コロナ禍、結婚、仕事疲れもあり、めっきり友達と会う機会が減りました。会おうと思えば会えるんでしょうが、なかなか気力が出ません。 そんな中、改めて「友達」って何なのかを考えてみようと思います。 哲学者のアリストテレスは、友愛について、このように言っています。 友愛とは「相手が価値あるものを手に入れるといいな」と願い、それをお互いに願い合うこと。 友達が健康で、幸せに生きているといいなとお互いに願い合うことが友愛ということでしょうか。 「あいつ、元気かな?」っ
2022も残りわずかですね。皆さんはいかがおすごしでしょうか。私はこの1年を振り返ると、色々と変化のあった1年だったなと感じます。変わったことは色々とあったけれど変わったのは環境だけで、自分の中身はそこまで変わらなかったなぁという実感です。 環境の変化にも焦らなくなり、自分を見失うことがなくなったととれば、成長したのかな。と思いますが、自分の中に変化がないとどこか停滞感を感じてしまいます。(変化と成長を結びつけること自体が間違ってるのかとも思ったり、、、。) そんな
いつもお読みいただきありがとうございます。この記事は、先日投稿した記事の続きになります。まだお読みでない方は、下のリンクから、記事に移動してください。 1.子供の行為は「わがまま」か 初めの話に戻ってみよう。 親A:「ゆうきがスイミングスクールに行きたがらないのは、サボりたいだけ。泣いたってだめだよ。厳しく言って聞かせないと。ここでサボらせちゃうとなんでも自分の思い通りになると思っちゃうし、嫌なことから逃げる頑張れない子供になっちゃう。あれは”わがまま”だよ。」 では
濃厚接触者になり、自宅待機を余儀なくされました。昨日は、ちょうど解除日だったわけですが、勤務は控えるように言われたので、実質自宅待機6日目になりました。とほほ。 そんなわけで、退屈しのぎとして、昨日は、インスタライブをしながら、4時間ぶっ続けで勉強してみました。(高校の親友がほとんど付き合ってくれて嬉しかった。)充実してましたね。楽しかった。哲学の勉強を3時間、現代文を1時間やりました。 勉強を開始すると、昨年度の同僚がコメントをくれました。その質問が、 「今、勉強して
多様な子供たちを指導・支援している中で、対応に悩むことはたくさんある。今回は、その中でも、「わがままと個の尊重」について考えてみたいと思う。 なぜ、「わがままと個の尊重」について、考えようと思ったのか。それは、子供への対応を巡る2人の大人の発言に疑問を抱いたからだ。 ・スーパーで出会ったご家族の会話 私は妻の買い物が終わるまで、スーパーマーケットのイートインコーナーで読書をしようと椅子に腰掛けた。ふと、前方を見ると、ソファー席で子供が泣いている。私が推測するに小学
従順とは (━する) 人の言うことやきまりなどに素直に従うこと。 Aさんは、社会人1年目。希望の会社から内定をもらうことはできなかったが、なんとなくエントリーした会社から内定をもらい、4月から仕事を始めることになった。経験豊富な先輩や上司からたくさんの指導をいただき、なんとか自分の仕事を覚え、一人でできることが増えた。そして、舞い込んでくる仕事を忠実にこなせるようになり、立派な社会人となる。 そんなある日、Aさんは、得意先から紹介された見本市に出掛け、ある商品と出会う。
久しぶりのnoteです。2021は、変化のある1年でした。主な変化は、教員採用試験があったり、引っ越したりですね。備忘録として月ごとにどんなことがあったか振り返ってみます。 1月:いよいよ教員採用試験に向けて、勉強に本腰をいれていかないといけないなと思っていた頃。教員採用試験は、筆記試験と面接試験に分かれていて、筆記試験では一般教養と教職教養、専門教養が問われます。勉強自体は教職教養をメインに一般教養も少しずつ勉強していました。そして、この頃は、勉強のやる気が少しずつ落ち
この歳にして初めて、太宰治の「人間失格」を読みました。なんとなく読んでみようと思ったこの本を今読むことができたのはラッキーでした。なぜかというと自分というものと自分が置かれている状況を最近になってようやく理解できてきた気がするからです。自分とリンクする部分が多かったので、自分が感じたことを綴ろうと思います。記録として残すだけなので読みづらいと思います。(読んだことがない人はネタバレになるかもしれないのでスルーをオススメします。) 1.人の顔色ばかり伺ってきた葉蔵。 他
