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お汁

 ふと、転職してから成長したこと、できるようになったことはなんだろうと考えました。すぐに思いついたのは、「給食の配膳で、汁物をよそうのが上手になった。」こと。

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 「お汁をよそうことくらい誰にだってできるだろ」なんて思ってもらっては困る。難しいのだ。なぜなら、均等に盛り分ける必要があるからだ。

 私の学校では、一度に24食分のお汁をよそう。最初から多めによそうと後半にお汁が足りなくなったり、その逆で少なめによそったりすると、お汁が余り、すでによそってあるお椀に分けなければならないという面倒が生じてしまう。このちょっとした面倒が時間を浪費し、お腹を空かせた子供や先生方に迷惑をかけることになる。さらに、具も均等に盛り分ける必要がある。「ワンタンスープなのにワンタンが入っていない」「団子汁だからって団子多過ぎだろ」「俺のだけきのこ多くね」と文句を言われないようにするためだ。文句があるのとないのとでは、大きくちがう。文句があると給食という平穏な時間に悪影響を及ぼしかねない。このような文句を生まないためには、しっかりとお汁を攪拌し、具材の量を瞬時に把握する洞察力と、経験に裏打ちされた熟練の勘が必要になる。このように多過ぎす、少な過ぎすのちょうどよくお汁を盛り分けるスキルは、超人でないと会得することはできない。

 しかし、私は超人となった。

 超人までの道のりは長く険しいものだった。団子汁の時は、ひとつのお椀に団子を6個も入れてしまったときがあるし、順調に団子をいれていたと思いきや、最後のお椀に到達した時には、お団子がゼロになっていたこともある。(そこで他のお椀からお団子を分けてもらうということはしなかった。私のお汁担当としての意地がそうさせなかったのだ。お団子が入っていない団子汁を食べた先生、または子供には大変申し訳ないと思っている。不運なことに、そんな時に限って子供達の中で、お汁の中の団子の数を数え、競い合うゲームが始まったりするのだ。)また、カレーや極端に具が多いお汁の時は、普段のお汁とは違い、量の加減がわからなくなった時もある。負け続きのお汁人生だったのだ。

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 そんな負けが2年ほど続いたある日のことであった。負け続きのお汁人生に、転機が訪れたのだ。それは突然のことだった。お汁の神が右手に宿ったかのように、自然と私の右手は動いた。お汁を素早く攪拌し、お碗にお玉に一杯と少量のお汁をよそう。その繰り返しだ。何か計算してよそっていたわけではない。気づいた時には、24食分のお椀に均等にお汁が盛られていたのだ。その時は無意識だったと言っても良い。アスリートによくあるとされている”ゾーンに入る”という体験がそこにはあった。無意識のうちに、身体が勝手に、お汁を均等によそったのだ。

 その日からというもの、お汁をよそう行為が呼吸のように感じられるようになった。均等に盛られたお汁からは、文句がなくなり、平穏な給食の時間が訪れた。お汁を食べる子供達の笑顔が教室中に広がっていた。そして何より、継続することで身につくことが必ずあるのだと自分に自信が持てた。お汁担当になって本当によかったと思えたのだ。これからもお汁をよそう人生でありたいと思う。

”お汁の呼吸・・・、一の型・・・・並盛り!!!!”


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