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勉強の面白さに気づくアラサー

 今年は、勉強の面白さに気づいた年でした(おっそ)。何で今ごろ気づいたのか考えみることにします。いつものように散文になります。

1.私にとっての勉強の位置付け(小学校編)

 小学校の頃は大体の教科はよくできていたようです。小学校の頃の通知表を見ると、◎◯△の三段階評価で△はありませんでした。ほとんどが◯だったので全体的に普通だったのでしょう。(三段階評価に客観性はあるんですかね)図工と体育は好きでした。絵で褒められることが多かったです。図工と体育は遊びの感覚でした。冬場のクロスカントリースキーのクラブ活動も楽しかったです。部長という肩書きをもらって喜んでました。勉強が楽しかった記憶はほとんどありません。学校は勉強するところ。友達に会うところ。それだけ。

2.私にとっての勉強の位置付け(中学校編)

 中学校では、急激に学力が下がっていき、国数英は5段階評価の3でした。理科と社会と美術と体育で4をとっていました。理科と社会はワークを暗記すれば点数がとれたので簡単だった気がします。結果、付け焼き刃の知識でした。国数英はただただよくわからないけれど勉強に置いてかれている感覚はありましたが、危機感はありませんでした。日常生活では委員会の委員長をしていましたが、特に手応えも活動もなく終わりました。サッカー部に所属していて、サッカーは楽しかったので、学校は部活をしに行くところになっていました。ついさっき中学3年生の頃の文集を読み返しましたが、ふざけたことしか書いておらず、中学時代の自分にイライラしました。ふざけることで目の前の現実から目を背けようとしていたのかもしれません。勉強の必要性なんてわかるはずもなく、何で勉強しなきゃならないんだといつも考えていました。

3.私にとっての勉強の位置付け(高校編)

 そして、何も考えていないのでよくわからず自分が入ることができるであろう高校に進学します。特に苦労した記憶はありません。とりあえず受けて受かった感じです。高校では、中学時代のままだとよくないという漠然とした気持ちがあったので、中学時代より勉強を頑張ろうと思った記憶があります。実際に頑張っていたのかは覚えていませんが、定期テストでは、学年で2位をとりました。とはいえ、勉強の方法は中学時代とは変わらず、暗記をすることが多かったです。解答に対して「なぜなのか?」と疑問に思ったことはほとんどなかったのではないでしょうか。数学は1番苦手で赤点でした。もう諦めていました。日常生活ではバドミントン部に所属しました。バドミントンが意外に楽しく、学校は部活をするために行きました。

4.私にとっての勉強の位置付け(大学編)

 そんな、勉強に対して真剣に考えたことのない人間がとりあえず大学に行けば何とかなるだろうと大学に進学します。専門高校だったこともあり、学部選択の幅が狭かったので、経済学部に行くことになりました。大学でも勉強の意味がよくわかっていませんでした。ですが、大学の授業は(特に教養は)聞いていて面白かったので、苦ではなかったです。そこで自分の興味を広げて行けばよかったのでしょうが、方法も知らず、必要性もわからず、面白かったというところで勉強を終えてしまいます。そんなわけで単位を取れば卒業できる。単位のために大学に行きました。日常生活ではサークル活動に熱中しました。

5.私にとっての勉強の位置付け(社会人編)

 勉強しなくても、就職ができました。勉強は必要ないのかと思ってしまうほどです。社会人になってからは、仕事の勉強が多少はありましたが、強制されることはありませんでした。土日は遊び、平日は仕事、この繰り返しです。そんな何でもない生活を送るうちに、1度きりしかない人生をこのまま終えていいのかと疑問に感じました。仕事は真面目にやっていたつもりですが、そこに熱意を感じなかったからです。そんなことを考え出すと、自分にとっての幸福は何なのか知りたくなったのです。遅い、遅すぎる。就職してから考えることじゃないだろってくらい遅い。ですが、ここを契機に自分に向き合おうと思うようになりました。そして、幸せの構造が知りたいと感じ、本を探しました。すると、たまたまですが1冊の本に出会いました。

6.知的好奇心爆発

 それが、大人気のサピエンス全史です。人類の幸福と書いてあったので、「これだ!」と思い、手に取ったことを覚えています。当時の私には難しい内容でしたが、頑張って読み進めました。内容は、人類の歴史についてです。教科書的な歴史ではなく、ホモ・サピエンスの能力にスポットを当て、ホモ・サピエンスが文明を築き上げることができた理由について言及している面白い切り口の本になっています。読み終わってから幸せへの手引書ではないことに気づきましたが、歴史の面白さに胸が躍りました。その中でも、この世が人間の想像力によって作られてきたものである。という部分が面白かったです。こんなものは、学生の頃から授業をちゃんと聞いて、勉強してきた人にとっては、当たり前のことなのかもしれませんが、当時の私にとっては、考えたこともないことで衝撃だったのです。社会には抗えず、我慢するしかないのだと思い込んでいた気持ちがどこかに消えました。文明の構造がわかるとどこか自由な気持ちになったのです。そこから、本が好きになり、宗教や倫理について興味を持つようになりました。色々な本を読んで行くうちにわからないことがどんどん増え、次から次へと本を買うようになりました。中学校の時の勉強ももう1度やり直さなくてはならないと思うようにもなりました。その結果、今は積読、積読。部屋には本の山ができてしまいました、、、。(消化しないと)

7.私にとっての勉強の位置付け(現在編)

 そんなわけで、この年齢になって初めて意欲的に勉強をすることになりました。勉強の面白さに早く気づきたかったなぁと思うこともありますが、今だから気づけたのかなぁと思うところもあります。基礎学力が無いので、本を読んでいても遠回りになることが多いですが、これからは地道に勉強を続けていきたいと思っています。新しい考え方や知識を手に入れることで、どこか気持ちが楽になれる。これが勉強の良いところなんじゃ無いかなぁと思っています。これが今の私にとっての勉強の位置付けかなと思います。コロナ禍で、外出しにくい状況なので、これをチャンスだと思って、勉強に励みたいと思います。2021年、今よりも少し頭が良くなれればいいなと思います。

8.最後に

 社会人になるまで、勉強もろくにせずに何とかやってこれたのは、他でもない出会ってきた友人たちのおかげです。友人に大切にしてもらえた経験が自分も友人を、人を、大切にしようと思わせてくれました。そして、人と関わっていくことを深く勉強させてもらいました。それが自分にとっての宝物になっている気がします。コロナ禍で友人とは会いにくい状況が続いていますが、友人たちにはどうか健康で、来年も元気でいて欲しいと願います。みんなは最高の人間なんだから、誰かに悪く思われても大丈夫。

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