おばあちゃんがいるといいのにな

いえのなかにでーんとひとり、おばあちゃんが、いるといい

「おばあちゃんがいるといいのにな」より

忘れもしない、小学校1年生の夏休み。宿題の1つだった読書感想文の課題図書の1つが、松田もとこさん作の「おばあちゃんがいるといいのにな」だった。

両親共働きだった私も、作品に登場する「ぼく」のように、おばあちゃん子だった。とはいえ当時の私の祖母は鈴木その子さんのように(まではいかないものの)、ファンデーションを塗りたくり、派手な洋服を着た若々しいおばあちゃんだった。
酒は飲むし、いつもはつらつとしていてよく笑った。運転免許は持っていなかったため、スーパーには車輪付の大きな「ガラガラ」を引いていき、家族5人分の食事を作るために、大量の食材を買い込んでいた。

カラオケや日舞など、習い事にも積極的だった。

「おばあちゃんっぽくない」「もっと小さくてかわいらしい『ザ・おばあちゃん』って感じがいい」当時のイケイケな祖母は、それはそれで大好きには変わりなかったが、私はときどきこのような無理難題を祖母に押しつけた。
祖母は「そうね~、そのうちね」と、笑っていた。

「おばあちゃんがいるといいのにな」は、おばあちゃんとの何気ない日常が描かれている、心温まるストーリーだ。かと思いきや、おばあちゃんは突然病気になり、天国へと旅立ってしまう。

先日、息子とたまたまこの本を読む機会があり、後半に行くにつれて鼻の奥がツンとなった。とはいえ出先だったため、涙を堪えて最後まで読み切ったのだが。

「ぼく」と同様におばあちゃんが大好きだった私は、中学生になっても、高校生になっても、自室ではなく祖母の部屋で眠っていた。反抗期にはちょっとケンカもした。
祖母も祖母で、フルタイムで働く母から私の世話を任されていたので、「目の中に入れても痛くない」ほどにベロンベロンに甘やかす反面、私が間違ったことをすれば鬼の形相で怒り狂った。
公文の宿題をため込んでいたのを隠していたのがバレたときは、玄関先に放り出され、その後真っ暗な和室で正座させられた。

それでもおばあちゃんが大好きで、楽しい毎日は永遠に続くものだと思っていた。

あの日、私はテスト期間が終わった開放感で友人とカラオケにいた。その最中に数回かかってきた祖母からの電話を「あとでいいや」と無視して、電車に乗る前に折り返した。
聞こえてきたのは「助けて!」という苦しそうな祖母の声だった。

冬の寒い日、ウォーキングをして帰宅した祖母は、「暑い暑い」といいながら、洗濯物を取り込みにベランダへ出たという。そこで頭の血管が切れた。

私が慌てても電車が急いでくれるわけでもなく、自宅に戻ったときには、母が救急車を呼んで病院へ行ったあとだった。いつもと同じはずのリビングが妙にしんとしていたが、私は「ごめんね~、ちょっと体調が悪くなっちゃって~」などと、病院のベッドで祖母が笑顔で出迎えてくれるだろうと、どこか期待していた。
母が私を迎えに来て、病室で目にしたのはまさに「死にかけ」の祖母だった。つらそうに息をしており、意識があるのかないのかもわからなかった。
ショックだった。遠方からかけつけた叔母が大号泣しているのを見て、「ばーちゃん、死ぬのかな」と思ったら、余計に悲しくなった。

それからは学校から帰ると、母の帰宅に合わせて祖母の見舞に行くのが日課となった。隣の布団には、母が眠るようになった。

「ぼく」と違ったのは、祖母が脅威の回復力で自宅に戻ってきたことだ。
「ぼけます」「寝たきりになります」といわれた祖母は、持ち前の根性でリハビリを頑張り、左半身不随ながらもトイレや着替え、食事、歯磨きなど、最低限の身の回りのことは自分でできるようになった。
それでも何かあったら心配だからと、介護用ベッドの隣に布団を敷いて、私はまた祖母と眠るようになった。
大学に進学して1人暮らしを始めても、月に1度は祖母の顔を見に帰った。

一度は終わりかと思った祖母との歩みは続き、成人式、結婚式、2度の出産。人生の節目を一緒にお祝いしてくれた祖母は、息子たちのランドセルも買ってくれた。
あれからもうすぐ20年が経つが、祖母はまだ生きている。90歳に手が届きそうな年齢になり、数年前に背骨を圧迫骨折してからは歩けなくなったものの、頭のほうはまだまだ元気だ。

ほぼ毎日顔を合わせるなかで祖母とはいろいろな話をするが、頭を寄せ合って、他には聞かれたくない話をひそひそとしてクスクス笑い合うと、お互いに年齢を重ねた気がしないことがある。いくつになっても、世界にたった1人の大好きなおばあちゃんであり、お母さんでもあるのだなと、改めて感じる瞬間は少なくない。

トイレに連れて行かなければいけない、着替えを手伝わなければいけない。耳が遠くなった。リモコンの操作に迷うことがある。年寄り特有の八つ当たりで、こちらも大声で言い返してケンカをしたこともあった。

真っ白な髪で、ずいぶん小さくなった祖母。ここ数年で大変なことも増えたが、それでもそこにいるだけで、いてくれるだけでいい。

「おばあちゃんがいるといいのにな」いつかそう思う日が来ることを想像するとつらくなるが、いま大好きなおばあちゃんが目の前にいる時間を大切にしたいと、心から思うのだ。

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