ユートピアについて その30:『リコリス・リコイル』について①

前置き

 アニメ『リコリス・リコイル』1話冒頭では「暗殺者集団により保たれる治安を誇る平和国家・日本」といういかにも「ディストピア」らしい状況設定を示し、ディストピアものに親しんだ多くの視聴者は「ははあなるほど、こいつはディストピアをぶっ壊す話なんだ」と合点するのだけど、単にディストピアなだけなら主人公はたきなだけで良い。
 なるほどリコリスリコイルの日本は少年兵の暗殺集団によって治安が保たれるいささか剣呑な国ではある。しかしその「日本国の治安を守るDAとそれを壊す真島」という対立でやるなら、千束という主人公の存在は最初から無しにして、たきなだけ配置すればよい。ディストピアにどっぷり漬かったたきなと、それを壊そうとする真島、ふたりの対立だけで話は充分に回る。そうしないで千束を加えたのは、ディストピア・フィクションの歴史を振り返ればアンソニー・バージェスによるディストピアの「空想的モデル構築」からの脱却の試みに類するもので、本邦のアニメ史を辿れば同じく「ディストピア」の治安維持組織を背景に持つ『PSYCHO-PASS』シリーズとの差別化と言える。
 千束は最強のリコリスでありながら不殺を掲げ、喫茶店で働き、地域の皆さんと交流する。その仕事ぶりは闇に潜み隠密に人を殺すリコリスの暗殺者稼業とは正反対である。実際たきなの目からは千束の行動は異様な、本筋を外れたものとして映っている。
 喫茶店で働く千束とたきなの明るい昼の世界での交流と次第に絆されるたきなの姿が、闇の世界のリコリス達とそれに敵対する真島の暗躍に重ねて描かれていく。 暗殺者としての才能を見込まれ延命していた千束が、昼の世界の人々の笑顔のために生きたいと願う。自分の命を繋ぐ人工心臓のために暗殺者になれと要求されてもそれを断る。暗いディストピアに最も適合した才能の持ち主が、それとは別のところに自分の生き方を見出し、そこでもまた反ディストピアの真島と対立する。最終話で火花を散らすのは、この第三軸と第二軸の対立である、と言える。
 暗い剣呑な平和とリアルな闘争の自由という対立だけなら千束は最初からいないでよくて、たきなと真島だけで回る。千束が第三軸となってアランの因縁と重ねて真島と敵対し、職務上のポリシーの点でたきなと対立し、彼女の余命と人生がミカ・ヨシ二人の懸案事項になる。主人公の面目躍如である。

アンチ・ユートピア:『リコリス・リコイル』の日本

 アニメ『リコリス・リコイル』1話冒頭では、ニュースキャスターによる電波塔事故からの復興と治安の向上に関する原稿が読み上げられ、続いて赤い服の女子「千束」のナレーションが続く。

日本人は規範意識が高くて、優しくて、温厚
法治国家、日本
首都東京には、危険などない
社会を乱す者の存在を許してはならない
存在していたことも許さない
消して、消して、消して、きれいにする
危険は元々なかった
平和は私たち日本人の気質によって成り立ってるんだ
そう思えるのが、いちばんの幸せ――なんだってさ!

