ユートピアについて その35:ヘクスターの『ユートピア』論

ヘクスターの『ユートピア』論の企図

 原書は1952年、翻訳は1981年に出版された、アメリカの歴史学者J・H・へクスターによるトマス・モアの『ユートピア』を論じた著書は、訳者の菊池理夫によれば『ユートピア』研究に関するモノグラフの中ではカウツキーの『トマス・モアとユートピア』に次ぐ二番目の邦訳であるらしい。1977-78年はモアの生誕500年にあたり内外でモア研究が相次いで出版された模様で、本書の翻訳は77-78年の「モア研究・ルネサンス」に遅れてやってきた今一つの成果であるといえる。
 訳者の菊池は本書のへクスターの論議とは異なる方法論で『ユートピア』とその国家を検討した(こちらの内容については「その31」に書いた)。ここでのへクスターの基本的な立場は、モアの『ユートピア』を社会批評・批判の書として読むこと、社会批判としてあるべき明晰判明に理解されるテーゼを取り出すこと、同時に本書に含まれる複数の思想や概念をモアがそうしただろうとおりに順位付けること、その目的のためにモアの文学上の工夫をそこで述べられる思想から分離して後者をより厳密に調べること、の四点にある。
 へクスターが第一に問題にするのは、『ユートピア』が社会批評の書であるという現代まで続く広範な合意にもかかわらず、その批評が意図するところについて現代の識者が合意を得られていない点である。1952年のへクスターは、近代社会主義のヴィジョンという社会主義者の見解と、社会主義を非難する教会回勅の先駆というカトリックの学者の見解を挙げている(本書p. 41. )。このような読解の分裂は、『ユートピア』がその意図について曖昧な社会批評であることから生じるのか。しかし、少なくとも本書出版当時のヒューマニストらが本書の意図について一致した見解を見せていたことを挙げて、へクスターはその仮定(『ユートピア』曖昧説)を否定する。『ユートピア』は曖昧さ無しに書かれた社会批評の書であり、その意図が明確に伝わったからこそ、四世紀に渡って優れた社会批評として好評を勝ちえてきた。
 問題があるのはむしろ現代の識者の方であり、現代の読者であっても本書の意図について一致した見解を得ることができるはずだ(四百年前のヒューマニストたちがそうしたように)、そして本書はそのように書かれているはずだ、とへクスターは見る。少なくとも、同じ著書から正反対の見解が導き出せるというのは信じがたい。へクスターは上に挙げたような識者について「自分自身の好みに最もかなう諸思想を引き出し、それらを他の思想よりも高めることによって、研究者自身の好みとみごとにも一致した概念の階位制をモアに帰する」と論難している。恣意的な階位制に代わって、モアが考え、ヒューマニストらが読み取ったような階位制を検討する必要がある。そして、その考えはあたかも冗談のような数々の言葉遊びにもかかわらず同時代のヒューマニストらによく理解されていたのだから、一連の言葉遊び、文飾や工夫を離れて、その考えられた思想を取り出さなければならない。

