何のプロでもない私の、何てことない日常

どこにでもいる、そこらへんの人。

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最近の記事

おばあちゃんがいるといいのにな

忘れもしない、小学校1年生の夏休み。宿題の1つだった読書感想文の課題図書の1つが、松田もとこさん作の「おばあちゃんがいるといいのにな」だった。 両親共働きだった私も、作品に登場する「ぼく」のように、おばあちゃん子だった。とはいえ当時の私の祖母は鈴木その子さんのように(まではいかないものの)、ファンデーションを塗りたくり、派手な洋服を着た若々しいおばあちゃんだった。 酒は飲むし、いつもはつらつとしていてよく笑った。運転免許は持っていなかったため、スーパーには車輪付の大きな「ガ

    • 母の日のこと

      「ママ、いつもありがとう」 息子たちがニコニコと私の前に立つ。 「わぁ。ありがとう」 私はさも驚いたような声を上げ、彼らを抱きしめる。後ろ手に隠したプレゼントは、実は用意されていたのを知っていたけれど。 男兄弟で義父を高校生の頃に亡くした夫は、あまり年間行事に積極的ではなかった。というか、思春期に親を失い、義母も長らく落ち込んでいた家庭だ。祝い事などそれっきりやらなくなってしまったのかもしれない。 長男が生まれて初めての母の日には、実母が「頑張っているママ」に向けたメッ

      • 悔し涙の理由

        息子たちは、夜のおむつがなかなか外れなかった。というか、次男に至っては現在進行形で、まだパンツで眠れていない。 昼のおむつ卒業は、遅くも早くもなかった。長男は3歳の誕生日を迎える少し前、次男も3歳を過ぎた頃に、パンツへと移行した。 しかし、夜のおむつは本当に長かった。まだ息子が生まれたばかりの頃、当時年長だった知り合いの子どもが夜おむつを履いていると聞いて驚いたが、その頃は我が子も同じ道を辿るなどとは、思ってもみなかった。 おむつを履いていれば、漏らしても特に被害はない。

        • 未来の君へ

          「ずっとそばにいて」 布団に入ると、最近君は言う。「この部屋から出ないで」そうつぶやく君はどこか寂しそうで、そしてちょっと眠たそうだ。 「大丈夫、ここにいるよ」そう言って君の柔らかな髪を撫でる。安心したように目をつむると、君は瞬く間に夢の世界へと吸い込まれて行った。 君の寝息が聞こえると、そっと布団を抜け出す。「約束を破ってごめん」という気持ちがないわけではないが、ここからは君には言えない秘密の時間だ。 大丈夫、君は朝まで起きないから。もし起きたとしても、自ら言い出した約

          スポーツを選ぶ観点

          夫はゴルフをする。 出会った頃はとにかく一緒にいたいがために、必死でゴルフに興味があるフリをした。練習場へ行くと言えば着いて行き、座って夫がスイングするのを眺めたり、「たまにはやってみますか」というスタンスで教わったりもした。 が、彼が何を言っているのかは、1ミリも理解できなかった。 そうこうしているうちに下手なりに少しは打てるようになり、友人夫婦とラウンドに行ってみようかという話になった。 そして秋に差し掛かったとある日、私たち4人は某県のゴルフ場にハーフラウンドに行っ

          幸せについて本気出して考えてみる前に気づいたこと

          幸せの感じ方は、さまざまだろう。 私もそれなりに幸せを感じて生きてきたと思う。志望校に合格したとき、コンクールで入賞したとき、誰かに頑張りが認められたとき、好きな人と結ばれたとき…。 その時々で変わる幸せを噛みしめながら、一方で取るに足らない挫折を経験しながら、現在に至る。 じゃあいまの幸せはなんだろう。 大好きなポルノグラフィティの楽曲にもあったように、「ちょいと本気出して考えてみるか」などと思ったが、そこまで本気で考えなくても、その答えはすぐに見つかった。 私の幸

          幸せについて本気出して考えてみる前に気づいたこと

          エッセイストというゴール

          「エッセイは、いわば人に見せるために書いた日記のようなもの」 先日、ラジオでふかわりょうさんが言っていた。「エッセイとはなんぞや」と、漠然とした理解のなかで悶々としていた私のなかに、その言葉はストンと落ち込んだ、気がする。 ハライチ・岩井さんの「僕の人生に事件は起きない」も、何てことのない日常を、面白おかしく、そして腹黒く綴ったものだった記憶だ。彼の文才によって、事件の起きない人生も多くの人の興味をそそるエピソードになるし、さくらももこさんがたびたび出していたエッセイも然

          言い間違いと聞き間違いと勘違い

          「おしょくじけん」のような聞き間違いは、誰にでもあるものだ。 中学の修学旅行は、広島だった。私たちはバスに乗り、現地の方の話を聞いた。幾度となく語り部の方が発する「ゴイコツ」を、私は「骸骨」の方言だと信じて疑わなかったが、その後のクラスメイトとの会話のなかで「ご遺骨」だったことを知った。 中学生にもなれば、勘違いのレベルもなんだか高いような気がする。などと、自分で言うのもおかしな話だが。 しかし息子が生まれて、小さな子どもの言い間違いや聞き間違いはとんでもないなと感じる

