軍拡競争が戦争に繋がるリスクはどれほどのものなのか?
結論から述べると、あらゆる軍拡競争が大規模戦争のリスクを高めるわけではありません。軍拡競争はある特定の状況下において国際的な紛争をエスカレートさせるのであって、それ自体が戦争の原因であるかのように見なすことは誤りです。軍拡競争がどれほど戦争のリスクを高めるのかに関しては諸説ありますが、1980年代の論争を通じて一定の結論が得られています。この記事ではその論争の展開を概観し、軍拡競争と戦争のエスカレーションとの関係をどのように理解すればよいのかを解説してみたいと思います。
論争の発端となったのはWallaceが1979年に出した「軍拡競争とエスカレーション(Arms races and escalation)」と題する論文でした。Wallaceは1833年から1965年までに発生した99件の大国間の紛争に関するデータを使って、軍拡競争が激しい場合には大国間の紛争が戦争に拡大する確率が82%であると計算し、軍拡競争はエスカレーションの可能性を示唆する重要な指標であると主張しました。それまでの軍拡競争の研究ではRichardsonが構築した数理モデルの分析や拡張を中心に発展してきましたが(リチャードソンの軍拡競争モデルを使って考える国際政治のダイナミクス)、Wallaceの分析は新しい試みとして歓迎され、注目を集めました。しかし、軍拡競争と戦争のエスカレーションを結びつける解釈には多くの批判が加えられることになりました。
Weede(1980)はWallaceの研究に複数の問題があることを早くから指摘ししていました。まずWeedeは、1833年から1852年、1871年から1904年、1919年から1938年、そして1946年から1965年という4つの時期では軍拡競争が活発に行われていたにもかかわらず、大国間の紛争が戦争に拡大しなかったことを指摘しています。また、軍拡競争が戦争に繋がるとことを裏付けるためにWallaceが提出した証拠の多くが第一次世界大戦(1914~1918)と第二次世界大戦(1939~1945)に由来するものであり、時期的な偏りが大きいことも指摘されています。これらの問題点はその後の研究者からも繰り返し指摘されています。
また、WeedeがWallaceと同じデータを用いて分析しても、軍拡競争が戦争の拡大に因果的な影響を及ぼしたという見方を裏付けることはできなかったと述べています。むしろ、Weedeは現状維持勢力である大国が軍事バランスを維持するために必要な速度で軍拡を行うことを放棄してしまう危険があることを認識すべきではないかと主張しており、その根拠として歴史上の軍拡競争の事例で現状維持勢力が軍事的優位を保ちながら全面戦争に突入した紛争の割合は16%だったのに対して、現状打破勢力が当初の軍備に対して50%以上の軍拡を実現し、現状維持勢力に対して軍事的優位に立つことに成功した場合、全面的な戦争に突入する紛争の割合は40%だったという自身の分析結果を報告しています。
HouwelingとSiccamaは「軍拡競争と戦争の関係(The arms race‐war relationship)」(1981)で、より詳細な批判を展開しました。彼らはWeedeの批判を踏まえ、研究に使用した概念の定義と理論的モデルの妥当性、そしてデータ分析の方法論に関して詳細な検討を加えています。HouwelingとSiccamaは軍拡競争の危険性を戦争を引き起こす原因として捉えるべきではなく、あくまでもエスカレーションを促進する性質として区別する必要があることを適切に指摘しています。つまり、戦争は軍拡競争より先行して勃発する可能性がある事象であるということです。これはWallaceが考えた因果関係を大きく修正する見解であり、戦争が勃発するメカニズムと、エスカレーションが進行するメカニズムを切り離して考える必要性が認識されました。
Wallaceの批判でもう一つ重要な成果としてDiehlの「軍拡競争とエスカレーション(Arms Races and Escalation)」(1983)が挙げられます。DiehlもWallaceが用いた分析の手法を再検討し、修正を加えることを提案しています。修正された手法で1816年から1970年までの大国間の紛争で軍拡競争が戦争へ発展したケースがどれほどあったのかを分析したところ、25%にとどまることが明らかにされました。DiehlとWallaceの分析の結果がこれほど大きく異なったものになったのは、国家がどれほど急激に軍事支出を増加させたときに軍拡競争と認定するのか、その判断基準が違っていたためであるといえます。そのため、Diehlが加えた批判が成り立っているのか慎重な見方を示している研究者もいました。
Sampleは「軍拡競争と紛争のエスカレーション(Arms Races and Dispute Escalation)」(1997)でWallaceとDiehlが用いた概念の定義、データセット、分析の手法の違いを詳細に検討し、そもそもWallaceとDiehlは軍拡競争の捉え方が異なっており、Diehlの研究は論争を解決できるものではないと指摘しています。また、Sample自身の貢献として注目すべきは、WallaceとDiehlの双方が危険ではないと見なした期間でも、将来的に戦争にエスカレートする恐れがある軍拡競争が存在していたことを明らかにしたことです。一見すると無害なゆっくりとした軍拡競争であっても、長期的観点で見れば戦争へのエスカレートに繋がる恐れがある場合があるという指摘は、軍拡競争とエスカレーションの因果関係を推定することの難しさを改めて認識させるものでした。
今では軍拡競争とエスカレーションの関係は状況の特性によって異なったものになるという見方が共有されており、軍拡競争のパターンによって影響がどのように変化するのかが研究の焦点になっています。例えば、さまざまな軍拡競争の形態を想定し、軍拡の速度が顕著に変化する時点で戦争にエスカレートしやすくなることが報告されています(Smith 1988)。この研究では軍拡競争が本格化した初期段階で戦争のリスクが高まるのであって、軍拡競争の末期段階で戦争のリスクが高まるのではないと考えられます。ただし、軍拡競争で増強される軍備の種類に注目し、防御的武器よりも攻撃的武器を拡大させるような軍拡競争で戦争のリスクが高まりやすいという議論もあります(Patchen 1986)。この議論を踏まえるならば、軍拡競争を理解するためには、それぞれの軍備の特性を評価することが欠かせないでしょう。
見出し画像:U.S. Department of Defense
参考文献
Wallace, M. D. (1979). Arms races and escalation: Some new evidence. Journal of Conflict Resolution, 23(1), 3-16. https://doi.org/10.1177/002200277902300101
Weede, E. (1980). Arms Races and Escalation: Some Persisting Doubts (Response To Wallace's Article, Jcr, March 1979). Journal of Conflict Resolution, 24(2): 285-287. https://doi.org/10.1177/002200278002400205
Houweling, H. W., & Siccama, J. G. (1981). The arms race‐war relationship: Why serious disputes matter. Arms Control, 2(2), 157-197. https://doi.org/10.1080/01440388108403725
Diehl, P. F. (1983). Arms races and escalation: A closer look. Journal of Peace Research, 20(3), 205-212. https://doi.org/10.1177/002234338302000301
Sample, S. G. (1997). Arms races and dispute escalation: Resolving the debate. Journal of Peace Research, 34(1), 7-22. https://doi.org/10.1177/0022343397034001002
Smith, T. C. (1988). Risky races? Curvature change and the war risk in arms racing. International Interactions, 14(3), 201-228. https://doi.org/10.1080/03050628808434706
Patchen, M. (1986). When Do Arms Buildups Lead to Deterrence and When to War?. Peace & Change, 11(3‐4), 25-46. https://doi.org/10.1111/j.1468-0130.1986.tb00079.x