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質問011:「いまの良かった」と驚いてしまう。これを防ぐ方法は?

集中しているとたしかにいいボールが打てる気がするのですが、
つい、「いまの良かった」と自分で驚いてしまい、集中が切れて、
ミスすることがあります。これを防ぐ方法はないのでしょうか?
 
漠然とした質問で、恐縮ですが、なにかヒントをいただければ幸いです。

回答


▶「人間万事塞翁が馬」を忘れない

 
私たちの心に巣食うジャッジ癖……。

「いまの良かった」と驚いてしまい、集中力が切れて次のボールをミスするとすれば、さっきの「良かった」はミスする誘引だったわけで、「悪かった」という解釈になる。

だけどそのミスをきっかけに、集中力を切らさないよう精進するならば、さっきのミスは「良かった」という解釈にもなる。

まさにいつも申し上げている「人間万事塞翁が馬」です。
 

▶良いとも悪いとも決めつけられない定め

 
飼っている馬が逃げ出したから「悪い」というわけではなく、その逃げ出した馬が友だちをたくさん連れて帰ってきたから「良い」というわけでもなく、連れて帰ってきた馬から落ちて負傷したから「悪い」というわけでもなく、負傷したから兵役を免れたので「良い」という解釈にもならない。

物事や出来事には二面性があり、時代や環境、条件などによってもその是非や評価は変わりますから、結局のところ「良い」とも「悪い」とも、決めつけられません。

ときには良いこともあれば、ときには悪いこともあるのではなく、「万事」というところがポイントです
 

▶「良い人」も「悪い人」もいない


たとえば職場で(自分にとって)「良い」と判断する人は、仕事ができて礼儀正しく、人格的にも優れていると「思い込み」がちです。

逆に職場で(自分にとって)「悪い」と判断する人は、仕事ができず無礼で、人格的にも問題ありと「思い込み」がちです。

「思い込み」というより、そう「思いたい」主観的な感情が絡んでいます

だけど、礼儀正しく「良い」と思える人だって、実は周りの人に認めてもらいたい承認欲求モンスターだったりするかもしれないし、無礼で「悪い」と思える人だって、淡々と仕事をこなす平常心を備えた人格者なのかもしれません。
 

▶「ありのまま」を受け入れ拒否する「決めつけ」


世の中では「あの人はいい人」「あの人は悪い人」というジャッジメントが今日も溢れ返っているでしょう。
 
周りにも、見て取れるかもしれません。
 
そのような「決めつけ」が、「ありのまま」を受け入れ拒否します
 
まさに、元、やる、根持ちの「気」が毒されているから、相当なストレスを抱えていて「お気の毒」です

▶「自分勝手」の本質とは

 
「良い」とも「悪い」とも言い切れない二面性。

際どいコースに打てて、自分にとって「良い」のだとしたら、対戦相手にとっては不利になるから「悪い」解釈になるのだし、チャンスボールを送ってしまって対戦相手にとって「良い」のであれば、自分にとってはピンチを招く「悪い」戦況です。

自分の都合のいいように、「良いボール」「悪いボール」などと、主観的にジャッジしてしまう。
 
これが「自分勝手」の本質です

▶「主観視」すると、人柄も能力も見誤る

 
「良い人」「悪い人」など、この世にいません。

(自分にとって)「良い人」を好ましいと思いたくなる欲の感情と、(自分にとって)「悪い人」を憎らしいと思いたくなる怒りの感情。

そういった主観的なジャッジメントのせいで、その人の人格や人柄、能力などを見誤ります。

客観的にその人の人格や人柄、能力などを推し量るには、主観による評価を乗り越える必要があるということです

その先には、まったく別の違った世界が実在・展開しているという話は後述します。
  

▶「ジャッジメント」vs.「アセスメント」


さて多くのテニスプレーヤーが、「いまの良かった」「悪かった」という、主観的かつ瞬間的なジャッジメントを下すせいで、ボールに集中できなくなり、調子を崩していきます。

だとすればその打った瞬間の、「上手くいった!」「しまった!」などの主観的なジャッジメントを手放せばいい、という道筋が見えてきます。

今回のご質問に対する回答を一言でまとめると、「客観視」

主観的なジャッジメントに対する、客観的なアセスメントです。
 
良いとも悪いとも色をつけずに、飛んでいく意味のない「ただのボール」を、何の感情も交えず客観視し続けます。
 

▶「上手くいった!」「マズイ!」の判断を手放す

 
とはいえこういう道理に無頓着でいると、意識というのはほんの一瞬で、「上手くいった!」「マズイ!」「大きすぎたか!?」などの判断をしてしまいがちです。

それがコンマ数秒の間に「上手くいった!」から「良い」とか、「大きすぎたか!?」ら「悪い」とか、決めつける主観を生み出します。

そのせいでその都度、感情が揺さぶられ、ボールに集中できなくなるのがミスの誘引だとお伝えしています

▶ボールは「黄色」ではなく「脚色」?