 末尾の「なんだってさ」で示される引用符の始まりがどこにあるかもよくわからない。引用符の終わり以前の言明内容について、かなり白々しい態度を、しかし明るくとっている様子と見える。それをバックミュージックに少女兵組織「DA」による治安維持活動の模様が描写される。表向き平和であり、しかし実際には統治機構によるとめどない暴力の行使によってそれが維持されているという作中の日本国の様子は、視聴者に典型的なディストピア・フィクションの舞台を想起させる。
 典型的なディストピア・フィクションでは、視聴者や読者にとって好ましくない舞台と、その舞台に反感を示す主人公とが設定される。主人公はフィクションの舞台となる周囲の環境に反発し、現状を肯定する論理とは異なる正義を見出して、好ましくない状況を破壊しようとする(ディストピア・フィクションの構造の要約については茂市順子「「多相化」するディストピア-A Clockwork Orange(1962)再考-」を参照)。もし『リコリス・リコイル』が典型的なディストピア・フィクションであるなら、その主人公はDAが暗躍する日本の現状に不満を抱き、その現状を変えようとする人物となるだろう。しかし、本作の主人公二人組はどちらも日本国の治安維持に奉仕する少女兵「リコリス」であり、しかもそのうちひとりは全リコリス中最強と謳われる才媛として設定されている。
 独断専行を理由に本部から「喫茶リコリコ」へ左遷された井ノ上たきなと、同所で以前から働くリコリスの錦木千束――アバンタイトルの「千束」――の出会いから本作のシナリオは動いていく。1話で紹介されるリコリコの仕事は、保育園や語学学校で臨時に働く、喫茶店のコーヒー豆を町中の事務所に届けるなど、もっぱら市井の人々とかかわるもので、拳銃をはじめとする武器を扱って標的を暗殺するDAとはまるで性格が異なる。リコリコへの「左遷」を厭い、DAへの復帰を目指すたきなに対して、千束はのらりくらりとした調子でリコリコの仕事も楽しい、捨てたもんじゃないと言う。たきなは、リコリスは「国を守る公的秘密組織のエージェント」であり、その職務は「喫茶リコリコ」での業務とはかけ離れていると言う。一方、千束はDAも喫茶リコリコも「困ってる人を助ける」ことが使命だと主張して、血生臭い暗殺稼業――「凶悪犯を処刑して回ってる殺し屋」――とは対蹠的なリコリコの業務をよしとする。このようにたきなと千束は対蹠的な性格、モチベーションの持ち主として設定されている。
 このいささか明るい昼行燈めいた千束が、同時に「最強のリコリス」でもある。1話の前半でたきなの口から千束の評判は視聴者に提供されており、同時に「優秀なリコリスだという千束がなぜ喫茶店という閑職にいるのか」という疑問も提示される。これに対して千束は自分が「問題児」だからだと弁明するのだが、詳細は語られない。後半では千束のリコリスとしての力量が如何なく発揮される。闇夜に紛れた100メートル先を飛ぶドローンを把捉し、銃口の向きから弾道を予測して至近距離からの発砲を回避する、超人的な視覚の持ち主である千束は、五人の誘拐犯をまたたくまに制圧する。
 追ってきたたきなが見ると、千束が使ったのは皮膚を破らない特殊な弾丸であり、身動きのとれない者も何やら帯状のもので拘束されている。千束は特殊弾丸とハンドサイズの拘束具発射装置でかれらを生かしたまま確保したことが示される。その後の会話では、彼らはDAとは別の「クリーナー」という組織に引き渡されたらしい。DAは犯罪者を殺害することを第一義としており、誘拐未遂に終わった彼らも同様だろうと千束は語っている。クリーナーであれば然るべき法的手続きを踏んでくれるということだろう(DAはあくまで秘密組織であり、表の警察組織の存在することも1話で既に示されている)。
 以上から、千束は卓越した能力を持つリコリスであると同時に、DAの即殺の方針には真っ向から反対する人物である、ということが言える。DAではなくクリーナーに引き渡すあたりなどは確かに「問題児」めいている。こういった独自路線のために、腕を見込まれつつもDA本部からは放擲されたのが千束であるらしい――と、1話の時点ではこのようなことがわかる。ただし、たきなは勿論、千束も、DAという組織の全体やその恩恵を受ける日本国に対する敵意や反感を示すわけではない。その意味では千束もまた、典型的なディストピア・フィクションの主人公が持つ「反抗者」の性格からは縁遠い。
 典型的なディストピア・フィクションに登場する「反抗者」が『リコリス・リコイル』作中に見出されないわけではない。その人物はリコリスであるふたりの敵として1クールを通して暗躍し続ける。「平和すぎる」日本の秘密を暴き、処刑人組織DAの真実を白日の下に曝そうとするテロリスト・真島である。

(真島については次回以降、「『リコリス・リコイル』について②」で書く予定)

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