母の日のこと

「ママ、いつもありがとう」

息子たちがニコニコと私の前に立つ。
「わぁ。ありがとう」
私はさも驚いたような声を上げ、彼らを抱きしめる。後ろ手に隠したプレゼントは、実は用意されていたのを知っていたけれど。

男兄弟で義父を高校生の頃に亡くした夫は、あまり年間行事に積極的ではなかった。というか、思春期に親を失い、義母も長らく落ち込んでいた家庭だ。祝い事などそれっきりやらなくなってしまったのかもしれない。

長男が生まれて初めての母の日には、実母が「頑張っているママ」に向けたメッセージ絵本的なものをくれた。父の日に私が「息子からだ」とプレゼントを用意すると、翌年からその役目は夫になった。

時代の流れか、息子たちが通った園は母の日も父の日もノータッチだった(なのになぜか、敬老の日には祖父母に宛てた手紙や絵を用意していた)。

だからテレビや近所のショッピングモールで「母の日」にちなんだ何かがない限り、息子たちはそれに触れることはなかったが、昨年長男が「ママに何か買いたい」と、私の母に相談したそうだ。

そうして自分のお小遣いを持って、選んでくれたのはマグカップ。次男は次男で、夫と一緒にハンカチをくれた。大人が用意した物を渡す母の日から、「お小遣いで、選んだものを」くれる母の日になったのは、つい1年前のことだ。

今年は母の日の前日にショッピングモールへ行き、息子たちは夫とゲームセンターへ、私は実母に約束していたプレゼントを一緒に選びに行った。昼食の時間に待ち合わせをしたところ、なかなか来ない彼らがどこにいるかは謎だったが、何をしていたのかはお見通しだった。
パンパンにふくらんだリュックを背負って現われた長男は、「お茶ちょうだい」といったら、「リュック開けないで!」と必死だった。必死すぎて可愛かった。

迎えた母の日、早起きして仕事に出かけた夫と共に、恐らく私への贈り物が入っているであろうリュックも出勤してしまった。長男は「パパが~」といいながらも、今度はおばあちゃんに何かコソコソと相談し、次男と共に別の部屋へ消えた。

10分後やってきた息子たちは、後ろ手にお手紙を持ってきた。
「ママ、いつもありがとう」
そう言って渡された手紙は、それぞれ誰の助けも借りず、自分で考えた書いたという。

「いつもありがとう。これからもよろしくね。これからもたのしくいっしょにいようね」
ひらがなばかりで綴られた、未来の約束がいっぱい詰まった次男の手紙は、小1らしいかわいいで溢れていた。

「いつもぼくのやってほしいことや、なやみごとをきいてくれてありがとう。これからもおしごとがんばってね。ぼくも学校やピアノ、だんす、たいそうをがんばります。これからもいっしょになかよくしていきましょう。おせわになりますがこれからもおねがいします。」
正直なところ「アンタ、悩み事なんかあったんかい」というのが最初の感想だったが、それでもたった8年しか生きてきていないのに私の心に寄り添った言葉を紡いでくれる長男には、親バカながら感動した。
思っていても伝わらないものを、こうして形にして渡してくれるのが、うれしかった。

夫が仲よく仕事にまで連れて行った長男のリュックは夕方帰ってきたが、プレゼントをくれたのは夜だった。これまた2人で後ろ手に隠していたが、中身は予想を反してワンピースだった(勝手にポーチか何かだと思っていた)。
私が自分では絶対に選ばない、水色の花柄ワンピース。「ママに似合うだろう」と、2人で意見が一致したそうだ。

物が欲しいわけじゃない。感謝を伝えてほしいわけでもない。だけど、一生懸命に毎日彼らを愛し、できる限りのことをしているつもりだから、こうして母の日に母を母と認めてくれることがうれしいし、「ちゃんとお母さんできてるのかな」と、ちょっとだけ安心する。

心が温かくなる、最高に幸せな母のにだった。

ちなみに5月は彼らの伯父の誕生日もあり、「箸をあげる」というから選びに行った。財布を忘れた彼らに私は「立て替えてあげよう」と言い、そのぶんはあとできっちり貯金箱から徴収した。
普段は貯めるばかりのお金なので、こういうときにはしっかりと使わせようというのが、我が家のスタイルだ。
と、思っていたのだが、前述のワンピースは夫が支払い、「お金はいいよ」と言っていた。なんだか私だけガメツい感じだなぁと思ったが、父の日のプレゼントは毎年私が払っているので、まぁそれと誰かの誕生日は別問題でいいのではないかと自己完結した。

来月は父の日。いままでは勝手に選んでいたけど、今年は息子たちに選ばせてみよう、手紙も添えて。
夫が喜ぶ顔が、今から目に浮かぶ。

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