見出し画像

論文紹介 1970年代に米国で生み出された軍備競争の戦略思想

戦略研究者アンドリュー・マーシャルは、ランド研究所で勤務していた1972年にアメリカがソ連にとるべき長期戦略を形成する上で、どのような考え方が必要であるのかを論じた『ソビエトとの長期的競争(Long-Term Competition with the Soviets)』を発表しています。彼は後に国防総省の総合評価局初代局長に就任し、アメリカの戦略構想を政府の中で検討することになります。この記事では、この報告書の内容を紹介することで、マーシャルがどのような戦略思想を持っていたのかを紹介したいと思います。それは一般的に想像される軍事思想とはかなり方向性が異なっています。

Marshall, A. (1972). Long-Term Competition with the Soviets: A Framework for Strategic Analysis. RAND. https://www.rand.org/pubs/reports/R862.html

この論稿でマーシャルが論じている戦略思想の特徴は、長期にわたる軍備競争が米ソ間で続けられた場合を想定していることです。マーシャルがこのような議論を展開したのは、1969年から1972年にかけてアメリカがソ連と戦略兵器制限交渉を進めていたことが背景にあります。戦略兵器制限交渉は、アメリカとソ連との間で保有する核兵器に量的な制限を設けることを目指した歴史的な軍備管理交渉であり、米ソ関係を好転させる上で重要な意味がありました。

この報告書を出した時点でマーシャルはその交渉の結果を知りませんが、もし合意に到達したとしても、米ソ間では平和が維持された状態で軍備競争が継続するはずであると考えていました。マーシャルにとって軍備管理は対立の終わりではなく、安定的な関係を保ちながら繰り広げられる競争の手段であり、軍備の水準を調整することがアメリカの安全保障にとって重要であることに変わりはないと考えていました。

マーシャルは、軍備競争の資源配分を考えるには、政策決定の仕組みをより深く理解することであると考えており、「もし我々が競争の性質、相互作用の過程の性質を真に理解したいのであれば、米ソ両国の政治、軍事、産業の官僚機構における意思決定の過程を現在よりさらに理解する必要があるだろう」と述べています(Marshall 1972: 7)。例えば、軍備競争の議論では、一方が自国の安全を確保するために軍備を拡大すれば、それに反応して他方の国家も相手から安全を確保しようと軍備を拡大し、それが相互に影響して無制限に軍備の拡大が進むというモデルが想定されていました。

マーシャルは、このような理論上のモデルが米ソ関係の軍備競争の歴史に当てはまっていないと批判しています。それまでのソ連の国防予算の推移を調査すると、1960年代の予算増加は対外的な軍事的状況に起因しているわけではなく、国内の経済成長によって強く影響を受けていたことが明らかになります(Ibid.)。ちなみに、マーシャルがアメリカの国防予算の水準を分析しても、それが対外的な軍事状況から影響されていることは確認できませんでした(Ibid.)。極度に緊張した状況に入った場合には、このようなパターンから逸脱した予算行動が見られますが、それは例外的な事象です。

したがって、軍備競争を理解するためには、単に軍備を抑制すればよいというわけではありません。政策的、戦略的に重要なことは、相手が平時にどのような官僚的手続きに基づいて国防予算を決定しているのかを見極めることです。マーシャルが注目するのは、ソ連が軍事態勢を増強する際に、既存の技術を可能な限り利用し、失敗するリスクが高い研究開発プログラムを避けようとしつつも、量的な戦力規模の拡大を優先するパターンが見られることでした(Ibid.: 13)。

その動向はアメリカが挑戦的な研究開発プログラムに投資し、しかも短期間でそれを完成させようとすることと比較するとは対照的でした。ソ連軍では、新しい武器が開発されてから、部隊がそれを装備し、最終的に廃止するに至るまでの期間が長くなる傾向にあることも指摘されています(Ibid.)。このような調達パターンは、ソ連では国防予算の編成過程が外部からの恣意的な干渉に脆弱であることを示唆しています。つまり、軍備の水準は対外的な緊張状態というよりも、その国内政治を強く反映していると考えられます。

「ソ連とアメリカのいずれについても、軍事機構は組織の集合体であり、適応的な変化に対する認識と応答が相互に影響を及ぼし合う。おそらくは、大規模な調整の期間を除けば、いずれかの国についても合理的な集権的計画によって作動する適応過程があるという図式化は否定されなければならない。つまり、この(軍備管理の)相互作用の過程は、相手国の戦力の変化を高いレベルから中央が認識し、適切な対抗戦力の態勢や計画の変更を決定し、そしてその命令が下位の階層に伝達され、実行されるという過程と見なすことはできないのである」

