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ギリ20代の中学校教師、国語科です。 学校のこと、日常のことなど、自分を見つめるために…

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ギリ20代の中学校教師、国語科です。 学校のこと、日常のことなど、自分を見つめるために、心に思うよしなし事をそこはかとなく書き綴っていきます。

最近の記事

学びたいことを自覚すること

1つ前の学会の記録の続きですが、これもめちゃくちゃ大事なんだなってこと実感したので書き残します。 これまでも色々な学会、研修会に参加してきたけれど、いつもただなんとなく興味がありそうなものを選んで、聞いて、「なるほど〜」となる。時々すごいものに出会って「おおお!」となる。この程度だった。 でも、今回はいつもとは違って、某発表に向けて情報収集をしたい!(しないとやばい!)という心持ちでの参加だった。 私の中で、「読むこと」「文学」「比較」「言語感覚」「語彙」に反応するアン

    • まずは教師が楽しまなくちゃ!

      学会に参加したこの二日間で、いいな、と思った先生の発表で必ず聞いたこの言葉。 年度はじめに生徒が書いた自己紹介に、「国語の授業のイメージ」というものがあった。 「去年の◯◯先生の授業、とってもおもしろかったです!」 「いつも笑いがとまらない、楽しい授業のイメージです。」 「国語は楽しいので好きです。」 これを見てプレッシャーに感じたわたしは、果たして授業を楽しんでいるだろうか。問うまでもなく、自分が楽しむことも、生徒を楽しませることを放棄しているように思う。自分なりに一

      • 「納豆臭い」という比喩

        わたしと夫はよく「くさぁ〜」とか「ぷ〜ん」とか言い合っている。お互いの名誉のために言うけど本当に臭いわけではなく、じゃれ合いです。 今日、わたしは家に帰ってから靴下を床に脱ぎ散らしていた。というか正しくは夕飯とデザートの間に脱いで、食卓から見える位置に投げ捨ててあった。それに気づいた夫から、いつものごとく「ぷ〜ん」と言われ、自分の方に引き寄せたら何かがついていることに気付く。その時はデザートのシュークリームが美味しかったので、気にせず放置。 その後夫がソファに寝転びながら

        • 笑う門には

          数年前に生徒から「先生っていつも笑顔だけど、爆笑してるところ見たことない」と言われて、ハッとした。 学校でのわたしは、「先生」であろうとしすぎて、素で笑うことをしていなかったんだろうなと思った。私生活でも、笑わせる側でいようという意識はあったけど、自分が率先して笑うって、あんまりしてなかったんじゃないかなと思った。いや、周りに面白い人がたくさんいるから結局笑ってたけど、でもやっぱり笑わせる側でいようという意識が強かった気がする。 ただ、よく笑う人間になって思うことには、「

        学びたいことを自覚すること

          先生としてのわたし

          異動をして2ヶ月、だんだん学校に順応してくると同時に自分を出せるようになってきた。 前任校での5年間「先生としての自分」が分からず悩んだ。もがいた。「あの先生のこんなところステキ」「この先生のここは真似したい」なんて、人に憧れては真似して、「自分ってなんだ?」そんな問いを常にもっていた。その中で「先生のここがステキ」「先生のこういうところがいいよね」なんて言葉をいただいたこともあった。特に、離任式を含むそこまでの数日間は職員、生徒、本当にいろんな人からのありがたい言葉に、「

          先生としてのわたし

          絶体絶命

          子どもにとっての絶体絶命って純度が高いよねって話を穂村弘さんのエッセイで読んでとても共感した。 本の中でも授業中の腹痛が例としてできてたけれど、あれは最悪。 だって、授業中にトイレに行くなんて、「うんちしてきます」って言ってるのと同じだもん。人生における「恥」の経験値の浅い子どもからしたら、最大のピンチ。 でも、高校生になった頃には「今日もG(ゲリ)だ〜」なんて言ってるような女子がごろごろいたしわたしはその筆頭になっていた。高3の時のいつめんは9人のうち過半数が常にお腹

          絶体絶命

          教師としてのちょっとした成長

          「優しい」と言われることがコンプレックスだった。 教員3年目の時、学年で◯◯な先生といういくつかの項目でランキングをつけた時、「優しい先生」というのがあった。どのクラスでとダントツで自分の名前があがったとき、わたしは複雑な気持ちになった。 怒鳴ることをいいことだとは思っていないし、怒鳴れるようになりたいなんて思ったことはない。だけど、その頃のわたしに指導力があったかというとそうではなかった。クラスがにぎやかになりすぎることも日常茶飯事だった。 ある先生にその話をした時、

          教師としてのちょっとした成長

          教師として大事にしたいもの

          先日、初任校での5年間の勤務を終えた。5年を経て思うことは「この仕事、ずっと続けたい」ということ。 そもそもなぜ教員になったのか。教員採用試験のためにしか考えたことがなかったけれど、もっと自分の心を見つめてみると、恩師が云々とかそういう綺麗事だけでは語れないものがある。たぶんわたしは学校ダイスキ!という人間だったけれど、学校の、先生の、いろんなことへのもやもやした気持ち(オブラートに包まなければ「失望」とでも言えるかもしれない)が、わたしを教員にさせたんだと思う。 学校は

          教師として大事にしたいもの

          「余裕」は作るもの

          全国の同業者たちにとって、年度末というのは学年末テストや卒業式に始まり、成績処理であったり、要録であったり、クラス解散に向けての色々であったり、目がまわるほど忙しい。 でも、忙しい時、「忙しさ」で心をいっぱいにして過ごすのではなく、あえて「余裕」を作るのである。 昨日は8:00から部活でそのあと学校でしかできない仕事を16:00までやって、カフェに移動して21:00まで仕事をした。今日も少し仕事が残っているけどあえて朝からヨガへ。 瞑想の時間に頭を空にしたら浮かんできた

          「余裕」は作るもの

          喉元過ぎれば......

