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メモ ソ連軍は米軍の潜水艦発射弾道ミサイルをどう見ていたのか?

前回の記事(なぜ潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)が抑止に役立つと考えられているのか?)で、ソ連軍の弾道ミサイルの脅威に対応するため、アメリカ軍が潜水艦発射弾道ミサイルを使った抑止戦略を模索するようになったことを紹介しましたが、ソ連軍はこれにどのように反応していたのでしょうか。

1962年に出版され、1963年に改訂された『軍事戦略』は当時のソ連軍がアメリカ軍の抑止戦略をどのように認識していたのかを知る上で興味深い資料です。この著作は国防省監察総監だった軍人ワシーリー・ソコロフスキーによって監修され、15名のソ連軍人が編集に参加しています。党の公式な見解に沿った内容であることが推察できるため、当時のソ連軍首脳部の状況認識を示していると考えられます。

ちなみに、日本でも1964年に訳書が出ているので、日本語で読むことも可能です。

この著作では、ソ連として第三次世界大戦がミサイルを用いた核戦争になることが予想されており、最も重要な軍種として戦略ロケット軍が位置づけられています。戦略ロケット軍は、1959年に創設されたばかりのソ連軍の軍種で、弾道ミサイルをはじめとする核戦力を運用していました。

社会主義国家であるソ連の立場として、あらゆる戦争を階級闘争として捉えていました。そして、社会主義の陣営と資本主義の陣営が対立することは階級闘争として必然的なものであり、それが武力戦に拡大することになれば、世界を巻き込む大規模な戦争になる可能性が高いと予想されていました。この戦争を遂行する基本的な方法として位置づけられているのが核弾頭を搭載したミサイル攻撃であり、戦争では最初の一撃で大勢が決すると考えられていました。

『軍事戦略』は長期戦を完全に想定から除外しているわけではなく、人員や資材の予備を残しておくことにも配慮しています。しかし、全般としては短期戦が発生する確率の方が高いため、短期戦で勝利を収める手段に重点が置かれています。具体的には敵の軍事的、経済的な能力の根源である都市部を破壊し、国家と軍隊の組織を壊滅させ、戦略核兵器や軍隊の主要部隊を撃滅することが可能な核戦力が重視されており、具体的には戦略ロケット軍の大陸間弾道ミサイル、戦略爆撃機、そしてミサイルを搭載した潜水艦が重視されていました。

もし局地戦争になった場合には、攻撃目標を敵の部隊や施設といった軍事目標に限定することも想定していますが、その場合でも出力が小さな核兵器を使用することはあり得ると記されています。そして、いったん戦場で核兵器を使用する状況になれば、交戦国はそれぞれ核兵器を使用することを強いられるため、局地戦争が世界戦争に拡大していくだろうと予想されています。いずれにしても、ソ連軍の戦略構想において核ミサイルが極めて重要な位置を占めており、この考え方が海上戦においても反映されていました。

海上戦でソ連軍が目指していたのは、敵の海上戦力を撃破し、海上交通路を破壊することですが、沿岸部の攻撃目標に対して核ミサイル打撃を加えることも考慮されていました。『軍事戦略』によれば、ソ連軍が最優先で撃破すべきは、アメリカの空母打撃部隊を撃破することですが、ソ連海軍の最重要課題として、アメリカの原子力潜水艦との戦いが挙げられています。

潜水艦発射弾道ミサイルを搭載している原子力潜水艦は恐るべき脅威と位置付けられており、これと戦うための戦力としては、潜水艦、航空機、駆逐艦(および対潜戦闘能力を有するその他の水上艦艇)、哨戒ヘリコプターが挙げられています。ただし、戦時に原子力潜水艦を撃破するためには、戦時にこれらの戦力を運用するだけでは不十分です。なぜなら、原子力潜水艦を捜索するためには多大な労力と時間を要するので、平時からその動向を組織的に監視し、追跡することが必要だからです。

このような記述が盛り込まれていることからも、この時期にソ連が潜水艦で互いの動向を探り合う情報戦で優位に立つことの重要性をはっきりと認識していたことがうかがわれます。ただ、1960年代にソ連海軍は潜水艦の分野の技術開発でアメリカ海軍に大きく引き離されました。1961年にソ連海軍は最初の原子力潜水艦K-19を就役させていますが、この艦は同年に事故を引き起こし、現場で対応にあたり、放射線に被曝した複数の乗組員が死亡しています。

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