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メモ 戦略文化論はどのように発展してきたのか?

戦略という言葉には、感情や思い込みを排除し、合理的な意思決定が徹底させたイメージがあるかもしれません。しかし、それは実際の戦略からかけ離れたイメージです。

戦略を決定する人々も普通の人間にすぎず、その意思決定は感情、思い込み、偏見などの影響を受けます。歴史上の戦略を研究する場合には、戦略を決定した人々に注目し、彼らがどのような世界観、イデオロギー、社会規範を持っていたのかを知ることが重要です。戦略文化論は、こうした戦略の人間的な側面に注目する研究領域だといえます。

戦略文化論の視点は1960年代に政治と文化の関連を探る研究に由来しています。ガブリエル・アーモンドシドニー・ヴァーバの共著『現代市民の政治文化』(1963)は政治文化論の代表的な業績であり、政治体制に関連する社会の信念と価値の集合として政治文化を定義し、その違いが政治システムにどのような影響を及ぼしているのかを考察しています。しかし、このような文化的要因を考慮に入れる発想は、安全保障、戦略の研究領域で受け入れられるまでに少し時間がかかっています。

戦略の領域で文化の影響を認識した先駆者にジャック・スナイダーがいます。スナイダーはソ連の核戦略を理解するには、ソ連の首脳部を構成するエリートがどのような文化を受け入れているのかを理解することが重要であると主張しました。なぜなら、それはアメリカの戦略理論で暗黙裡に想定される価値観や世界観とはまったく異なったものである可能性があると考えられるためです。スナイダーはソ連の戦略思想が「核戦争遂行戦略を重視してきた」と指摘し(Snyder 1977: 10)、1960年代を通じてソ連の軍事関連の著作では、核戦争において勝利を収める可能性が真剣に考慮されてきたことに注意を促しています(Ibid.: 11)。これはソ連がアメリカと同じような発想で核兵器を運用しているわけではないこと、そして戦略行動を分析する際に、自身の考え方を無意識に相手に投影してはならないことを示唆しています。ただし、戦略文化論はあまりにも曖昧な要因で戦略を説明しているとして、批判を加えられました。そのため、戦略文化論は短期間で研究者に受け入れられたわけではなく、それが研究領域と発展するためには、さらに時間を要しました。

Snyder, J. (1977). The Soviet Strategic Culture: Implications for Limited Nuclear Options. Santa Monica: RAND.

戦略文化論の研究が大きく前進したのは、国際政治学においてアレクサンダー・ウェントがコンストラクティビズムという理論を提起してからのことでした。ウェントは、国家が政策の前提とするアイデンティティや、政策によって追求される利益は、はじめから自明のものとして存在するわけではなく、社会の内部で構築されると主張しました。したがって、安全保障に関連する政策決定に際しても、政策決定者はただ観察された状況から合理的に行動方針を導き出しているわけではなく、すでに社会生活の中で内面化された規範に従おうとします。アラステイア・ジョンストンは、このコンストラクティビズムの視点に立ち、戦略文化を「紛争の性質と敵の性質に関する基本的なパラダイムに組み込まれた仮定から導き出され、政策決定者に共有され、順位が与えられた大戦略についての選好」と定義しています(Jonston: )。ジョンストンが研究対象とした明の戦略文化の場合、その深層構造にあるのは脅威を取り除くために暴力の使用を推進する思想ですが、表層構造においては暴力の使用を可能な限り回避する思想があるとされています。そして、この戦略文化が戦略行動に及ぼす影響は、敵と味方の勢力関係によって

Johnston, A. (1995). Cultural Realism: Strategic Culture and Grand Strategy in Chinese History. Princeton: Princeton University Press.

ジョンストンの研究にも批判があります。ジョンストンの議論では、明の戦略文化に相反する二つの内容が併存しており、それが戦略行動に与える影響は状況によって変わると説明されています。これは混乱を招く議論であり、恣意的な結論を導く恐れがあります。もし戦略文化が状況認識によって左右されるのであれば、それはコンストラクティビズムの理論を取り入れずとも国家の対外政策の変化を説明できるともいえるでしょう。ジョンストンが明の戦略文化を解き明かすために使用されているのは、明軍で士官を教育する目的で編纂された『武経七書』などの兵書ですが、これらの内容が明の戦略文化をどこまで代表しているのかも疑問です。これらの兵書は軍人のための文献であり、それは必ずしも大戦略を主題としたものではありません。

ジョンストンの研究成果に批判を加えた研究者の一人がコリン・グレイです。グレイはジョンストンの議論が「間違っている」と述べています(邦訳、グレイ、218頁)。どのような間違いがあるのかといえば、それは「文化を『戦略の選択についての矛盾した説明』において、明確に区別できるものであると考えている点」だとされています(同上)。つまり、文化とは、より捉えどころがない複雑さを持っているものであって、戦略文化は「思考や感情、そして『行動におけるクセ』の世界に属している」ので、ジョンストンのアプローチでは戦略文化の全体を捉えることが困難です(同上)。グレイはジョンストンの研究を戦略文化論の代表的な業績として位置づけていますが、そのままの形で議論を受け入れることは避けています。

コリン・グレイ『現代の戦略』奥山真司訳、中央公論新社、2015年

今後の研究の課題にも触れておきます。対外政策、大戦略を国家が選択する際に、客観的に観察が可能な軍事バランスだけではなく、戦略文化が影響を及ぼしている可能性があることに関してはほとんど異論はありません。しかし、戦略文化それ自体を観察することはできないので、それを把握する手法に工夫が必要です。このためには、分析の対象とする戦略文化する保有する個人や集団を特定し、彼らの世界観や価値観を詳細に調査することが重要です。あらゆる文化は、世代を超えて言語的、あるいは非言語的な手段で継承され、各個人に内面化されていきますが、その過程で特定の文化要素の継承が止まり、文化変容が起こることも考えられます。

例えば、スナイダーはソ連の戦略文化が攻撃的な傾向を持つと考えていましたが、その見方が正しいとしても、ソ連が消滅し、ロシアが誕生した際に、その戦略文化がそのまま継承されたのか、あるいは何らかの変化を遂げたのかは今後議論すべきことでしょう。この分野の課題については次の論文も参考になります。戦略文化論の歴史をより詳細に記述し、今後の展望を示しています。

Lantis, J. S. (2009). Strategic culture: From Clausewitz to constructivism. In Strategic Culture and Weapons of Mass Destruction (pp. 33-52). Palgrave Macmillan, New York.

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