絶体絶命
子どもにとっての絶体絶命って純度が高いよねって話を穂村弘さんのエッセイで読んでとても共感した。
本の中でも授業中の腹痛が例としてできてたけれど、あれは最悪。
だって、授業中にトイレに行くなんて、「うんちしてきます」って言ってるのと同じだもん。人生における「恥」の経験値の浅い子どもからしたら、最大のピンチ。
でも、高校生になった頃には「今日もG(ゲリ)だ〜」なんて言ってるような女子がごろごろいたしわたしはその筆頭になっていた。高3の時のいつめんは9人のうち過半数が常にお腹がゆるくて正露丸を持ち歩いていたからグループ名は「つゆまる(「露丸」の訓読み)」だった。お腹が正常なメンバーをまったく考慮していない名前だったなと今では思う。こういうことを恥ずかしく思わなくなるなんて、相当、いろんな恥を経験してきたんだなと思う。
でも、この子ども時代の「授業中のトイレ」と並ぶくらいの絶対絶命を最近経験した。「咳、止まらない事件」です。先々週風邪をこじらせてたんだけど、その中でも咳がひどい時期があって。
1人で何かをしている時ならうまく抜け出してどこかで思う存分咳をするんだけど、生徒のスピーチ発表の途中だったり、保護者の方との電話中だったり、「抜け出すことができない状況」にある時に咳が出るから困る。しかも強めの長めのやつ。思う存分咳をすれば治るんだけど、それができないとなると苦しいし、頭痛くなってくるし、涙が出てくるし、あれは「絶体絶命」に値するなと思った。純度高めの「絶対絶滅」を経験させてもらって、子どもにより寄り添えるようになった気がする。「辛いよね。」って。
最後に、1ヶ月ほど前にあった絶体絶命を記録して終わりにする。
またまたトイレの話で恐縮なんだけど、遊びに行った時にどうしてもトイレに行きたくなって、トイレがキレイで定評のあるドラッグストアに寄ったんです。そしたらおそらく同じ考えの人が先に入っていて。個室1つなのにそこに並ぶのもなんだし、トイレだけ借りるのもなんだし、飲み物を買いにお店に行って、もっとトイレに行きたくなってからもう一回トイレに行ったんですけどまだ使用中で......。なんとな〜く、このあと入るのこわいなって、ためらいの気持ちが出てきて近くのコンビニのトイレに行ったんです。
ふぅ......。と、すっきり大満足で車に戻って、15分くらい車を走らせてカフェに向かったんだけど、到着して「え、かばんがない!!!」ってなって。
頭フル回転で考えたらトイレのかばんかけるところにかけたなって思い出して。
慌てて「⚪︎⚪︎(地名) セブン」って調べたんたけどそれがめちゃくちゃあって。結局店舗特定して電話してすぐに取りに行って、何とかなったんだけど、クレジットカードにキャッシュカードに......って考えるとあれは久々に焦った経験だったなぁ。
って、やっぱり、大人になってからの「絶体絶命」のピンチって、本当に結構やばいことが多いなと思う。なるべく、「絶体絶命」からは遠ざかった日々を過ごしていきたい。
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