轉戦記 第三章 濱陽の変②

 伝令を飛ばせて、後方の大隊長の下に援兵を依頼したが、四方の山の方面より敵の正規軍が襲撃して来たので、後方の部隊も援兵処ではないらしい。 一同も「此んな所で無駄無駄犬死か!」と、無念の歯軋りをして居る中に刻々と時間は過ぎ、夜の薄闇がかかって来た。 「今こそ!」と負傷者運搬、死体収容の行動を、僅か二、三名の兵で始めたが、只四名の負傷者を土塊の影に運び得たのみで、手榴弾と小銃の敵の集中攻撃に、身動き一つ出来なくなってしまった。 此れに加えて何んたる事ぞ、天までが我に味方せず、地上の闘争もよそに月が皎々と明って来た。 折角苦心して収容した四名の負傷兵の中一名は、江島小隊長の安否を口走りつつ、遂に息絶えてしまった。目前四メートル程の所迄、一應後退に成功した千葉兵長は、江島小隊長を連れ戻さんと果敢にも再び城壁に向はんとして、胸部を敵弾に打ち抜かれ其の場に斃れてしまった。 此の目前の千葉兵長の死体すら収容出来ない状態である。五年兵の古参上等兵が一名、十時間ぶりに奇跡的に無傷で後退して来た。 僅か四十メートル程の間を、稲田の泥の中を潜る様にして忍耐強く後退したのだ。 実戦に馴れて居る丈に其の行動は見合げたものであるが、此の際何んとなく割り切れぬ思ひであった。 息絶えて死んで行く兵は皆一様に、「准尉殿はどうなりましたか!」と一途に小隊長を案じ、己を忘れて悲壮な聲で叫んで居る。 何時も人間の限界点にありて、生死を誓ひ合った者同志でなければ、見る事の出来ない光景であった。 我等の持つ兵器は弾倉五発入りの三八式歩兵銃のみである。 砲があれば此んな敵は一溜りもなく撃破するのだが、「嗚呼砲が有ったなら!」と誰もが歯軋りして残念がって居る。 終始敵のペースで散々やられ通しで、時刻も夜の十一時に近い様だ。 邪魔な月も西山に沈みかかったので、第三小隊の位置迄後退を開始した。 擔架を間に合わせのもので急造して、十名余りの負傷者を一名の戦死者を此れに乗せて、只黙々として一同宿営地に向ふ。 敵も遠廻しに我等を追って居たが、長追ひは出来ずに止めた様だ。 長門大隊長以下咳一つしない。 黙して語る者とてなく、心は重く打ち沈み葬列の如く反転する。 二十四時間何一つの食べ物も口にしていないので、今更の様に空腹を感じる。 腹部貫通を受けて居る太田原兵長は、重傷の身体で擔架の上からしきりに水を求めるが、今水を飲ませれば直ぐに死んでしまふ。 どうせ助からぬ命とは云ひ乍らも、少しでも生き永らえさせてやりたい。 彼は勉めて平静を装おひ、戦友に心配懸けぬ様、「負傷の程度も大した事はない」と言っては居るが、我等は彼の傷が救ひ様のない程の重傷である事を充分に知って居るだけに、彼の心情察するに余りあるものがあった。 彼の今日の行動は実に勇敢であり、且又軍人の鑑とも云ふべき模範を身を以って示した。 彼は第一小隊で、城壁の下で右手に貫通銃創を受けるや、初年兵教育係としての責任感から、一度は倒れた身体を起き上がり、「後退はこうしてやるのだ!」大聲で叫んで田圃の中を眞一文字に走ったが、再び敵弾に腹部を貫通されて、バッタリと田圃の中に倒れてしまった。 然し強気な彼は、尚もムクムクと起き上り、「太田原兵長!天皇陛下萬歳!」と叫んで再び其の場から飛び出した。 既に飛び出して居る腹綿を腹の中に押し込んで、その上にやられて居る右手を当て、無傷である左手で此の右手をしっかと押えたまま後退を成し遂げた。 恐らく太田原兵長は、城壁下に負傷したままで残って居る初年兵に対し、身を以って後退の方法を示して見せたのであろう。濱陽迄後退して、眞にお粗末で殺伐とした野戦病院に彼を擔ぎ込んだが、病院でも彼は誰の力を借る事も頑くなに拒み、胸の高さ迄もある高い寝台に、腹綿を押え付けたまま上ったのには驚いたが、悲壮の極みであった。 此の鬼人も避ける程の軍神の如き彼も、十二時間程で遂に絶命した。 然も従容として、傷の痛みすら口に出さず最後迄落着きはらって居た。彼こそ將に軍人の権化であろう。 私は、彼のあの時の「天皇陛下萬歳!」の絶叫は、終生耳朶(じだ)に沁み附いて、忘れる事が出来ないであろう。 只残念な事は、大日本帝国軍工兵隊兵長太田原六郎の此の英雄的行為の一件は、此の場に於て埋もれてしまひ、彼のあの絶叫は、誰に聞かせてやる可きものなのであるか?と謂ふ事である。 亦後々迄も気にかかる事は、敵の城壁下に残された十一名の未収容者である。 残った十一名の中、完全に戦死したと思はれる者は、ごく僅かではあるまいか? 江島准尉の負傷の程度も、死に至る程のものではなかった様に思える。 あの時、月の出と共に城壁の一角に穴が空き、負傷した兵は敵の手に依り、次々と穴の中に引き込まれた様であった。 若し敵に引き込まれた人々が生きて居るとすれば、敵の捕虜となって未だ大陸に居るか、或ひは亦日本内地に帰還して居るかも知れない。 私は是非そうであって欲しいと祈って止まない。 我等は戦死者の一名の遺体を荼毘に附し、命に依り此の一名の遺骨を分骨して、一應全員収容した事にしたが、その違ふ人の遺骨を受取った遺家族の方々は何も知らずに、肉身の遺骨と信じて、日夜菩提を弔って居るかと思えば、眞に気の毒に耐えない。 然し乍ら戦場に於いては、止むを得ない事情のある場合もあるものである。 私はそれからと云ふものは、毎夜の行軍中に「ウツラウツラ」と眠ると、目前で悲壮な最后を遂げ乍らその死体を収容する事の出来なかった戦友の、地に塗れた顔に呼び起されて毎夜毎夜不思議な幻惑に襲はれて仕方がなかった。

       一九五三年 十月一日記

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