          わたしの性格を表すときに、ドジっていうとかわいいけれど、かなり失敗をする方である。 最近では、東京に遊びに行った時逆方向に進む電車に乗ってしまったり、家に飾ってある自転車にかばんを引っ掛けて倒して自転車を傷つけてしまったり、昨日はコンビニのトイレにかばんを忘れた。(財布が入っていたからかなり焦った) でもどれも、大事には至っていない、有楽町駅で待っていてくれた友達は一駅分多く電車に乗ってわたしとの合流を少しでも早くしようとしてくれたし、自転車の傷はどうにもならないけれどハ

          喉元過ぎれば......

          陽キャとか陰キャとか

          って言葉がとっても苦手です。 使う人も同時に「うぅ......」ってなってしまう。 何というか、まず人を勝手に陽キャと陰キャというカテゴリーに分けていることが嫌だなと思う。しかも、多くの文脈で陽キャが上で陰キャが下みたいな雰囲気で使われているからそれも嫌だなと思う。特に、自分のことを陽キャと思っている人が使う「陰キャ」って言葉には悪意があって最悪。でも、自分を陰キャとして自虐的に使う人もいて、それは面白いなと思う。でも、その中に陽キャとは関わり合いたくないみたいなニュアンス

          陽キャとか陰キャとか

          心の中の神様

          あの時こうしていれば、と考えることがある。 でも、同時に、あの時こうしていたら、と、違う未来になることを望まない自分もいる。 高校時代、対して勉強せずに、勉強をした気になっていた。やればできる、これからのびる、と、いつも自分は何だかんだやれると思っていた。 中学生の時はそんなに行きたくなかったけれど何となく申し込んでしまった市の海外派遣事業の代表に選ばれたり、地元のローカルテレビの歌番組に出たいと思ったら出られたし、高校生の時はNHKのど自慢に出たいと思ったら1600通以上

          心の中の神様

          性癖の一つだと思うこと

          なんかちょっと意地悪な人とか、なかなか心開いてくれない感じの人とかにすっごくハマってしまうところがある。あと、みんなになぜか好かれていない人とかも。恋愛とはまた違う、好奇心みたいなもの。(だと思いたい。) この感覚、わかる人いませんかね。 わあ〜〜〜、この人に好かれてみたいなぁっていう。普段は人間関係においてあんまり燃えることがない何かがメラメラ燃えてしまうこの感覚🔥🔥 この感情がある時ってかなり心が元気だから、常にそういう人を見つけて生活したいなって思う。

          性癖の一つだと思うこと

          強い口調で得した経験

          そんなものないなと思う。 これまでの自分を振り返ると、おそらく中学生くらいまでは口調が強かった。高校生の頃もかな。自分を守るために、強くいようとしてたなと思う。そんな、弱かった自分が傷つけてしまった人がいたら本当に申し訳なく思う。 高校生あたりから、少しずつ「強い口調」って得しないなと気付き始めて今では「強い口調」とはかけ離れた人間になった気がする。 生徒から「先生ってなんでもっと強く言わないの?」と言われたことがある。ルール違反をしている生徒に対してだ。たとえば、ストーブ

          強い口調で得した経験

          自分の心と対話すること

          さぼってしまった。2024年が始まってまだ16日。毎日書こうと決めたのにこれでようやく7回目の投稿。まあそんなもんでしょという気持ちとこれだからわたしはという気持ち。 明日からの2泊3日はスキー・スノボ宿泊の引率。これがひどい。希望していないのにお金を払って行くのだ。もちろん、給料もでる。だけどどうがんばっても赤字なのだ。数万円の自腹をきって、ここよりも寒い思いをしなきゃいけないなんて。早寝早起きを強いられるなんて。自由に食事できないなんて。スキーとかスノボができるなら楽し

          自分の心と対話すること

          自分をもっている人

          学部時代仲良くしていたメンバーと久しぶりに集合した。1人インフルエンザで欠席になってしまったけれど、9人も集まれたのなかなかすごい。 お酒の力もあり、すぐに大学時代の感じに戻ることができた。懐かしい話をしては笑った。 このメンバーのうちの1人が韓国に住んでいる。大学時代に中国留学からの、韓国の大学に編入。それからずっと韓国暮らし。日本の大学に一緒に通ったのは2年に満たない程度だけど、とにかく関わったみんなの印象に残るような人である。底抜けに明るくて人たらし。(愛されキャラ

          自分をもっている人