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「寄り道」を “王道” に

column vol.1073

今週、当社ではマーケティングプランナーインターンシップ週間なのですが、本日は参加している大学生10名に対して「若者意識調査」
が行われました。

どんな声が聞けたかは、当社プロジェクトメンバーの報告を楽しみにしたいのですが〜

そう言えば最近、大学生の意識変化に関する興味深い記事があったので共有させていただきます。

何と、東大生の休学者数がこの10年間2倍近くに増えているそうです。

〈文春オンライン / 2023年7月28日〉

未来のエリート候補生の集まる東大生たちの間で、一体どんな変化が生まれているのでしょうか?


「自分だけの人生」への探求

ちなみに2022年の休学者数は(5月1日現在)は387人

2009年の209人に比べて、85%も増えているのです。

もちろん、理由として病気やメンタル面の不調、経済的な事情などが挙げられますが、それだけではないのです。

特に注目したいのが「自分だけの人生」を探すための休学

東大生として期待されるようなエリートコースとは違う生き方を模索しようというわけです。

例えば、岩永淳志さんもその一人。

経済学部3年だった2019年8月から1年2ヵ月休学し、和歌山県日高郡美浜町三尾地区の漁村へ。

ゲストハウスに住み込みで仕事を手伝いながら、地元NPOの町おこし活動に携わっていたそうです。

きっかけとなったのが、1年生の時、文化人類学の授業で行った中国・南京市でのフィールドワーク

南京大学の学生と一緒に市内のスラムを歩き、興味を持った人に頼み込んで生活を共にするという内容だったそうなのですが、そこで人生観が変わったらしいのです。

貧しいながらに皆で助け合い心豊かに暮らす人たちを目の前にして自分がいかに上から目線の偏った見方をしていたかを思い知る。

そして休学して向かった三尾地区では、勉強はできるけど「何もできない」自分に気づいたようです。

地元の人たちは、梅酒を漬けたり、家の修繕をしたりと「生きる」ための技術を豊富に持っていることが、その理由。

そんな経験を重ね、豊かさの定義がまるで変わったそうです。

この東大生の話を見て、思い出すのが【「人生」に回帰する人たち】で紹介した中国で「孔乙己」を掲げる若者たちです。

孔乙己とは、魯迅が書いた物語に登場する「学歴の高さを象徴する長い上着を着た貧しい文人」のこと。

そうした架空の登場人物に憧れ、エリートコースを離れ、自分の人生を追求する若者が増えているというのです。

人生とは「問答」の積み重ね

こうした事例の1つの答えになるのではないかと最近感じた言葉があります。

ユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルの世界的ベストセラー『夜と霧』で語られている一節です。

生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。私たちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。

〈東洋経済オンライン / 2023年7月25日〉

つまり、私たち人間は「生きる」という問いの前に立たされた存在であり、それに対してどう答えるかが私たちに課された責務なのだということです。

その上でフランクルはこのように続けます。

この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然とした何かではなく、常に具体的な何かであって、したがって生きることが私たちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、一人ひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。

「人生」というのは自分の外にある何かふわふわした地に足のつかない抽象的なものではなく、常に特定の個人と紐づけられた具体的で一回限りのものであると仰っているのです。

それは、茶道「一期一会」に通ずるものがあります。

茶会に臨む際には、そこでの出会いは二度と繰り返されることのない、一生に一度のものであると心得る。

だからこそ、主客ともに互いに誠意を尽くすというわけです。

人生が与えてくれる問いに、どれだけ真っ直ぐに向き合えるか。

その小さな日々の積み重ねが、その人の「人生」になっていくのでしょう。

真のグローバルリーダーとは?

ここで東大生の岩永さんの話に戻りたいと思います。

岩永さんは高校生の時に学校で「グローバルリーダーになれ」と言われ、東大に入ったときは官僚なるか、外資系の企業で働きたかったそうです。

しかし、和歌山の漁村での経験を経て

外資系や名だたる大企業に入ってエリートコースを歩むのが “グローバルリーダー” と思われていますが、喫緊の社会課題である限界集落といかに向き合うのかという問題は、全世界に共通する大きなテーマです。東大生の多くが考えがちな限られた将来像を目指さなくても生きていけるという確信を、田舎暮らしを通じて持てました

と話しています。

今後の夢は、三尾地区に移り住み、古民家を活用して町づくりに取り組んだり、たくさんある空き家をリノベーションして店や宿にしたりすること。

今では現地で古民家を購入し、住民票も移したそうです。

もちろん、これから彼の人生が与えてくれる問いによって、新たな道を歩むかもしれません。

しかし、1つ1つの問いにこれだけ誠意を持って答えているのなら、岩永さんだけの人生を築いていくに違いありません。

そうして、周りからの評価ではなく、自分が大切だと思ったことを一番にする人生を歩んでいく。

本当はこういう方でも普通に官僚になり、国のために尽くせる世の中になって欲しいところですが…😅

まぁまぁ…、それは置いておいて…

これまでの自分の半生を振り返ると、社会人になっても道に迷うことは多々あります

私も30代後半から40歳にかけて迷子になった5年間があったので、非常に実感しています…(汗)

…ということもありまして…、少なくとも自分たちの会社が、そうした迷子を内包できるような文化を持てるような経営を考えていきたいと思っているのです。

寄り道にしか見つけられないものもある。

そうした財を取り込める器をつくっていきたいですね😊

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