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他者を知ろう、分かろう、何か良いことを提供しようとすることをやめましょう

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は自分自身の感覚や感情を味わうことの重要性、そのためには他者や社会を知ること、分かろうとすること、良くしようとすることから離れてみることの大切さについて書いてみます。

昨日、横浜から山にゲストが来て、東急リゾートタウン蓼科の中にあるペンションにて夕食を共にしました。

ペンションのオーナー夫婦とはとあるご縁で以前から紹介をしていただき、僕も山に来るゲストにはそのペンションを案内していることもあり、夫婦からは一緒に食事しようと誘われていました。

僕の予定が立て込んでいることもあってなかなかその機会を作れなかったのですが、ゲストが子どもと一緒ということもあって移動する手間を考えて、ペンションで食事をすることにしました。オーナー夫婦とも話ができると考えたのです。

食事も一段落した後に、オーナー夫婦は自分たちの食事を隣のテーブルで取り始めました。僕はゲストと一緒に食後のコーヒーや紅茶を飲んでいました。

ゲストは横浜でホテルを経営していて、ペンションを経営するオーナー夫婦と建物やサービスについての技術的な話をしようと思っていたようです。

一方で、オーナー夫婦、特に奥さんは蓼科に来た理由や、ペンションを購入した理由について話をしました。

東京でインバウンド向けの旅行代理店を経営していた彼女は増えていくお金と引き換えに心をすり減らし続けていきました

山で生活するようになり、瞑想などに取り組む中で心の安定を取り戻していきました。

横浜から来たゲストはペンション入り口の壁をどうこれから完成させていくのか、汚れが目立つにも関わらずフローリングを敷いたことの意味や工夫について知りたがりました。

オーナーの奥さんは、壁を塗ることは自分の今と向き合う行為であり、その結果として心がどう取り戻されていったのか、ということを答えました。

僕は彼女の話を聞いて自分の身体が内側から熱くなていくのを感じていました。同時に自分が同じような感覚、感情に至った体験の記憶を味わっていました。暖かいエネルギーに包まれて、僕のエネルギーが励起していくのを感じていました。

その横で、横浜からのゲストは"知りたい”、”分かりたい”が故に”より具体的な”質問を投げかけていきました。それでも彼女から返ってくる答えは、壁の塗り方や床の敷き方ではなく、その行為の理由と、それに基づく感覚や感情の話でした。

僕と彼女は、世の中の全ての事柄は必然で、それを選んでいるのは自分自身、だからこそ今この瞬間の自分自身が持つ無限の可能性について感謝して、精一杯そこに集中して行動すること、その結果を味わい続けるという生き方をしていました。

一方でゲストは、他者に評価されるための具体的な方法とそれを叶える技術を知る、分かることによって社会の要求に価値を提供するという生き方をしていました。

この2つは違うのですが、僕と彼女の生き方はゲストの生き方を結果として内包しています。階段のステップを1つ飛ばすようなもので、飛ばした結果として1つ前のステップは(特に何か技工を使って行動をしなかったにも関わらず)越えているのです。

都会は合理性や利便性を追求した社会です。

社会を構成する要素である人も規範的に組み込まれていきます。他者が望むことを叶える具体的な手段・手法、ぶつかり合わないようにするルールを頭で知ること、分かることについつい偏りがちです。

知らず知らず、自分自身の感覚や感情を押し殺すことが増えていきます。感覚や感情をじっくり味わう時間は持てず、余裕や余白のないびっしりと文字が埋まった(本当は読みたくもない)本を永遠に読み続けるような世界です

僕と彼女が山で生活する理由です。

人間は本来、頭で知ることや分かること、理解することよりも先に感覚があり行動があります。その次に感情があり、しばらくして思考や意思が後から作られます

ですから自分自身が今ここで何を感知して、動き、感じたのかに没頭することで”完全な”状態でい続けられるのです。

あなたは今この瞬間に完全な状態なのです

他者を知ったり理解したりしようとしたり、何かを提供しようとすればするほど欠けていき、不完全な状態に変わっていくのです。村上春樹が物語で用いる「損なわれていく」という表現はこの現象のことを言っているのだと思います。

他者を理解し、何かを提供するために頭を働かせるのではなく、自分自身の感覚、行動、感情に没頭することにより喜びや楽しさを味わい、その好循環がもたらす高いエネルギー状態で、他者を惹きつけ、社会を瞬間瞬間で再構成していくのです。

あなたは今この瞬間に完全な状態なのです。

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