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地理学者は戦争と地理の関係をどのように考察するのか? Battling the Element(1998)の紹介

戦争は敵との戦いであると同時に、自然の猛威との戦いでもあります。暴風、降雨、極寒、泥濘、灼熱などは戦場の環境を変え、戦闘の流れを変えることさえあります。したがって、地理の知識が軍事学の研究では欠かすことができません。

地形学を専門とする地理学者だったHarold A. Winters教授(ミシガン州立大学)は1982年から1983年にウェストポイントの陸軍士官学校で在外研究を行い、作戦、戦術に地形と気象が及ぼした効果に興味を持つようになりました。この在外研究で知り合ったアメリカ陸軍軍人のGerald E. Galloway氏、William J. Reynolds氏、David W. Rhyne氏は陸軍士官候補生学校で軍事地理を教えていた経験から軍事地理学の入門書が必要であることを認識しており、彼らは協力することで『自然との戦い:戦争遂行における気象と地形(Battling the Elements: Weather and Terrain in the Conduct of War)』(1998)が書き上げられました。

Winters, H. A. (1998). Battling the Elements: Weather and Terrain in the Conduct of War. Johns Hopkins University Press.

この著作の長所は、自然地理に精通していない読者であっても、戦争と地理の関係が理解できるように議論を進めていることです。第2章のテーマは気象であり、これは数多くの戦闘の経過に重大な影響を及ぼしてきた因子として知られていますが、これを説明するために著者らは気象の基本的な概念から順番に解説しています。ここで、その説明を簡単にまとめておきます。

気象現象の根源を探ると、それが地球が太陽から受け取るエネルギーであることが分かります。太陽から地球にもたらされるエネルギーの大きさは一様ではなく、地軸に傾きがあるため、地球の緯度によって違いがあります。これは大気の密度にばらつきを生じさせ、循環をもたらすことになります。なぜなら、太陽のエネルギーで温度が高くなった大気は膨張して気圧が低下しますが、反対に太陽のエネルギーが届きにくい高緯度の地域では空気が低温のままなので、気圧が上昇するためです。これが低気圧と高気圧の発生へと繋がります。

気象現象を説明する上で、これら気圧の配置には重要な意味があります。低気圧は気圧が低くなっている場所を、高気圧は気圧が高くなっている場所を指していますが、その差が大きくなるほど、大気はその差を埋めるように動きます。これは高気圧から低気圧に向かって風が吹くことを意味します。気圧の配置は風だけでなく、降雨を考える上でも考慮されます。高気圧が発生する要因として太陽のエネルギーで暖められた空気があることを述べましたが、この空気に水蒸気が含まれている場合、それが雨を降らせる雲となり、低気圧に向かう風で運ばれるためです。

東南アジアで発生する低気圧は、日本列島を襲う台風の主要な発生源となっており、歴史上何度も風水害をもたらしてきました。しかし、その影響は災害に限定されません。ユーラシア大陸で巨大な帝国を築いたモンゴルが、高麗を従えて対馬海峡を渡り、日本列島へ侵攻しようとしたとき(元寇)、台風に進軍が阻まれたことがありました。著者の推定によれば、1274年の文永の役では台湾海峡から、1281年の弘安の役ではフィリピン海から北上してきた台風により、モンゴル軍の艦隊は大きな損失を被り、着上陸作戦を続行することが困難になりました。

「毎年、およそ600弱の小さな擾乱(引用者注:小規模な大気の乱れ)が発生し、熱帯地帯の海域から西方へ移動する。そのうち、台風に成長するものは10%にも満たない。1281年8月の上旬に太平洋の赤道から北に位置する北緯5度から10度で湿った空気を含んだ小さな嵐が発生した。これはフィリピンから東の海上で発生し、大気の循環パターンに沿って西に移動し、暖かい海から十分に熱を受けながら、次第に大型の台風に成長していった。(中略)この嵐は時速120キロメートルを超えていた可能性が極めて高く、(引用者注:中国大陸に沿って)右に進路を変え続け、最後には日本の南部に直撃した。この巨大なシステムは1281年8月15日に海岸に到達したが、それは100,000名以上のモンゴル軍の部隊が乗船してから間もないことだった」

(p. 13)

気象現象によって作戦行動が失敗するリスクがあることは、近代戦においても変わっていません。第二次世界大戦では連合国がイギリス海峡を渡り、フランスの北部のノルマンディー地方に上陸しようとしたときも、気象状況によって作戦の進展が大きく異なるため、気象予報が作戦を開始する時機の判断に大きな影響を及ぼしました(pp. 23-32)。

雨水は地上で地面の表面を流れるか、あるいは地下を流れながら海に向かって移動しますが、これは地形の特徴を形成する重要な要因になります。降水量が多い地域では河川の水位が頻繁に上昇し、堤防がなければ、河川と隣接した平地に向かって広がっていきます。氾濫原や三角州は、こうした河水の影響で形成される典型的な地形であり、ヨーロッパではライン川が流れるオランダ見出すことができます。こうした地形は農地に適していますが、交通には適していません。ここで重要になるのが排水システムであり、これを広範に整備することが欠かせません。さもなければ、泥と沼で移動が阻まれ、農地としての利用さえも阻まれてしまうでしょう。オランダの道路が地面から2メートルも高い位置に構築されていたのは、こうした地形特性を考慮していたためです。

これは些細なことだと思われるかもしれませんが、軍事作戦で大きな問題になった実例があります。1944年9月にフランス上陸を果たした連合国軍が、ドイツに向かって進軍するため、オランダのアーネムをドイツ軍から奪取しようとしたとき、オランダの低地を部隊が移動する難しさについて十分な認識がありませんでした(マーケット・ガーデン作戦)。アーネムにはライン川を渡河する橋梁が架かっており、交通の要衝となっていました。連合国軍は先に空挺部隊を降下させ、その後で地上から増援を送ることを構想しましたが、アーネムに至る道路の交通容量が限られていたこと、また路外に出て部隊が移動することが困難な地形だったために、ドイツ軍の反撃に対処できなくなり、作戦は失敗に終わりました。

連合国軍でこの地形の問題が認識されていなかったわけではありませんでした。著者は、9月11日に作成された地形分析の報告書で第82空挺師団の情報幕僚はオランダの道路の特性から車列を路外に出すことが難しいことを指摘しており、同じく第1空挺師団でも地形の特性から作戦に重大なリスクがあることについて懸念が出されていました。作戦全体の指揮をとっていたイギリス軍のバーナード・モントゴメリーも、こうしたリスクについて認識を共有していたのですが、ドイツ軍がV2という弾道ミサイルをイギリスに向けて発射し始めたことから、すぐにでも部隊をオランダで前進させるべきだと判断し、作戦の開始に踏み切りました。作戦が失敗に終わったことを振り返り、モントゴメリーは1949年に次のように述べています。「何が可能になるかは、第一に地理、第二に広義の輸送、第三に行政管理にかかっているだろう。しかし、本当に突き詰めて述べるならば、私は地理が第一だと考える」(p. 154)このモントゴメリーの言葉は、本書の一貫した主張であり、戦争がいかに多く面で地理に影響されているのかを再認識させるものであると思います。

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