大沢野櫻

大沢野櫻

マガジン

  • ユートピアについて

    ユートピアについての覚え書きを一覧化したもの。見返すときの便宜として。

  • 解放のあとで

    • 28本

    今秋、同時発行の『前衛アンソロジー2 解体する文学』連動企画。 投稿者が毎週2人ずつ「α・β」に分かれ、「コロナ禍」下での近況とその都度の話題について意見を交わします。

最近の記事

ユートピアについて その39:ブロニスラフ・バチコ『革命とユートピア』他

16~18世紀の「ユートピア」  ブロニスラフ・バチコ『革命とユートピア』は18世紀フランスの種々の「ユートピア」を検討して、同じ言葉が様々な異なるものを指して用いられた事実をとりあげ、大革命を目前に控えた18世紀後半においてこの言葉が被った変化を語り起こそうとしている。  第一章においてバチコはまず16世紀以来の「ユートピア」の語義の変遷を略述している。16世紀、つまりモアがこの語を発明したとき、ユートピアとは、ギリシア語のeu(良い)とou(無い)のラテン語綴りuが、英

    • ユートピアについて その38…空想旅行記から非ディストピアフィクションへ

      反ユートピアから逆ユートピアへ…ディストピアフィクションの構造  ユートピアという語はモアに端を発する空想旅行記風の体裁をとるもののほか、より純化された政策提言集や、社会改革のための空想的プランをも含む広い範囲の著作物を意味する。(著作物に限らなければ、「空想的社会主義」の語に見られるように、「実現可能性を考慮しない絵空事」「青写真」という揶揄を含んだ、いっそう広い意味をも持つ。)これらのうち、現代のディストピアフィクションの直接の祖先と見做しうるものは少ない。多くは叙述の

      • ユートピアについて その37:ミヒャエル・ヴィンターのユートピア論②

        「その36」に加筆し小見出しを付けたものになる。加筆分は「19世紀のユートピア」とその少し手前。 著者について  ミヒャエル・ヴィンターは戦後間もない東ドイツに生れ、壮年期にさしかかる頃までをこの社会主義国家で生きた作家である。ユートピアに関する文献を網羅する書誌学的研究に裏打ちされた長編随筆『夢の終焉』は、労働者のユートピアを目指した祖国の崩壊を前に感じる幻滅と、研究を経て蓄えられた多方面に及ぶ知識によって、穏やかな語り口に冷ややかな視線が見え隠れしたものとなっている。

        • ユートピアについて その36:ミヒャエル・ヴィンター『夢の終焉』のユートピア観

           ミヒャエル・ヴィンターは戦後間もない東ドイツに生れ、壮年期にさしかかる頃までをこの社会主義国家で生きた作家である。ユートピアに関する文献を網羅する書誌学的研究に裏打ちされた長編随筆『夢の終焉』は、労働者のユートピアを目指した祖国の崩壊を前に感じる幻滅と、研究を経て蓄えられた多方面に及ぶ知識によって、穏やかな語り口に冷ややかな視線が見え隠れしたものとなっている。  ユートピアという言葉を発明したのはトマス・モアだが、ヴィンターは百年後のイタリアの「ユートピアン」、トンマーゾ・

        ユートピアについて その39:ブロニスラフ・バチコ『革命とユートピア』他

        • ユートピアについて その38…空想旅行記から非ディストピアフィクションへ

        • ユートピアについて その37:ミヒャエル・ヴィンターのユートピア論②

        • ユートピアについて その36:ミヒャエル・ヴィンター『夢の終焉』のユートピア観

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          ユートピアについて その35:ヘクスターの『ユートピア』論

          ヘクスターの『ユートピア』論の企図  原書は1952年、翻訳は1981年に出版された、アメリカの歴史学者J・H・へクスターによるトマス・モアの『ユートピア』を論じた著書は、訳者の菊池理夫によれば『ユートピア』研究に関するモノグラフの中ではカウツキーの『トマス・モアとユートピア』に次ぐ二番目の邦訳であるらしい。1977-78年はモアの生誕500年にあたり内外でモア研究が相次いで出版された模様で、本書の翻訳は77-78年の「モア研究・ルネサンス」に遅れてやってきた今一つの成果で

          ユートピアについて その35:ヘクスターの『ユートピア』論

          ユートピアについて その34:ヘクスター③(モアの思想の階位制について)

           へクスターは本書の方針として、『ユートピア』が持つ社会批評としての一貫した意図を想定し、なおかつユートピア島に表現された諸要素のうちモアが最も重視したのは何か(提示される諸思想の階位制はどのようなものか)を示そうとした。モアは人間社会の悪の根源を傲慢であるとして、それを抑制するための制度と思考法を『ユートピア』で展開した、とヘクスターは結論する……と前回の更新で書いた。モアの思考を再構築していくヘクスターの議論の中で、モアの「階位制」はどのようなものとして描かれているのかを

          ユートピアについて その34:ヘクスター③(モアの思想の階位制について)

          ユートピアについて その33:へクスター②・『短くて恐ろしいフィルの時代』

          『ユートピア』が冗談の類ではなく、同時代の流儀で真剣な社会批評を展開した作品であるということについては、同時代のモアの友人たちのあいだで既に合意があった。そして、優れた社会批評である以上、その意味は明確に読者に伝わるものであるはずだ。社会主義の先駆としての、あるいは全体主義への警鐘としての『ユートピア』という近年の解釈を遠ざけるヘクスターは、同時代の友人たちによる明確な理解をまず取り出す。 『ユートピア』のバーゼル版が出版される際、三人の人文主義者がこれについて文学的な寄稿を