          言い間違いと聞き間違いと勘違い

          人生ツイているか

          「これまでの人生は、ツイていると思いますか?」 オンライン面接で、何度もされた質問だ。 自慢じゃないがまともに就活をしなかった私は(本当に何の自慢にもならない)、面接の対策を知らない。一瞬だけいた某アニメ会社はコネ入社だったし、その後4年ほど勤めた日本語学校は、「今から面接来れる~?」「いつから働ける?」という非常にフランクな職場だった。 ちなみに、大学3年の頃に1社だけ面接を受けたが、案の定落とされた。 ライターとして活動するようにになった当初、クライアントとはクラウド

          小1の壁

          次男が小学生になった。 小さな子を持つ母だったのに、母親業も9年目。我が家に未就学児はいなくなった。 小学校に兄弟まとめて通ってくれるのはありがたいが、新入生は何かと大変だ。園児の頃のように、朝離れがたくて号泣することはなくなったが、息子そのものにかける労力というより、学校関連の諸々が負担になっている。 「学童に入れればよい」 の一言で解決する話だ。しかし、息子たちはおうち大好き人間。私も在宅ワークということで、「まぁ普通に帰ってくればええんとちゃうん」と思って幼稚園より

          夢で逢えたら

          従兄の夢を見た。 8つ上の従兄は高身長イケメンで、優しくて穏やかで、素敵な人だった。 小学生の頃に、既に高校生だった従兄が茶髪にして、自室でゲームをしているのをウキウキしながら見ていたのを、いまでも覚えている。 目が覚めると夢の記憶はおぼろげだったが、私と兄、そして親類で食事をしようとか、我が家に来るとか、そんな他愛もない、だけど楽しい内容だった。と、思う。 だけど夢のなかで、私はもう従兄に会えないことにも気がついていた。 「時間を戻せれば」「もうそのときにはいないのに

          アビが鳴く

          年明けのライブに行くことが決定してから、再熱したポルノ愛。 熱したり冷めたりを繰り返しながら、それでもやっぱり「好き」という気持ちが変わらないことを痛感する今日この頃だ。 そんな私が昨年手始めにやったのは、ティックトックのフォロー。そこで、オンライン配信で厳島神社の奉納ライブをやることを知った。 夫に子どもたちを任せ、万全の体制で自室に引きこもって聴いた数曲のなかにあった「アビが鳴く」。 リリースはオンラインライブよりも前だったが、私にとっては初めて聴く曲で、優しいくももの

          6才のうた

          子どもから親へ語りかける系のメッセージが込められた曲は、泣くなというほうが難しい。 先日、息子の幼稚園最後の参観日があった。いわゆる「お遊戯会」的なもので、歌や演奏、劇などで1年間での子どもたちの成長を披露してくれる、アレだ。 息子はもちろんだが、長い長い演目を、堂々と発表する子どもたちの姿に、本当に大きくなったなぁとしみじみとしていたところに、最後に投下されたのが「6才のうた」だった。 子どもからの目線で、1番では生まれたときのエピソードを交え、親への「ありがとう」を

          鋼のメンタル

          「メンタル強いよね」 とあるクライアントに言われた言葉だ。学生の頃は豆腐のようなメンタルだと思っており、30も半ばの昨今もそんなことは自分では感じていなかったので、いささか驚いた。 事の発端は、あるミーティングだった。 私はその頃仕事を舐めていた、というわけではない。ただ、コロナに罹患して以降、調子が悪かった。 感染中こそ軽症ではあったが、その後謎の倦怠感というか、「健康だけどダルい」という時期が半年ほど続いた。そのときは自分自身の怠慢だと思って悩んだが、振り返るとコロナ

          しつけの理由

          私は厳しいタイプの母親だと思う。 根本的に心が狭いので、すぐにイライラしてしまう。息子たちには申し訳ないと思うこともあるし、こんな私を慕ってくれることには感謝しかない。 勉強の習慣、習い事の家での練習、食べ方、挨拶…言い出したらキリがない。そして「脱いだ服を表向きにしてほしい」「パジャマは自分で洗濯機に入れて欲しい」など、「言うよりやったほうが早い」が勝ってしまうものの、まだまだ言いたいことは山のようにあるのが現実だ。 私が子どもにしつけをするのは、2つの理由があるから

          かわいさの理由

          「なんでそんなにかわいいの?」 鬼のような私だが、べらぼうに親バカでべろんべろんに子どもを愛しているので、口癖のようにいってしまう。赤ん坊の頃は「かわいい」を連呼し、義母に呆れられたものだ。 とはいえ、謙遜文化の激しい地域の生まれなので、他人様に息子たちを褒められると「そんなそんないやいやいやいやいやいや」といってしまうのも事実。その後「~って褒められたよ、さすがだねぇ」とニタニタと褒めちぎるのだが。 長男は私のコピーのようだといったが、それは幼い頃の話。今はすっかりおば