同時代の評価

『ユートピア』が冗談の類ではなく、同時代の流儀で真剣な社会批評を展開した作品であるということについては、同時代のモアの友人たちのあいだで既に合意があった。そして、優れた社会批評である以上、その意味は明確に読者に伝わるものであるはずだ。社会主義の先駆としての、あるいは全体主義への警鐘としての『ユートピア』という近年の解釈を遠ざけるヘクスターは、同時代の友人たちによる明確な理解をまず取り出す。
『ユートピア』のバーゼル版が出版される際、三人の人文主義者がこれについて文学的な寄稿を寄せた。フランスのギヨーム・ビュデによるパリ版印刷者のラプセットへの賀状、オランダのヒエロニムス・ブスライデンによる著者モアへの賀状、エラスムスによると推測される欄外の注記がそれである。のちに『ユートピア』のルーバン版やパリ版に掲載されたこれらの文章から、モアの同時代人が本書についてどのような見解を抱いていたかを知ることができる。
 ビュデは、ユートピア島が実現している制度を、構成員のあいだの平等、平和に対する恒常的で不屈の愛、金銭への蔑みと要約している。そうした徳に適った制度は「神的制度」、「キリスト的生活風習と真にキリスト的な英知」と称賛される。それに対して、ヨーロッパ社会は血縁同士でさえ互いに騙し合い、財産を奪い合う有様であるとして、その道徳的頽廃を憂いている。
 ブスライデンは、ユートピア島では「財産にかんするすべての争いが除かれ、だれにも自分の財産というものが与えられていない」こと、あらゆる財産は共有され、あらゆる物資や行動が「ひたすら唯一の正義と公平と共同一致の維持」といった目標に結びつけられていることで、その制度は健全で完全なものとなり、「全世紀を通じて人々の讃辞の対象となる」と記している。そこでは「野心、陰謀、ぜいたく、妬み、不正」などの原因がいっさい取り除かれ、逆にそうした原因がいたるところにあるヨーロッパでは、時として大規模な軍事行動によって「多くの幸福な国家の繁栄状態が根底から崩され」ることにもなる。
 エラスムスによるとされる注記は分散してそれぞれごく短いものだが、ヒュトロダエウスの態度について「金にたいするすばらしい軽蔑」と述べられるとともに、ぜいたく品が廃され、労働と分配が平等であるユートピア島を「聖なる国家」「キリスト教徒の真似ぶべき国家」と称している。また、ヨーロッパの諸国家がユートピア島の制度を真似ることができない理由として、モアは作中でその高慢を挙げているが、これについても注記は「すばらしい主張」であると記している。
 現代日本でもよく知られている「羊が人を食う」に象徴されるような、巨大資本による零細農民への暴威に対する批判、その反対の極としての共有制が、原始キリスト教的な含意を含ませつつ、同時代人たちによって称賛されている。この点について同時代の見解は一致している。モアの『ユートピア』は社会批判の書として、当代のヨーロッパにおける財産の不均衡を非難し、反対に理想国家ユートピア島を提示してみせているものだ、と言われる。そして、ヘクスターの次の論点にかかわることだが、その根本的な原因としては高慢、いわゆる七つの大罪のうちのひとつである傲慢が挙げられる。

近代社会主義的でない『ユートピア』とその目的

 改めて言えば、ヘクスターはモアを社会主義の先駆とみなそうとしない。モアはあくまで信心深いカトリックの俗人であり、『ユートピア』は教会や修道院の体制の擁護、あるいは義務的な労働からの解放の理想のために書かれたものではなかった。したがってヒュトロダエウスが語るユートピア島の体制には、刑罰としての奴隷的労働、国内における市場と貨幣の禁止、欲望の制限という、近代社会主義の観点からすれば反動的と呼べる要素が含まれている。こうした要素が『ユートピア』に入り込んだのは、モアの悲観主義的人間観に由来する。自由な人間が鎖に繋がれており、これを打ち砕かなければならない、という近代的ヒューマニズムの思潮とは異なり、初期近代のヒューマニストであったモアは、人間社会の悪は単に社会制度の悪性のみによるのではなく、その構成要素である人間が持つ悪徳にもよると考えていた。この悪徳はあまりに深く人間の本性に食い込んでいるため、単なる社会の経済組織の再配置によっては破壊することができない。この悲観主義のために、ユートピア島の政府は自らを、そしてその構成要素である国民を、常設的強制権力によって縛めることとなった。