(Ibid.: 19)

ソ連の軍備増強を合理的な選択に基づくものと捉えることを拒否した上で、マーシャルは、それぞれの軍隊の下位階層の役割に注目すべきだと主張しています。これは、「一方の国の軍事機構の特定部分に関する戦力変化の認識は、他方の国の軍事機構の特定の下位組織に集中する可能性が高い」ためです(Ibid.)。

例えば、当時のソ連軍には地上軍、海軍、空軍、防空軍、戦略ロケット軍という5個の軍種がありましたが、マーシャルはそれぞれの軍種で対米認識が異なる可能性が高いと指摘しています。それぞれ異なる部隊態勢が必要であると主張しているので、予算の水準や装備の研究開発プログラムの内容について、異なる要求を出すと主張しています(Ibid.)。一部の軍人はアメリカの部隊態勢の変化に気が付かない可能性もあるため、あらゆる軍備の動向が重要であるとも限りません。反対に、アメリカの部隊態勢の些細な変化を捉えて、これを理由にソ連の軍人は自らの部隊の予算を増やすために、その脅威を内外に広く知らしめようとすることも想定できます。このような組織内政治を考慮に入れることが、軍備競争を有利に進める上で重要です。

以上の考察を踏まえ、マーシャルは長期的な軍備競争を管理するための戦略を検討し、国防予算の経済的管理を重視するべき理由を説明しています。例えば、マーシャルはアメリカ政府が短期間で国防予算の水準を急激に変更する幅に対して何らかの制限を課すことを提案しています。この制限は「支出の水準が急速に変化すると、予算編成や計画に問題が発生する」ためであり、軍備の意思決定のペースを、通常の予算編成とのスケジュールに適応させ、無駄が生じないように注意することが必要だとしています(Ibid.: 30)。

アメリカ軍はソ連に軍事的に優位に立つだけでなく、経済的な効率でも優位に立つことが重要であり、国防予算の費用対効果を改善することには戦略上の意義があります。それと同時に、「ソ連の費用の上昇を誘導することで、競争上の地位を維持するためにソ連が直面する問題を複雑化させること」も目指さなければなりません(Ibid.: 31)。この二つの主要な目標を達成することによって、軍備競争におけるアメリカの地位を強化することが可能となります。

こうした軍備競争で優位に立つために、研究開発が極めて重要な意味を持ちます。マーシャルは、第二次世界大戦が終結してから、アメリカが先行していた技術的分野に投資することで、着実に独自の技術力を向上させてきたと評価しています。このことは、アメリカとソ連の軍備競争に影響を及ぼしており、マーシャルはアメリカとして研究開発戦略が重要だと主張しています。その際には、軍備競争においてアメリカが優位に立つことができる分野を特定することを重視しなければなりません(Ibid.: 35)。

マーシャルは、アメリカは非軍事部門の研究開発に目を向けるべきと主張しており、それはソ連が最も不得手とする分野だとされています(Ibid.: 36)。アメリカのボーイング社が開発、製造し、1969年に初飛行を実現したボーイング747は、当時としては世界で最大の輸送力を備えた大型の民間航空機でしたが、その技術はソ連の航空技術者を驚かせました(Ibid.: 37)。こうした技術基盤を軍事的に応用することによって、アメリカはソ連との軍備競争で優位に立ちやすくなると考えられています。

ただし、マーシャルは軍備競争において安定性を一定に保つことも重要です。マーシャルは、ソ連が大陸間弾道ミサイルSS-9の配備に向けて動いたことは、アメリカにとって失敗であったと述べています。この高出力な核ミサイル開発がソ連で承認されたことによって、アメリカはそれまでに投資してきた技術の価値が低下し、追加で高額な支出を余儀なくされました。長期的な軍備競争では技術的な比較優位を保持することが重要です。

以上のように、マーシャルは自国の軍備を技術的に洗練させることによって、相手国により重い軍事的費用負担を余儀なくさせることを戦略構想として定式化しています。マーシャルが軍備競争と経済成長を促進できるかどうかが、技術開発の成功にかかっていると考えていたことは興味深い点だと思います。武力を実際に行使するのではなく、平和を安定的に維持することが軍隊の重要な役割となっていた冷戦時代に適した戦略思想として示唆に富むのではないでしょうか。

関連記事

調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。