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論文紹介 ロシアのウクライナ侵略はドイツの外交をどのように変えたのか?

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの侵略を受けて、2月27日、ドイツのオラフ・ショルツ首相は連邦議会で演説し、これまでの対外政策の転換期(Zeitenwende)が到来したという自らの考えを表明しました。長年にわたってドイツ政府を率いてきたアンゲラ・メルケル前首相は、ドイツの外交政策として、アメリカを中心とする西側の同盟を強化しつつも、欧州の統合を深化させ、かつロシアとの経済連携を強化することによってロシアにも積極的に関与することを基本としていました。ショルツ首相の演説は、この従来の路線を見直すことを宣言したものであるといえます。

ショルツ政権の対外政策の転換を理解するためには、これまでのドイツの対外政策を踏まえ、どのような修正が加えられたのかを明らかにすることが必要です。この記事では、Bernhard Blumenau氏が発表した「慣例を打ち破る?(Breaking with convention?)」(2022)を取り上げ、その要点を紹介してみたいと思います。この論文はオンラインで公開されています。

Bernhard Blumenau, Breaking with convention? Zeitenwende and the traditional pillars of German foreign policy, International Affairs, Volume 98, Issue 6, November 2022, Pages 1895–1913, https://doi.org/10.1093/ia/iiac166

ショルツ首相は2021年12月に政権を発足させた当初から対外政策の変更を考えていたわけではありません。少なくとも2021年の末から2022年の初めにかけて、ショルツ首相はロシアと対話を続ける姿勢を打ち出していました。ドイツがロシアと緊密な経済関係を維持することによって、ロシアが武力によって国際社会の現状を変更することを思いとどまらせようと試みていたのです。

しかし、2022年2月にロシアがウクライナに対する武力攻撃を開始したことで、ショルツ首相はロシアに対して、より強硬な措置を講じる必要があると認め、「北大西洋条約機構(NATO)の集団防衛の義務を無条件に遵守する」ことや、「ドイツ軍に新しい強力な能力が必要である」と発言し、欧州連合(EU)が結束して、この課題に取り組む決意を表明しています。ロシアの武力攻撃が始まらなければ、ショルツ首相がこれほど大胆な対外政策の転換を行うことは政治的に難しかったはずです。

著者の分析によれば、ショルツ政権におけるドイツの対外政策で特に顕著な変化が見られるのは、東欧諸国に対する「東方外交(Ostpolitik)」に関連して実施されてきた「貿易を通じた変革(Wandel durch Handel)」戦略です。「貿易を通じた変革」とは、貿易の拡大を通じて相手国の体制に内側から影響を及ぼし、政治変革を促すことを目指す戦略です。ドイツは軍事的手段に頼った対外政策を避けてきた歴史があり、冷戦が終結してからはNATOに対する依存を軽減することにも取り組んできました。

しかし、ショルツ政権はこの路線を見直しました。著者は、ショルツ政権の下で打ち出されたドイツの新しい対外政策を詳しく評価するため、5つの視点から特徴を評価しています。

(1)欧州統合
著者は「欧州統合は、戦後ドイツ外交の基本となる柱であり続けてきたが、今後もその点に変更はないだろう」と評価しています。ショルツ首相は、EUがドイツにとって「行動のための枠組み」であると述べています。

(2)多国間主義
ドイツの外交は第二次世界大戦の反省から国際法に基づき、国際協調を重視するようになりました。著者は、この要素もショルツ政権で受け継がれていると評価しています。ただし、注意すべきはNATOに対する姿勢の変化です。ショルツ政権は、ドイツの新しい武器や装備が他のNATOの加盟国と互換性があるものにしていくことで、相互運用性を向上させる方針を打ち出しました。それまでのドイツの多国間主義は軍事的領域における国際協調を念頭に置いたものではありませんでした。

(3)抑制された指導力
これまでのドイツの外交では、国際社会で強いリーダーシップを発揮することをためらってきました。「ドイツがリーダーシップを発揮するのをためらうのは、財政的、経済的なコストがかかるだけでなく、軍事的な介入が必要な場面で戦死者を出すことも考えられるためである」と著者は説明しています。このような伝統的な特徴はショルツ政権の新政策の中でも残されており、それが積極的な対外政策を推進する上で一定の歯止めとして機能しています。

(4)東方外交
ドイツの対外政策の転換で最も変化が大きかったのは対ロシア関係でした。冷戦後のドイツは自らを西側の一部として位置づけましたが、同時にロシアとの関与を深めることで、民主化を促していく「通商を通じた変革」を採用するようになりました。ドイツはロシアとエネルギー貿易を中心に、さまざまな経済協力を推進してきました。しかし、「2022年のウクライナ危機は、ドイツの東方外交を完全に壊滅させた」と著者は述べています。今や「通商を通じた変革」は機能しないと見なされるようになっています。著者は、もしかするとショルツ政権の政策変更はドイツの対中国政策に影響が及ぶ可能性もあると指摘しています。

(5)非軍事的対外政策
第二次世界大戦の反省から冷戦期の西ドイツでは軍事力を対外政策の手段として使用することに対して根強い反発がありました。この反発は冷戦が終わってからも続き、2001年以降のテロとの戦いでもドイツは軍事的な貢献を可能な限り抑制してきました。著者は、ショルツ首相がこの路線をまったく正反対のものにすることはできなかったとしつつも、ショルツ首相の新しい対外政策は「冷戦後の平和な欧州というドイツの夢と、平和主義の終わりを示す意味合いがあった」とも述べています。ドイツは引き続き軍事的手段の使用を避けるはずですが、国防予算は引き上げられ、兵力運用に関する政治的な制約は緩和されるものと考えられます。

著者は、ドイツの対外政策の変更が外交史における転換点となることを予見し、次のように述べています。

「さらに重要なことは(注:ショルツ首相の)転換期(Zeitenwende)が意味しているのは、中欧において大規模な戦争は不可能であると考え、ドイツ軍を強大にし、防衛能力を高めることを追求してこなかった時代は終わったということだろう。軍事的手段は外交政策の考え方でさほど重視されておらず、特に欧州に関しては明確に位置付けられてこなかった。今やショルツ首相は軍事的安全保障が極めて重要であること、ドイツは自国と欧州の自由を守るために、より多くのことを行わなければならないことを確認している。このためには犠牲と多額の資金が必要となるだろう。さらに、外交政策に軍事的視点を取り入れることをほとんど拒絶してきた従来の対外政策のあり方を、真剣に考え直す必要もあるだろう」

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