明けましておめでとうございます。1年が過ぎるのは本当にあっという間です。年々、時間が過ぎるのが早くなっているように感じます。 今日は1月5日(火)です。私は今日から仕事初めです。お正月で怠けきった体を叩き起こすのに苦労しました。眠いです。朝は、ハンドドリップでコーヒーを淹れているのですが、タリーズで買ったエチオピアの豆が美味しいです。今回は、そんなコーヒーをお供に、新年の抱負を綴りたいと思います。 1.なぜ抱負を決めるのか なぜ、抱負を決めようと思ったのか。それは
今年は、勉強の面白さに気づいた年でした(おっそ)。何で今ごろ気づいたのか考えみることにします。いつものように散文になります。 1.私にとっての勉強の位置付け(小学校編) 小学校の頃は大体の教科はよくできていたようです。小学校の頃の通知表を見ると、◎◯△の三段階評価で△はありませんでした。ほとんどが◯だったので全体的に普通だったのでしょう。(三段階評価に客観性はあるんですかね)図工と体育は好きでした。絵で褒められることが多かったです。図工と体育は遊びの感覚でした。冬場の
「明日死ぬとしたら、あなたはどう生きる?」 よく聞く言葉だが、これを考えられるかどうかで、あなたの日々の過ごし方が変わるはずだ。「毎日がつまらない」「やりたいことがわからない」「人と関わりたくない」と思っている方は、真剣に考えてみるべきだ。 なぜなら、時間の有限性を考えることで、自分が大切にしたいものが自ずと見えてくるからである。 明日死ぬとして、いつもの生活を送る場合を考えてみよう。今の時刻は21時。明日の24時に命が終わるとすれば、命の時間は残り27時間。夜
季節の変わり目、なんだかやる気が出ず、noteの更新ができていませんでした。気を取り直して ・誰の作品? 「これでいいですか?」・・・絵を描き終えた後に、子供が発します。それに対して大人は「ん〜。もっとここは大きく描いて、ここはこの色の方がいいよ」と子供にアドバイスを授けます。そして、それを聞いた子供はその通りに直し始めます。私は、このような場面を学校の中で数多く目撃してきました。そして、疑問を感じてきました。「完成した作品は誰の作品なんだろう?」って。子供の作品?大
今まで生きてきて、正解を求めるのに必死でした。そして、その正解は他者からの評価であることが多かったです。テスト勉強ばかりやってきたせいでしょうか。 学校は5教科で500点を採ることを求めてきました。間違えがあれば、答え合わせをすることで正解にたどり着くことができ、点数を上げるには「苦手な教科に取り組むこと」が大切でした。赤点を採れば叱られました。他人からの評価が絶対だったように感じます。 だから、生きていて辛いことがあったら立ち向かいました。幸せになりたい、成功した
「挨拶しなさい!激おこぷんぷん丸!」 挨拶を注意された経験ありますよね。その中には「もっと大きな声で、明るく、元気に、笑顔で」と注文の多い指導も多かったのではないしょうか。子供たちは、挨拶しないと叱られるから、大きな声で挨拶すると褒められるからという理由で大人の言う通りにします。素直な子供達はこれで元気な挨拶をしてくれるようになります。やったー! ほとんどの先生がこの方法をとっていると思います。できなければ叱る。やり直しをさせる。できたら褒める。とても簡単です。こうい
「逃げるな」「負けるな」というワード。学校を中心に、様々なところで言われてきました。言われ続けてきました。私は逃げたくなる時がたくさんあります。今もそうです。昔は、辛い部活動に逃げたくなる時がありました。楽しくもない勉強に逃げたくなる時がありました。会いたくない人がいて学校に行きたくない時がありました。1限に行きたくない大学時代がありました。めんどくさい取引先の人に会いたくない営業時代がありました。やりたくないことだらけ。 そんな逃げたいことばかりの世の中で、学校は、逃
ふと、転職してから成長したこと、できるようになったことはなんだろうと考えました。すぐに思いついたのは、「給食の配膳で、汁物をよそうのが上手になった。」こと。 「お汁をよそうことくらい誰にだってできるだろ」なんて思ってもらっては困る。難しいのだ。なぜなら、均等に盛り分ける必要があるからだ。 私の学校では、一度に24食分のお汁をよそう。最初から多めによそうと後半にお汁が足りなくなったり、その逆で少なめによそったりすると、お汁が余り、すでによそってあるお椀に分けなければな