コラム「皆勤賞という考え方」
我が家の子供たちは皆、気圧などに影響受けたり片頭痛があるため、時々頭痛がひどくて学校に行けない日もあります。
以前は2人とも頭痛のお休みがきっかけで不登校気味になったりしていました。
私も去年までは、私以外に他に見てもらえる家族もいないので
「どうしても学校に行かせたい」
「家に子供だけ置かせるのは悩ましい」
なんとか無理にでも行かせようと試行錯誤してました。そして、その事が悩みの種でもありました。
先週も娘がやはり頭痛で、何日か学校を休み今週は行ってくれたらなあと思っていたのですが、今日も頭痛が辛いから休みたいといいます。いつものように「行く、行かない」を娘と話し合いましたが、そうしているうちに、諦めというか、いつもと違う考えが湧いてきました。
それは「何が何でも」という頑張りを止めることにしよう、ということです。
勉強の遅れなど気になっていた事もあるのですが、小学校高学年から中学まで不登校気味だった息子が、不登校だった結果どんな高校生活を送っているか?というと、高校には休む事なく登校して、普通に勉強しているので、今心配しなくてもきっと大丈夫なのでは?と思えてきました。
私もそうですが、日本では無遅刻無欠勤を讃える「皆勤賞」というものがあります。この考えを調べたところ、戦前頃から、毎日休まず来ること、健康な身体を維持するための努力を讃えるためなんだそうです。
確かに立派な事です。何か続けるって、継続は力なりは正に言葉の通りです。
しかし、これは健康が維持されている場合で、体調不良の時まで無理する必要があるのかと思えました(最近は皆勤賞をなくす学校もあるそうです)。
昨日の朝、毎日ヨガを頑張るという、自分の中のルーティンを「体調悪い時は止める」
と恋人が背中をポンと押してくれたのですが、頑張ってる時って案外不調が外には見えづらいので、誰か背中を押してくれる事って大切だなあと思います。
そしてまた、健康に勝るものはないので、さまざまな拘りや頑固さを少し捨てて、素直にお休みをしてもいいのでは、と思いました。
健康と心は繋がっていて、お金や仕事は三番目に大切なんだそうです。
仕事の場合、もちろん職場に迷惑はかけれませんし、労働したからこそ収入になるわけで毎回休むわけには行きませんが、もし休めるなら休む時があってもいい、学校や習い事、続けている事、なんでもそうだけど。
「頑張りをほどく」
のは身体や心の健康に大切だ、そう思いました。ラフに健やかに過ごしたいです。
(MacBook)
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