トモダチ
コロナ禍、結婚、仕事疲れもあり、めっきり友達と会う機会が減りました。会おうと思えば会えるんでしょうが、なかなか気力が出ません。
そんな中、改めて「友達」って何なのかを考えてみようと思います。
哲学者のアリストテレスは、友愛について、このように言っています。
友愛とは「相手が価値あるものを手に入れるといいな」と願い、それをお互いに願い合うこと。
友達が健康で、幸せに生きているといいなとお互いに願い合うことが友愛ということでしょうか。
「あいつ、元気かな?」って思った時点でその相手は自分自身にとって、すでに友であると言えるかもしれません。
さらにアリストテレスは、友愛には3種類あるとしています。
1.「有用性に基づいた友愛」
2.「快楽に基づいた友愛」
3.「人柄の善さに基づいた友愛」
一つ目「有用性に基づいた友愛」
相手の人そのものとして愛しているのでは無くて、相手から自分自身に何か善いものが生じる限りに置いて愛している関係
相手と一緒にいると自分に得があるということでしょうか。例えば、自分が授業をサボってたのにノートを貸してくれる人とか、連絡をすれば車で送ってくれる人とかですかね。自分の都合で動いてくれる人と言い換えることもできるかもしれません。
職場の同僚との関係も有用性に基づいた友愛であるかもしれません。自分の仕事を円滑に進め、給料を得るために協力する関係ですよね。
次に「快楽に基づいた友愛」です。
一緒にいると楽しいとか、自分にとって快いから愛している関係
共通の趣味をもっている人とか、セフレとかですかね。サークルの友達は、共通の趣味をもつ人なので「快楽に基づいた友愛」といえるのでしょうか。もしかしたら彼氏、彼女と言われる存在もこれに該当するかもしれませんね。
ここまで、「有用性に基づいた友愛」と「快楽に基づいた友愛」について考えてみました。どちらも、どこかネガティブな印象をもちます。それは、自分にとってよい関係性にすぎないからでしょう。
最後に「人柄の善さに基づいた友愛」です。
”完全な友愛”とは、徳において互いに似ている善き人々どうしの友愛である。
ここでいう善き人とは、徳を身につけている人のことだそうです。徳を身につけている人と聞くとなんだかとてつもなく素晴らしい人を想像するかもしれませんが
元々の徳という言葉は、ギリシア語のアレテーαρετηからきており、「おのおのの事物のもつ優秀な機能」を意味していた。たとえば、ナイフのアレテーはよく切れることであり、馬のアレテーは速く走ることである。なににせよ事物や人物の所有する「有能さ、卓越した点」を意味していたのである。(日本大百科全書「徳」より一部抜粋)
つまり、人に”もともと”備わっている有能さや卓越性を実現することが徳なのだ。ということです。
そして、その中でも、アリストテレスが特に重要とする徳(アレテー)は4つ。
「賢慮(判断力)」
「勇気(困難に立ち向かう力)」
「節制(欲望をコントロールする力)」
「正義(他者や共同体を重んじる力)」
だそうです。
それでは、話を戻します。
完全な友愛とは、徳において互いに似ている善き人々どうしの友愛である。
ということでした。徳のある人同士こそが完全な友愛を実現しているということでしょうか。
これについてアリストテレスは続けてこう言っています。
善き人は相手に対しても善いことを望む。ということと私は解釈しました。自分が幸せだからこそ、相手の幸せを願うことができる。相手が善くあることを願うことができる。ということなのではないでしょうか。
ここまでアリストテレスの友愛(フィリア)を元に友達について考えて見ました。完全な友愛は自分にとっての損得だけではない。ということがわかりました。
「徳」とは何か、という点も深ぼる必要がありそうですが、今回はここまでにしたいと思います。
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