ユートピアについて その39:ブロニスラフ・バチコ『革命とユートピア』他

16~18世紀の「ユートピア」

 ブロニスラフ・バチコ『革命とユートピア』は18世紀フランスの種々の「ユートピア」を検討して、同じ言葉が様々な異なるものを指して用いられた事実をとりあげ、大革命を目前に控えた18世紀後半においてこの言葉が被った変化を語り起こそうとしている。
 第一章においてバチコはまず16世紀以来の「ユートピア」の語義の変遷を略述している。16世紀、つまりモアがこの語を発明したとき、ユートピアとは、ギリシア語のeu(良い)とou(無い)のラテン語綴りuが、英語においてどちらも「ユー」と発音されることに因んだ洒落であって、「最善だが実現しえない政体」といったような意味を担っていた。そこではプラトンの『国家』が参照され、ナザレのイエスや原始教会にも擬せられる理想的な国家や社会のあり方が語られるのだが、同時にそうした理想的な社会は同時代欧州においては人間の傲慢さという根源的な悪のために実現しえないだろうとも言われている。
 18世紀のフランスでは、この語にまず「空想旅行記一般」という意味が、次に「理想的な統治プラン」、最後にもっとも広い意味で「実現不可能な計画あるいは夢想」という意味が与えられていた。フランスでは18世紀の後半に大量の空想旅行記が出版されるようになり、この空想旅行記は同時に理想的な立法や統治の計画を含むことで、この語の持つ意味を曖昧にしていくことともなった。「ユートピアへの空想旅行記がたくさん書かれたが、そこでは、作品の中心に置かれている理想社会の描写は、空想的なお話に不器用に接ぎ木された理想的な統治計画そのものに他ならないのである。」ともあれこれらは同工異曲であって、しかも二つの要素の接続は不器用なものであったから、次第にユートピアという形式は古臭いものとなっていった。

19世紀以降の「ユートピア」

 18世紀後半に「空想旅行記」から「社会改良計画」まで語義が広がったために、19世紀以降、「ユートピア」という語は広く「空想的なもの、夢想的なもの」という含意を担うこととなる。バチコは三つの対立軸を描いている。
 第一のものはユートピア対科学である。これはマルクスの言う「空想社会主義」と「科学的社会主義」の対比に由来するが、バチコはマルクス並びにマルクス主義者が「空想的」と断じたユートピアから「実現可能な理想的未来」のヴィジョンを借り受けていると指摘する。先ほど本論の話題を引いたように、18世紀後半の「ユートピア」は実現可能性を度外視したモア的理想社会論から実現可能な理想を語るものへと変質していた。マルクス主義は、自らを完成された未来への唯一科学的な方法論とみなすことで、「実現可能な未来」というユートピアから空想性と先見性を切り分けたうえで後者のみを自らのものにするという操作を行ったのだった。
 第二のものはユートピア対神話といわれる。ここでは19~20世紀の人物であるジョルジュ・ソレルが引かれる。ソレルの術語においては「ユートピア」はマルクス主義に代表される知的理論であり、それは知識人が大衆を容易に操作するための道具に過ぎない。対する神話は、政治的神話とも呼ばれるが、ゼネラルストライキに代表される大衆行動、労働組合による対決姿勢と、そこから生まれる自発的イメージである。
 第三のものはユートピア対イデオロギーで、こちらはカール・マンハイムの著書に由来する。ユートピアとイデオロギーはどちらもある階級が持つ価値と観念を総体的に配置した世界観であり、ユートピアは上昇しつつある階級が、イデオロギーは保守的な階級が作り出すものである。
 一応このように要約される。ただしバチコの本書での関心が18世紀に集中しているため、後二者についてはあくまでごく単純な要約にとどまる。

その他…小野二郎『ユートピアの論理』より

 真理を把握する唯一の方法という自己認識(があるのか?)を持ったディシプリンとして近代の諸学問を見ることができるとして、そうしたモダンな知の一例のようなものが最近読んだ小田二郎の「未来のイメージと文学」にあった。
 戦後日本社会においてマルクス主義は歴史とその中の人間の自由に関する議論の前提として共有された反近代思想だったと小田は言う。「近代性の一般的性質に対して全体性の恢復を求めるために動員された反近代思想は、戦後において第一にマルクス主義であった」。
 世俗化された歴史が有する進歩の観念は、進歩という必然、過去から未来へのただ一拍だけの巨大なリズムを刻み、人間はこの巨大なリズムに身を任せたときに限り歴史に堪えることができた……と言われる時、歴史の全体性は人間にとって堪えがたいものであることが前提されている。
(歴史とは、その全体性とは、そういうものなのであって、それ以外のありようはない。単一の普遍的排他的定義が可能であり、それはこうである、と言われる。)
 この歴史なるものはただ近代人だけが持ち、未開人及びそれと変わらぬ民衆レヴェルではブルジョワ的時間・歴史意識は存在しなかった。その反歴史的文化においては、祖型の反復、永久回帰の神話への閉じこもりが専ら行われた。このような非ブルジョワ的、反歴史主義的文化においては、芸術の役割とは反復行為の強化に尽きる。
 と、概ねそのようなことが言われる。歴史とは単一の特定の意味を持ち、それは客観的に把握可能であり、そしてわれわれはそれを把握しており、それはこのようなものである、と言われる。
 21世紀育ちとしてはいささか空恐ろしい心地がする。歴史という言葉が例えば20世紀にそのような意味で使われていたことは私も認める。しかしその特殊な定義の妥当性が普遍的な射程を有するとは私は認めることができない。
(もちろん、この「認めることができない」もまた21世紀初頭育ちの私の特殊な判断であるというふうに、私も特殊性に巻き込まれている。)


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