恐怖のスタジオ〇〇〇

次男はこだわりが強い。

自我が出るようになってからはすっかり乗り物にハマり、衣類のどこかに乗り物がついていなければ納得しなかった。長男はそのあたりのこだわりがほぼない幼児だったので、長男のお下がりの半分は無駄になった。

息子たちの誕生日はともに1月なので、我が家では毎年1月に、テレビCMも流れる某子ども向け写真スタジオへ撮影に行くのが恒例だ。ちなみにディズニーに出てきそうな彼女のほうではなく、土管からいろいろな世界にワープするほうのスタジオである。

長男はああいった雰囲気が好きなのか、乳児の頃以外は泣いて撮影ができないということはなかった。次男も1歳と2歳の誕生日は、ニコニコで撮影に挑んでいた。
しかし、事件は3歳の誕生日に起こった。

衣装を選ぶまではよかったのだが、着替えを断固拒否したのだ。

泣き叫び、暴れまわり、もうどうにも手が付けられないと悟った夫は「あきらめよう」といった。しかし、私は諦められなかった。毎年1回の子どもの成長記録が途絶えるのは、悔しかった。

そうしてどうにかなだめて洋装だけは着られた。着替えが終わってもギャンギャンと泣き叫ぶ次男を見て、私は疲弊していた。しかし撮影が始まると、次男は嘘のようにノリノリでポーズを決めまくっていた。

何の時間だったのだろう。
私は試されていたのだろうか。

そう思ったが、とにかく無事に撮影できたことにほっとした。そのままの勢いで和装もいけるのではと思ったが(七五三的な写真を撮りたかった)、「着物着てみるぅ?」とテンション高めに言った途端に、次男は能面のような顔をして「いや」と一言言い放った。

恐怖のスタジオ撮影から1年後、またその季節がやってきた。その年、少し成長した次男には事前にいろいろと話をした。「ニコニコで写真が撮れたら、好きなものを食べようね」と約束した。

そうして迎えた当日、洋装は問題なく撮影できた。しかし、和装は自分で選んだにも関わらず、着替えが終わると次男は静かに泣いていた「痛い」「苦しい」などと申していたが、もう着てしまったのだからいけるだろうと踏んで、撮影ブースに移動した。
その後、次男が泣くことはなかったが、できあがった写真はすべて能面だった。写真にうつらない場所で私が次男の手をつなぎ、次男は生気のない顔でどこか遠くを見つめていた。

「もう和装はいいのではないか」

そう思った。夫も当然思っていただろう。だけど成長すれば、きっと、いつか。そんな思いを捨てきれず、5歳の撮影を迎えた。

「今年もまたこの季節が来た」私の胸のなかは、ワクワクと恐怖心がせめぎ合っていた。また泣かれるのではないか、拒否されるのではないか。「そこまでしなくても」と思われるかもしれないが、かわいいワンピースやドレスを選び放題の女児と、男児は違う。洋風の正装はほぼどれも同じなので、私はどうしても和装をさせたかった。

その年、私は恐怖から解放された。次男は最初不安げだった。しかし、スタジオで発見してしまったのだ。

刀を。

仮面ライダーが大好きな次男は、戦いごっこも好きだった。本格的な雰囲気を放つ刀を見た次男は「あれを持って写真が撮りたい」といい、ウキウキしながら着替えにいき、満面の笑みを浮かべながら登場した。

和装の魅力に気づいた次男は無敵だった。傘を持つときや正座をするときは菩薩のようなスマイルを浮かべ、刀を持つときりっとした表情になった。
「子役になれるのでは」私のなかの親バカが大爆発した瞬間だった。

今年の1月、次男は6歳になった。今年もかっこいいポーズをキメる気満々だった次男は、水色の着物をチョイスした。長男と並んでうれしそうに笑う次男を見て、「根気よくやってきてよかった」と、私の意地も報われた気がした。

長男は相変わらず、スタジオ撮影が大好きだ。子供向けスタジオでの撮影年齢に制限はなく、成人式の撮影をする人もいるが、基本的には小さい子向けの衣装が多い。
「何歳まで撮りに行くの、これ」と「もういいだろう」オーラ全開の夫に、長男は「50歳まで!」と、元気よく答える。

いつか、そう遠くない未来に彼も「そんなもん行くかよ」と言い出すだろう。それも成長だと受け止めなければいけないが、想像するとちょっと寂しい。

だから、息子たちが「もういいよ」というまでは、年に1度ちょっと奮発して、家族の記録を残していきたいと思っている。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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