夢で逢えたら

従兄の夢を見た。

8つ上の従兄は高身長イケメンで、優しくて穏やかで、素敵な人だった。
小学生の頃に、既に高校生だった従兄が茶髪にして、自室でゲームをしているのをウキウキしながら見ていたのを、いまでも覚えている。

目が覚めると夢の記憶はおぼろげだったが、私と兄、そして親類で食事をしようとか、我が家に来るとか、そんな他愛もない、だけど楽しい内容だった。と、思う。
だけど夢のなかで、私はもう従兄に会えないことにも気がついていた。

「時間を戻せれば」「もうそのときにはいないのに」と、兄に泣きながら話していた。
果たせない約束を夢のなかでして、何ともいえない気持ちで目が覚めたが、起きた頃には夫はすでに仕事に出かけており、不思議な夢については一旦「まあいいか」となったのだが。

やっぱり気になって調べたところ、その日は従兄の命日だった。

6年前、従兄は亡くなった。交通事故だった。
原付だかバイクだかで信号待ちをしているときに、後ろから来た車に衝突され、そのまま息を引き取ったという。
その1ヶ月後、従兄を非常に可愛がっていた父方の祖父も亡くなった。次男が生まれた年の出来事だ。

従兄とは結局、子どもの頃に数回会って、大人になって1度だけ会っただけなので、「亡くなった」という事実ですら、悲しいと思いつつもどこかぼんやりとした感覚だった。
実家には彼の写真が飾ってあるので見るたびに思い出しはするが、夢に出てきたのは初めてだったし、それが命日なのはなおさら驚きだった。

夢には、記憶が反映するという。
だから「思い出して」と彼が出てきたわけではなく、明確ではないものの「この時期だった」と私が覚えていたのがその理由だろうが、それでもやっぱり、タイミングよく夢に出てきたのはただの偶然だったり、私の記憶によるものだけだとは思いたくない。

「会いたいな」
久しぶりに見た彼の笑顔が、私をそんな気持ちにさせた。

伯母に話すと、「私のところには一度も出てきてくれない。羨ましい」と言われた。故人が夢に出てくるのは、その人の気持ちの整理がついた証でもあるという。

我が子を失う苦しみや悲しみは、体験せずともわかる。想像するだけで身が引き裂かれそうになるし、だから伯母が亡き息子への気持ちにどこかで区切りをつけるのは難しいだろう。
だけど、いつか伯母の夢にも、彼が出てきてくれればいいと思う。

私は来年も、そしてこの先も、二度と会えない彼にまた夢で逢いたいし、憧れだった従兄の命日を忘れないでいようと、思うのだった。

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