わがままと個の尊重②
いつもお読みいただきありがとうございます。この記事は、先日投稿した記事の続きになります。まだお読みでない方は、下のリンクから、記事に移動してください。
1.子供の行為は「わがまま」か
初めの話に戻ってみよう。
親A:「ゆうきがスイミングスクールに行きたがらないのは、サボりたいだけ。泣いたってだめだよ。厳しく言って聞かせないと。ここでサボらせちゃうとなんでも自分の思い通りになると思っちゃうし、嫌なことから逃げる頑張れない子供になっちゃう。あれは”わがまま”だよ。」
では、子供の行為は、「わがまま」に当てはまるのか。
私が考えた「わがまま」の概念を使って、考えてみます。
「わがまま」=対立の少数派や権力がない側が意見を押し通すこと。でした。
ここでは、わかりやすくするために、3つの条件に細分化します。
条件1:対立の関係
条件2:対立の関係にある両者の内、少数派または、権力がない側である。
条件3:意見を押し通している。(押し通そうとしている。)
それでは、一つずつ考えてみます。
条件1について、これは簡単で「スイミングに”行きたくない”子供」と「スイミングに”行かせたい”親」の対立であることがわかるので、条件に当てはまります。
条件2については、どうでしょうか。親Aが、スイミングに行かせると判断すれば、子供は、スイミングに行かざるを得ないでしょう。理由は、親と子供には、主従関係があり、それを判断する権利は親にあるからです。つまり、親には権力があり、子供には権力がない。条件に当てはまります。
最後に条件3についてです。子どもは、泣くことでスイミングに行きたくないという意見を押し通そうとしているように見える。条件に当てはまりますね。
以上のことから、子供の行為は、「わがまま」に当てはまるといえそうです。
では、本題に移っていこう。子供をスイミングに行かせるか、休ませるか、どちらが正しい選択なのでしょうか。
2.「わがまま」は、悪か。
なぜ、親A&Bは、ここまで子供のことについて、悩むのでしょうか。私は、そこに「わがまま」は、悪いことであって、許してはいけないという前提を持っているからだと思うのです。だからこそ、休ませるという選択を躊躇してしまうんです。
では、「わがまま」は悪なのでしょうか。「わがまま」の条件を使って、考えてみます。「わがまま」の条件は、言い方を変えれば、「わがまま」の要素ということもできます。それぞれの要素のどこかに、悪いところが見えてくるんじゃないでしょうか。
条件1:対立の関係
対立の関係は、悪か。これは悪ではないかな。対立の関係が、暴力に発展すれば、悪になるでしょうけれど、対立の関係自体は、悪いものではなさそうですよね。人それぞれ意見はある。
条件2:対立の関係にある両者の内、少数派または、権力がない側である。
これも悪ではないでしょう。むしろ、少数派だったり、権力がなかったりする側の意見は、尊重されるべきですよね。
条件3:意見を押し通している。(押し通そうとしている。)
んー。なんだかここに悪がいそうです。私たちは、様々な他者と利害関係を持って生活している。そこで自分の意見を主張することは認められ、利害関係にある他者と話し合い、うまく付き合いながら生活をしているわけです。つまり合意形成が、平和な社会には、必要です。
それなのに、いくら話し合いをしても、自分の意見を曲げずに、それを押し通そうとしてしまったり、押し通してしまったりする人がいるとどうなるでしょうか。たぶん、それに反発する人は怒り、それが社会全体へ浸透し、社会に悪影響を及ぼしかねません。最後には、暴力へと繋がっていく可能性も。したがって、意見を押し通してしまうことは、とても恐ろしいことだと言えます。
さて、「わがまま」の悪い点がわかった気がします。「わがまま」の悪い点は、対立していることでも、少数派の意見ということでもなく、”押し通す”ところなのです。
「わがまま」は悪か。についての結論が出ました。「わがまま」は悪いところもあるけれど、要素に分解してみると、全てが悪いわけではないということです。
悪い点がわかるとその対処も見えてきそうですね。次回は、いよいよ「わがまま」との向き合い方について考えます。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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