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雑談を教えて

パーキンソン病の母と 虐待されていた私が 一緒に暮らすということ

#12 静かな暮らし


#12  静かな暮らし

 「うつで休職しているなんて、外で言わないで」
 
 母が私に放った一言。
 言われたのは数ヶ月前ですが、未だに私の心に引っかかっています。おそらく化膿しています。
 母の毒槍への耐性は、そこそこに獲得し終えたと思っていたのですが、この一言に関しては、未だ解毒が叶いません。「クソォ! まだそんな手があったのかっ!」と少年漫画の主人公だったのなら、言っていたところです。

 気が付いたら、あいさつがなくなっていました。
 必要以上に、同じ部屋で過ごすことを避けるようになっていました。
 そして今、会話がありません。
 「ご飯できました」「病院は何時からですか」「ゴミはゴミ箱に捨ててください」
 私が発するのはこれくらいのものです。

 「うつで休職しているなんて、外で言わないで」
 母が何故このようなことを言ったのか、その経緯を記すのはまたの機会にしたいと思います。丁寧に書いてみたいと思っている出来事ですので、いつか投稿した際には一読いただけますと幸いです。

 

 母の暴言など、今に始まったことではありません。
 会話がほとんどなくなった今でさえ、出会い頭にカウンターパンチを繰り出してくる始末です。
 母から何を言われようが我関せずで、にっこり笑って「おはよう!」と言えるような鋼メンタルを持っていたのなら良かったのでしょうが、私には常設されていません。

 一方母は母で、私が母から距離を取りはじめたことに気が付いており、「アンタがそういう態度でくるのなら、私も!」と負けじと私を避けるようになりました。
 こうして、”静かな家”は誕生したのです。

 静かな部屋で、私は一人うずくまります。 

 私が何よりも悔しいのは、”私が母にこのように接してしまう理由を、母当人が理解できていない”ということです。
 私にとっては暴言であっても、母にとってはただの発言。傷つけることを言ったなどとは露ほどにも思っていません。
 これが癪なのです。
 母の暴言の内容自体も、易々と許せるようなものではありませんが、せめて、”あなたのその一言に、私は傷ついた”と気付いてもらうまでは、態度を軟化させる気にはなれないのです。
 私は頑固で、母も頑固。大変です。 

 もちろん、このままではいけないことは分かっています。 
 意地を張り続けても良いことなどありません。母と私、互いの病にも悪影響です。
 しかしそれでも、必要最小限の会話のみの生活は続いていきます。

 前話では、母との仲が進展するかのように締め括りました。
 しかし、あのプレゼントの効力は1時間と持ちませんでした。プレゼント(賄賂)をきっかけに、私への言動を省みてくれるかもしれない、などと夢見ていましたが、まあ無理でした。

 しかし、こうやってのろのろと試行錯誤しながら進んでいくのが、私たちなのかもしれません。
 過程はどうあれ、ハッピーエンドに辿り着けば良いのですから。

↓  前話(#11)です。 

 血の繋がっていない2匹の愛猫。仲良くやっています。
 その秘訣を教わりたいです。


 昨日の「つぶやき」にも書きましたが、母の難病申請に行ってきました。
 受付開始日が七月一日ということで、重い腰を上げて頑張りました、私。

 日々、モヤモヤすることばかりですが、一旦全部忘れて、WEBライター検定3級取得に向けて邁進したいと思います!

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いつか母と仲良くなれたら、母と私と猫さんで旅行に行きたいと思っています。 野っ原をのんびりと散歩。 母との生活は始まったばかり。 夢は大きく、まだまだ諦めません^^