 モアが問題視した人間が持つ諸悪徳のあいだに見られる階位制、これがヘクスターが本書で問題にする階位制の中心にある。モアは、彼の時代に共有された諸悪徳の一覧表の一部を、諸悪徳の根源とみなした。三つの主たる悪徳がある。一に怠惰、二に貪欲、三に傲慢である。
 怠惰については、社会に蔓延る諸悪徳の中で最も目に付きやすく、著しいものであるとされる。飲酒や賭け事、口論と言った無益な事柄へ人々を向かわせ、社会に必要な労苦から人々を遠ざけているのは、ほかならぬ怠惰である。怠惰及び怠惰から生じるこうしたふるまいは、社会体に対して致命的な悪影響を及ぼす。ただし、怠惰は最も根源的な悪徳とは言えない。次の二つの悪徳が、根源的な悪として名指しされる。
 そのひとつ、貪欲ないし強欲は、傲慢と並んで根源的な悪徳とされるが、貪欲は人間に特有のものではない、動植物を含むすべての生物に共通のものであり、欠乏からの恐れによって生じる。したがって欠乏への不安さえなければ強欲の悪徳は克服できるのだから、それ自体の内に根源を持つものではない。むしろ、社会の構成員全員に欠乏への不安のないような経済組織の再配置がかなうなら、強欲の徳もまた消滅することだろう。ヘクスターは以上のように論じて、「羊が人を食う」に象徴されるモアの強欲批判の印象とは裏腹に、強欲の悪を階位制全体の第二位に置く。
 悪徳の階位制の頂点に位置するのは、ヘクスターによれば、傲慢である。傲慢は欠乏への不安とは無縁であり、それ自体に根源を持つからである。ただ人間だけが、「必要もないのに、ものを見せびらかして他人を凌ぐのを栄誉と考える高慢心だけ」から強欲となる。人間の本性に根付いているこのような悪徳から、社会体の全ての部分を堕落させ、衰弱させ、破壊するあらゆる悪徳が生じる。
「細い毛糸の服をまとっているからというだけで自分がより高貴な人間であるかのように」、「上等な衣服をまとえば、自分たちの価値がもっと上がるかのように思い込んでい」る。モアはヒュトロダエウスの口を借りて、傲慢から人間が他人に求める種々の事柄を声高に非難してみせる。「他人に帽子をとってもらったり、他人の膝を屈めてもらったりしても、いったいどういう自然な、真の快楽が与えられるというのでしょうか。それであなたの脚の痛みがとれるのですか。あなたの脳炎が軽くなるというのですか。」勿論そんなことはない。自尊心を満たす喜びは脳炎や脚の痛みを紛らわすことにはなるが、根治療法にはならない。こうした傲慢に由来する快楽は贋のものである。
 その贋の快楽のために、お追従の付き人や、不必要な衣服・物品を作る労力を使い、同時に金銭をも浪費することで、その代わりに数多くの人々が「贅沢に暮らす怠け者を養う荷役の家畜のように」取り扱われることとなる。こうして、欠乏への不安という根源を取り除いてもなお残る悪徳である傲慢によって、社会体全体が毀損されていくことになる。それ自体に根源を持つ傲慢の悪徳については、ただ人間を既存の経済組織から解放するのみならず、人間に外部から規律を与え、矯正しなければならない。
 モアが傲慢の悪徳を階位制の最上位に据えたことが、ユートピア島の強権的性格を帰結しているとヘクスターは主張する。「もしも、強欲が社会にとって大いに危険なものであるならば、ユートピア国家は、モアが処方したものよりはるかに厳格でなく、抑圧的でない線にそって制度化されたであろう」。しかしそうではなかった。事実、現代の文芸評論家の鴻巣友季子は近刊『文学は予言する』において「ユートピア=ディストピア説」を提唱し、ディストピアの起源のひとつをモアに求めている。それほど厳格で抑圧的な体制がユートピア島に求められたのは、「羊が人を食う」という強欲ではなく、食うに困らぬ人間の傲慢こそ16世紀の社会悪の真の根源であると、モアが見定めたからだった。そのようにヘクスターは結論して、直近百年の「解釈の混乱」に終止符を打たんとした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?