ユートピアについて その27

「タイム・マシン」の未来世界

 ハーバード・ジョージ・ウェルズの『タイム・マシン』は西暦1894年に書かれた空想科学小説だが、未来の(一見)理想的な世界と住民たちとの交流、そして理想世界に隠された悍ましい真実……と、従来のユートピア小説と20世紀のディストピア小説を橋渡しするかのような内容を含んでいる。
 主人公が時間移動により未来の理想的な社会(ユートピア)に遭遇するという筋書きは、直近では英国のウィリアム・モリスによる『ユートピアだより』(1891年)、モリスが批判対象とした米国エドワード・ベラミーの『かえりみれば』(1888年)に既にみられるもので、元をたどればフランスのジャン・セバスティアン・メルシエによる『2440年』(1770年)にまで遡るらしい。六百年近い時間跳躍というモチーフはメルシエに倣いベラミーもモリスもこれを踏襲している。紀元80万2701年ということになっている『タイム・マシン』の未来社会は、科学技術と歩調を合わせた人間社会の進歩という旧来のアイデアに、先端技術がもたらす人類種の進化(=変容)というモチーフをかけあわせるためのウェルズの独創である。
『タイム・マシン』で描かれる未来社会では、雑草や病原菌すら消滅させるほど科学技術が発達した末に、その技術が人間にとってあまりに理想的な環境を与えたために、従来の人類という種が持っていた言語や知性などの様々な特長――それらは語り手によれば劣悪な環境下で生き延びるために獲得されたものだったのだが――が次第に脱落し、成人してなお子供のような、柔和で頭の弱い人類へと進化してしまっている。これは進化――往々にして進歩を含意する――というよりも、退化、退行である。退行はまた別様にも生じている。地上に住む精弱の人類種とは別に、地下に住むきつね猿のような、瞼のない、食人の人類種が存在する。語り手はふたつの人類種を、それぞれかつての資本家と労働者になぞらえている。高度な科学技術を享受する資本家階級はあまりに快適な環境に適応してしまい、生体としての能力を退化させた。楽園のような地上とその科学技術を支えるべく地下へ押し込められた労働者階級は次第に暗闇へ適応し、あるとき食糧危機に見舞われたために、慣習が禁じていた食人を解禁した。紀元80万2701年の未来世界では、かつての支配者はかつての被支配者の食料として、牧歌的な地上に放し飼いにされる餌に成り果てている。「牛のように」と言われる精弱の地上人は、まさに人間性をほとんど欠落させた退行種である。
 フランシス・ゴルトンが提唱した医学的優生学は、それ以前から市民階級の労働者階級に対する蔑視と恐怖のまなざしに基づいて次第に形成されていた。労働者の多産性と市民の寡産性が国民の、ひいては人類種全体の退行を引き起こすのではないか、これを防ぐために生殖に介入し、優良な種を増やし劣悪な種を減らす必要があるのではないか――ドーバー海峡の両岸に同様の不安が広がりつつあった中、ゴルトンは満を持して1904年にEugenicsという新語を発表する。ウェルズの想像力は同時代の恐怖の最中に退行の未来社会を提出した。この「悪しきユートピア」への不安は20世紀を通じて拡大していくことになる。

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