          ユートピアについて その33:へクスター②・『短くて恐ろしいフィルの時代』

          ユートピアについて その32:J・H・へクスターの『モアの「ユートピア」 ―ある思想の伝記―』①

           原書は1952年、翻訳は1981年に出版された、アメリカの歴史学者J・H・へクスターによるトマス・モアの『ユートピア』を論じた著書は、訳者の菊池理夫によれば『ユートピア』研究に関するモノグラフの中ではカウツキーの『トマス・モアとユートピア』に次ぐ二番目の邦訳であるらしい。1977-78年はモアの生誕500年にあたり内外でモア研究が相次いで出版された模様で、本書の翻訳は77-78年の「モア研究・ルネサンス」に遅れてやってきた今一つの成果であるといえる。  訳者の菊池は本書のへ

          ユートピアについて その32:J・H・へクスターの『モアの「ユートピア」 ―ある思想の伝記―』①

          ユートピアについて その31:菊池理夫『ユートピアの政治学』とモア

           菊池理夫『ユートピアの政治学』をようやっと一通り読み終えた。1970年代から80年代にかけて書かれたルネサンス期の政治思想に関わる論文をまとめた書籍で、モアの『ユートピア』の他にも同時代の古典文献の受容や、レトリック、エロクェンティアeloquentiaといった政治的弁論の方法論に関する議論も紹介・検討されている。本書は、まずルネサンス期の政治的言論に関する議論を紹介した上で、そのような同時代環境の中で書かれた『ユートピア』を、著者トマス・モアはどのような意図の下に記したの

          ユートピアについて その31:菊池理夫『ユートピアの政治学』とモア

          ユートピアについて その30:『リコリス・リコイル』について①

          前置き  アニメ『リコリス・リコイル』1話冒頭では「暗殺者集団により保たれる治安を誇る平和国家・日本」といういかにも「ディストピア」らしい状況設定を示し、ディストピアものに親しんだ多くの視聴者は「ははあなるほど、こいつはディストピアをぶっ壊す話なんだ」と合点するのだけど、単にディストピアなだけなら主人公はたきなだけで良い。  なるほどリコリスリコイルの日本は少年兵の暗殺集団によって治安が保たれるいささか剣呑な国ではある。しかしその「日本国の治安を守るDAとそれを壊す真島」と

          ユートピアについて その30:『リコリス・リコイル』について①

          ユートピアについて その29

          カンパネッラ『太陽の都』概要  トンマーゾ・カンパネッラの『太陽の都』は1623年にフランクフルトで出版された。はじめはイタリア語で1602年に書かれ、何度か改稿を経て1611年頃に現在知られた形が成り、イタリア語圏の外での出版となったことでラテン語に翻訳され印刷された。このラテン語版も改訂されて、決定版とされているものは1637年に至ってパリで刊行されている。岩波文庫の大きめの文字で100ページ程度という短いものであり、フランクフルトでは『政治学』の補遺として、パリでは『

          ユートピアについて その29

          ユートピアについて その28

           未来に実現するかもしれない「悪しきユートピア」への不安、それをいっそう率直なかたちで表現した一書がオルダス・ハクスリーによる『すばらしい新世界』である。エピグラフとしてロシアの思想家ニコライ・ベルジャーエフの言葉を掲げる本書は、フォード紀元632年の地球、全球的な国家が誕生した未来世界を舞台にしている。  本作の後半にハクスリーは退行への恐怖に対する懐疑的な視座を提示する。野人ジョンとの対話において未来世界の支配者ムスタファ・モンドは、ジョンの(つまり、現代の読者の)視点か

          ユートピアについて その28

          ユートピアについて その27

          「タイム・マシン」の未来世界  ハーバード・ジョージ・ウェルズの『タイム・マシン』は西暦1894年に書かれた空想科学小説だが、未来の(一見)理想的な世界と住民たちとの交流、そして理想世界に隠された悍ましい真実……と、従来のユートピア小説と20世紀のディストピア小説を橋渡しするかのような内容を含んでいる。  主人公が時間移動により未来の理想的な社会(ユートピア)に遭遇するという筋書きは、直近では英国のウィリアム・モリスによる『ユートピアだより』(1891年)、モリスが批判対象

          ユートピアについて その27

          ユートピアについて その26

           ユートピアの名ははじめイギリスの大法官トマス・モアによって創造され、その起源は古代地中海の対話編に求められ、物理的実在としては小アジア・ミレトスのヒッポダモスの計画に類例が見いだされ、都市計画としてはルネサンス期のイタリアから近代のパリにもみられ、西欧世界の近代を通じて類似物が多く想像され、20世紀には逆ユートピアのかたちで隆盛を見、21世紀にいたるまでその系譜は続いている。  この「ユートピア」、理想社会は、ディストピアフィクションおよび先行するユートピアフィクションに

          ユートピアについて その26

          ユートピアについて その25

           ディストピアフィクションに見られる世界観は、それらが理念的なモデル、各階級の利害を表現している理念的モデルであるかぎりで真実である。ディストピアフィクションの作者は、人類にとって最悪と想像される状況の理念的モデルを提供する。それらのモデルは可能的であるか、あるいはすでに現実であるかもしれない。ディストピアフィクションの作者は、それぞれの世界観、現に存在する悪、現状を改善するための理想を提示する。かれらの主人公は悪しき事柄を経験し、最後には現状を改善するための観念を得る。読者

          ユートピアについて その25

          ユートピアについて その24

           今度寄稿するディストピア・フィクション論についての文章の叩き台、になるかもしれないもの。 仮題:Essay on the Time-disregarding Misogynic System and die Feminine Umwelt ――川野芽生「卒業の終わり」 要約、反応、仮説 Zusammenfassung, Reaktion, Hypothese  川野芽生による作品集『無垢なる花たちのためのユートピア』の掉尾を飾る「卒業の終わり」は、超時間的なモチーフを

          ユートピアについて その24