客観視すればそのボールは、「良く」もないし、「悪く」もないし、(物質的には黄色ですが性質的には無色透明な)、何の色もついてない無意味・無機質なボールです。

※いえ実際には「黄色」ですらないかもしれず、光と目と脳による「脚色」かもしれないのです!
 

▶「そのような人」などいない

 
自分にとっての「良いボール」は、相手にとっての「悪いボール」。
 
二面性があり「自分勝手」なジャッジメントは、思い込みによる主観です。

客観視とは、主観を乗り越えた向こう側にある世界を見る達観にほかなりません。
 
大げさではなく、まったく別の違った世界の見え方が、実在・展開しています。

多くの人が「あの人は良い人」「あの人は悪い人」という見方(ジャッジメント)をしますが、「そのような人」などいない世界
 

▶集中力が飛躍的に向上する

 
そのような客観視の世界では、いたずらに感情に振り回されずに済むから、人や物事や出来事に心を揺さぶられることなく、集中すべき対象へ集中し続ける「ゾーン」「フロー」が叶います

換言すれば「良い」とか「悪い」とかのジャッジメントを手放せば、集中力は飛躍的に向上しますので、ご相談いただいたような「驚き」もしなくなり、ミスの誘引を断ち切れるのです。

 ▶「社会基準」ではなく「自分基準」で行く


つけ加えますと客観視のコツは社会的基準を横に置くこと。

「汚れがあるから悪い」ではなく、単に「汚れがある」にとどめます
 
「気温が37度あるから暑い」ではなく、単に「気温が37度ある」にとどめます
 
「暑い」は主観、「暑さ」は客観。
 
事実だけを、淡々と積み重ねます。
 

▶ネズミの死体は「ご馳走」か?

 
「暑い、寒い」「速い、遅い」「重い、軽い」「美しい、汚い」などというのは、主観という話をしています。
 
それが証拠に服装などの違いはあるにせよ、私の住む東京では現在4月の20度を暖かく感じますが、真夏の20度だと肌寒く感じるのが一般的でしょう。

ニュースなどでも「暑い、寒い」などと伝えられますけれども、それは事実ではなく、主観であり、実体のない「自分勝手」なジャッジメントです。

ネズミの死体が気持ち悪いと言っても、カラスにとってはご馳走です
 

▶ジャッジメントを手放して平和になる

 
「害虫」ではなく「虫」に、とどめるのです。
 
「害」の色をつけるのは、それを迷惑がる人間側の主観的なジャッジメントであり、殺される「虫」からしたら、たまったものではありません。
 
もちろん、適切に駆除する必要もあるでしょうけれども、たとえそんなときでも「オマエは害だ!」などといって虐げるのではなく、「どうしても仕方がなくてごめんなさい」といった心持ちでいれば、虫にも否定的な目をなるべく向けすぎずにいられますから、自己肯定感も損なわずに済ます
 
ジャッジメントを手放せば虫を嫌悪して感情的になる怒りが収まり、少なくとも、ご自身の心の平和は保たれるのです。

▶テレビで見るプロのラリーは速くない?


「速いボール」など、この世に存在しません。

いくら速いといっても、アマチュアプレーヤーの打つボールは、プロプレーヤーの打つボールに比べれば相対的に「遅い」。 

相対性の世界です
 
相手から打たれたボールを「速い!」などと主観的にジャッジメントするから、おっかなびっくりになって打ち損じてしまいます。

客観視すれば「ただのボール」。
 
それが証拠にプロの試合のラリーを会場やテレビで見ていると、自分がコートに立ってアマチュアプレーヤーを相手にした時に受けるボールと比べても、「それほど速くない」と感じることがあるでしょう。
 
それは客観視できているからです
 

▶客観視で「まったく別の世界」が見えてくる

 
『新・ボールの見方~怖れのメガネを外してありのままに見る技術』では、ラケットを持たずにボールを見送る体験をしてもらいます
 
「何の練習の意味があるの?」と思われるかもしれません。
 
今までとは、まったく別の違った世界が見えてくるのです


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