見出し画像

人は何かにすがりたい


 今まで生きてきて、正解を求めるのに必死でした。そして、その正解は他者からの評価であることが多かったです。テスト勉強ばかりやってきたせいでしょうか。

 学校は5教科で500点を採ることを求めてきました。間違えがあれば、答え合わせをすることで正解にたどり着くことができ、点数を上げるには「苦手な教科に取り組むこと」が大切でした。赤点を採れば叱られました。他人からの評価が絶対だったように感じます。

 だから、生きていて辛いことがあったら立ち向かいました。幸せになりたい、成功したい、人生をよりよくしたいと正解を探しました。自分の弱点を見つめ、克服する方法がどこかにあるはずだと、書店を巡っては店頭に置いてある自己啓発本にすがりました。メンタルを鍛える本とか営業のテクニックとかコミュニケーションの方法とかを読みました。自分は間違っていない、今の自分が正解だと思いたいからgoogle検索にもすがった。自分が抱いている悩みを検索し、同じ悩みを持っている人を見つけて、安心しました。自分だけじゃないと心が救われた。自分と同じ考え方を持っている人を見つけて安心しました。人生を豊かにするものを手に入れれば幸せだろうと色んなものを買った。カメラを買い、自分が感じたものを撮影し、SNSに投稿した。美味しいものを食べれば幸せだろうと食費を削った。貯金をせず好きなものを買った。鬱屈した気分を晴らせば幸せになれるだろうとアーティストにもすがった。今の自分を勇気付けてくれる曲に出会った時は、なんだか強くなれた気がした。お酒にもすがった。ストレスがなくなれば幸せになれるだろうと、週末はお酒を飲んだ。愚痴を吐き、楽しい夜を過ごして現実を忘れた。体力と精神力を回復させれば頑張れるだろうと、疲れた時は、親にすがった。実家で母のご飯を食べ、風呂に入り、身体を休めた。

 その結果、私の人生は特に変わりませんでした。何をしても正解とは思えませんでした。どれも一時の快楽に過ぎなかったからかもしれないし、幸せを自分以外のものに求めていたからかもしれません。

 人は正解を求めて色んなものにすがります。神、宗教、聖書、自己啓発本、音楽、アイドル、友達、家族、アーティスト、検索、SNS、ゲーム、仕事、いろいろです。果たして、誰がそこに幸せがあると決めたのでしょう。

 最近の書店に並べられている本は「毎朝1分で自分が変わる〜」とか「マンガでわかる〜」「不安をなくす思考法」とか今の自分を変えるとにかく手っ取り早い方法論が書かれたものがとにかく多い。それらは読んでも役に立つことなく、頭の中から抜けていくものがほとんど。だけど書店の一番目立つ位置に並べられていて、よく買われている本でもあります。人はてっとり早く自分を変えてくれる正解のようなものが好きなのでしょうか。そんなものはほんとうにあるのでしょうか。情報化社会の中でなんでもスマホで、すぐに手に入れられるものが増えてきたけれど、心の安定や幸せもすぐに手に入るものとして求めているひとが増えてきているんでしょうか。ぼくは最近そんな手っ取り早い方法なんて無いんだなといまさら気づき始めてきました。

 なぜ気づいたのかはわかりませんが、人間は悩み、失敗しながらも最善解を求めて世界をつくってきて、今の世の中に100点なんてものはないということがなんとなくわかってきたからかもしれません。そしてそんな世界で正解を求めている自分がバカバカしくなったからかもしれません。

 こう思えたので、現在は心が楽チンになった気がしています。何かに正解を求めるのではなくて、正解を自分の中で見つけていく感覚です。自分にすがっている感覚です。

 制限時間は、あなたのこれからの人生。解答用紙は、あなたのこれからの人生。答え合わせの時に、私はもういない。だから、採点基準はあなたのこれからの人生。 ”正解/RADWIMPS”

 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?