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シン・映画日記『ミセス・ハリス、パリへ行く』

TOHOシネマズ シャンテシネでイギリス映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』を見てきた。


要するにロンドンの家政婦がパリのクリスチャンディオールでオートクチュールのドレスを買う話を、
資金調達からディオール本店でドレス調達からその後の話をストーリーの高低盛り上げの波をふんだんにまぶして展開。

1950年代後半のロンドンとパリが舞台。
家政婦という労働者階級で黒人の友人、パブでの語らい、ドッグレースのシーンなどイギリスらしさを存分に味わえ、
パリのシーンでも高嶺の花のディオール本店はもちろん、ストライキでゴミが貯まる街中やメゾンやムーラン・ルージュのシーンなど、こちらもしっかりと堪能出来る。

さらにこの映画は随所でサルトルの哲学の引用が見られる。
即自存在や対自、実存主義、存在と無などがあらゆる設定、シチュエーションで見られる。
主人公エイダの旦那が生死不明の状態で、その結果が小包で届けられるくだりはまさしく「存在と無」を地で行くエピソードだし、
エイダのディオール本店での展開もサルトルの哲学が根付いていて、考えれば考えるほど味わい深い。

しかしながら、ドッグレースにしろ後半のオートクチュールドレスの顛末にしろご都合的な展開が多い。
が、全てはラストシーンのためにあり、
この美しさと気品のため、ととればありかな、とも思える。

パッと見のおばちゃんお洒落映画と思いきや、
なかなか深い映画だった。

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