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ボランティア活動で他人を救う前に資本主義社会で自分を救いましょう
こんにちは@tateshina_lifeです。
今日は僕がボランティア活動に否定的である理由について書いてみます。
ボランティア活動=愛と捉えているのであれば否定はしません。愛は一方的に与えるものであり、対価を期待するものではないからです。
一方で少しでも対価を期待する気持ちが本心にあるのであればボランティア活動をするべきではないと考えています。対価には単純に金銭的なものだけでなく、相手からの感謝の気持ちなどの社会的な承認や、それに伴う満足感も含まれます。
僕は自分自身を労働力として捉えた場合、資本主義社会に置いては等価交換することが原理原則であるということを前提にして生きています。
他人や社会に対して自身の労働力を価値として発揮した際に、それをそこに属する集団が信用する汎用的な取引可能な価値(貨幣等)として同じだけのものを手に入れます。
こうすることで自分が発揮した価値は定量化されます。定量化されるので常に自分自身の価値を他人やその集合である社会という個別相対的なものさしではなく、汎用的な量として認識することができます。
自分の価値が定量化されていればその価値について誇りを持つことができますし、価値を上げるために行動をとり、試行錯誤しながら成長することができます。
一方、ボランティアは自分が発揮した価値の評価を他人やその集合である社会の主観に委ねることになります。場合によってはその価値を明確な形で返してもらえないこともあります。
感謝されなかった場合に相手に対してモヤモヤとした気持ちになったり社会に対して憤りを感じたりと、本来善きことをしたはずの自分自身の心が不安定になっていきます。
僕の個人的な経験ですが資本主義経済の中でバリバリとやっている人よりもボランティア活動に勤しんでいる人の方が自分自身に対してストレスを抱え、変えられない他人や社会について悶々としているケースが多いように思います。
目の前に苦しんでいる人がいてその人にお金がないので助けてあげることは素晴らしいことです。それは愛です。
一方で、そこから一歩踏み出して社会的な課題を見つけて解決に動こうとした場合には、発揮される価値について貨幣で回収する仕組みを考えるべきなのです。
苦しんでいる対象から対価を得るのではなく、課題を解決することで便益を得られるであろう社会から対価をとるにはどうしたら良いのかを必死に考えるのです。
Homedoorなどは良い事例です(NPOですが社会的に価値を回収する仕組みの中で持続可能な形になっています)。
自分の価値に意識的であること、安売りをしないこと、ましてや無料で犠牲を払わないことで、自分の存在をしっかりと社会の中で定義づけてあげることが社会を救う前に大切です。
あなたが今行っている活動は愛なのか、価値を生み出す活動なのかについて意識してみてください。
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