程の地点まで前進した。 此の地点で本隊は萬一に備えて待機した。 私は少数の兵員を指揮して、此の地点から台地迄突撃を開始し、一挙に台地の山裾迄突進させた。 途中敵の射撃のある事を予想して居たのだが、それは杞憂に過ぎなかった。私は台地の周辺を走り乍ら見て廻ると、松の木の枯れかかった一条の藪を見附けた。 「予想通り物資の隠してある場所だ」と思ひ、此の藪の中に飛び込んで見たら巾五十糎程の山道があり、此の道を偽装した松の木が枯れかかって居るのだ。 私は一気に此の道を上り詰めたら、塔の眞下に着いた。 其処には二坪程の平坦地が有り、たった今迄牛が居た気配である。私は急いで目を転じて居たら、直ぐ近くに高さ巾共に二メートル程の坑道を見附けた。 私は此処迄一人で駈け上って来たので他に戦友も居ないが、いきなり此の坑内に飛び込んだ。 すると二米も奥に行かぬ所の天井に竪坑があり、敵が此の竪坑を上って行くのが一名だけ見えた。私は奥に進入するのを止めて、暫く次の行動に就いて考えて居たら、突然坑道の入り口附近に石が落ちて来だした。 友軍も私が坑道に進入した事を知り、盛んに塔の頂上に向け射撃をしたり、敵が石を投げ落とす度に大聲で私に知らせて呉れる。二、三名の戦友が塔の裏側に廻り、塔の外側の絶壁を攀登よじのぼり乍ら攻撃を始めたが、やがて駄目だと悟って止めたらしい。 私は竪坑から頂上の敵に向って「抵抗すると皆殺しにするぞ!」と大聲で怒鳴るのだが、敵は相変らず入口に石を落として、私が坑口から飛び出るのを妨害して居る。 私も「長期戦だ」と諦めて地面に腰を据えて、煙草吸い乍ら休んで居た。 

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