夏目漱石と正岡子規が通った松山の温泉とは?
2月21日は漱石の日
夏目漱石は、1984年~2004年に発行された1000円札の顔。そのため、1000円札のイメージを浮かべる方は、まだ多くいらっしゃるでしょう。
1911年2月21日、文部省が夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として辞退。文部省専門学務局長の福原鐐二郎に手紙を通じて送りました。このエピソードから、「漱石の日」が誕生しました。そのため、夏目漱石の命日でも誕生日でもありません。
夏目漱石と正岡子規
出会い
正岡子規と夏目漱石は同い年で、東京大学予備門入学して4年後、共通の趣味の寄席通いで意気投合し、お互いの才能を認めあう友人関係でした。
松山で再会
夏目漱石が松山中学校(現在の松山東高校)の英語教師として1895年、1年間だけ松山に赴任。正岡子規は松山市出身。その夏、正岡子規が帰省の時に夏目漱石の下宿先に居候。そのときに俳句を勉強しつつ、芝居鑑賞、道後温泉も一緒に楽しんでいました。正岡子規も、俳句の新境地に達する足掛かりになりました。
その後、夏目漱石は神経衰弱のリハビリの一環で、「吾輩は猫である」で作家デビューし、「三四郎」、「坊ちゃん」などロングセラーを連発。正岡子規は、俳句の新境地を拓き活躍しました。
道後温泉
松山市のターミナル駅、伊予鉄松山市駅から路面電車で20分。正岡子規、夏目漱石が一緒に通った松山市の名湯。飛鳥時代には存在が知られており、聖徳太子(厩戸皇子)、中大兄皇子など歴代の偉人が入浴したり、万葉集や源氏物語にも登場します。アルカリ単純泉で、刺激が少なく肌に優しいアルカリ性単純泉の湯質。18本の源泉があり、20~55℃の温度帯でバラバラ。源泉同士でブレンドしてちょうどよい温度に調整させ、一切手を加えず源泉かけ流しの贅沢ができます。
温泉街の魅力は、レトロな街並み。駅に降りた瞬間、夏目漱石と正岡子規が足を踏み入れた当時のような街並みが広がります。1911年の旧駅舎の洋風建築の外観を復元しています。駅前に展示されている「坊っちゃん列車」と「からくり時計」がレトロ感を醸し出しています。お土産には、タルトがぴったり。タルトなど、松山市、愛媛県のオススメのお土産について、こちらの記事をご覧ください。
道後温泉本館
道後温泉駅から徒歩5分。重厚な屋根、玄関と巨大な木造建築が道後温泉のシンボル。1894年、老朽化していた道後温泉本館を改築。コンセプトは、「100年後でも、他の場所でマネできないようなものを作ってこそ、はじめてそれが物を言うことになる。」120年近く経った現在では、鉄筋コンクリートの建物、ビルが増えましたが、現在も当時のまま残り、コンセプトの通り、唯一無二の建物です。
2021年訪問時、道後温泉本館改修中のできごと。四方を火の鳥のマッピングアートで覆われた道後温泉本館を見ることができました。今はテントも近くの学校で再利用されています。建物を解体して補修してから組み合わせるというパズル方式で改修工事を行っています。
参考文献
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