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逃げて何が悪い

 「逃げるな」「負けるな」というワード。学校を中心に、様々なところで言われてきました。言われ続けてきました。私は逃げたくなる時がたくさんあります。今もそうです。昔は、辛い部活動に逃げたくなる時がありました。楽しくもない勉強に逃げたくなる時がありました。会いたくない人がいて学校に行きたくない時がありました。1限に行きたくない大学時代がありました。めんどくさい取引先の人に会いたくない営業時代がありました。やりたくないことだらけ。

 そんな逃げたいことばかりの世の中で、学校は、逃げないように私たちを仕向けてきました。例えば、学生時代の持久走やテスト勉強の時です。どちらもやる気が出ずに辛い中で、先生から「もっと頑張れ」「自分に負けるな」「それは逃げだ」と指導されます。そして、嫌々頑張り、結果として、持久力が上がったり、テストの点数が上がったりしたら、大人は私たちの姿を見てこう言います。「よく頑張った。やればできるじゃないか。」と。さも立ち向かい続けることが正しいかのように。結果、そのような行動が生きる上で大切なことであると思い込んだ私たちは「逃げてはいけない」という思考を善として、脳にインプットするのです。”努力”や”継続は力なり”なんて言葉を簡単に使っていたりもします。

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 ↑エヴァンゲリオンより 碇シンジくんの名言

 しかし、実際の社会はテストや持久走のように単純でしょうか。正解が用意されている学校と同じでしょうか。逃げずに立ち向かえば幸せになれるのでしょうか。私は決してそうは思いません。というより、立ち向かうことだけが全てではないと思うのです。私は大学を卒業して、民間企業に就職した後、転職します。前職では配送や事務を経験したのち、営業をしました。業務は本当につまらなかったです。さらに、モノを売るという行為に魅力を感じることができず、営業にいたっては、数字を積み上げるための作業になってしまいました。そんな仕事をしているもんだから、自分には向いていないんじゃないかと悩んだり、続けていくうちに仕事が楽しくなるかもしれないと自分を鼓舞したりしました。さらに、仕事に楽しさややりがいを求めるべきじゃないと考えたこともあります。

 そんなことを繰り返し考えながら、ある日、営業車の中で仕事を辞めようと決心します。「よし、逃げよう」と思いました。(そう思った直後に、色々な出来事が重なり、違う仕事に誘ってくれる友人が現れたりと、自分の人生の転機になりました。前職の方々含め、関わってくださった皆様に感謝しています。)そして今、講師という形ではありますが、子供達と一緒に充実した日々を送らせていただいております。あの時逃げてよかったです。

 今まで私たちは、「逃げないこと」が正しいと教わってきました。そして、そのような考えは個人だけでなく、そういった教えを学んできた集団=社会の目が逃げたくても逃げられない雰囲気を醸成し、「逃げたい」「辛い」「死にたい」と悩む人々を拘束します。確かに「逃げるな」というワードはこの競争社会にはピッタリです。頑張れば報われる。継続は力なり。努力をしなさい。それはごもっともなのです。

 しかし、辛い思いばかりして、そこに居続ける必要はない。「死にたい」と思ってまでそこに居続ける必要はない。向いていないと思ったら戦略的に逃げればいいんです。環境が変われば、人が変われば、全く違う景色が見えてきます。私のように仕事に向いているかわからない、楽しくなくて悩む人。仕事を続けたいのに、人間関係などで悩む人。様々な人がいると思います。決して、逃げたからといって全てが改善されるとは言い切れませんが、「逃げる」という選択肢があるということを知ってほしいなと思います。

 そして我々、先生という名前を背負っている人たちは、時には逃げることも必要であることを子供達に伝えるべきだと思います。

「継続は力なり だけど向いてなかったらやめろ」

「継続は力なり だけど辛い思いまでして留まる必要はない」 

ぐらいがいい。

以上ポジショントークでした。

それではまた。


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