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メモ 大英帝国の覇権を支えた海底ケーブル

19世紀から20世紀の初頭まで続いたイギリスの覇権国としての地位は、一般的に海上戦力を中心とするシーパワーで維持されていたと考えられています。しかし、この海上戦力を地球規模で運用する上でイギリス人が情報の重要性をいち早く認識し、電気通信の研究開発を推進していたことにも注意が向けられなければなりません。電信は国際通信の分野で特に重要なテクノロジーであり、海底ケーブルがその通信路の構成に大きく貢献しました。

19世紀の後半に海底ケーブルの重要性が増すにつれて、その保護が国際政治の問題となりました。1884年では国際的ルールの整備が模索されており、海底電信ケーブル保護協定(Convention for the Protection of Submarine Telegraph Cables)が署名されています。この協定の表向きの目的は海底ケーブルを国際的に保護することでしたが、フランスやドイツは、戦時に敵国の通信を遮断する目的で海底ケーブルが切断される事態を予防し、通信インフラを中立化することを狙っていました。しかし、イギリスは交戦国として行動の自由を制限することに反対し、戦争状態においてイギリスはこの協定が存在しないものとして行動することができるという解釈を主張しました。これは当時のイギリスは海底ケーブルの軍事的な重要性を認識し始めていたことを伺わせるものです。

イギリスにおいて海底ケーブルの敷設に大きな影響力を持っていたのはイギリス海軍でした。イギリス海軍は1880年までに自国の重要な海上交通路に沿って海底ケーブルを敷設しており、ケープタウン、シンガポール、香港、ハリファックス、ジブラルタル、マルタ、アレキサンドリア、アデンをロンドンと接続する通信路を構成することに成功していました(Hezlet 1975: 9-10)。イギリス海軍は、これだけ大きな通信システムを構成するだけでなく、断線が発生したときに迅速に復旧するための海底ケーブル敷設船を多数保有していました。19世紀後半に世界各地で植民地の獲得競争を繰り広げていたフランスでさえも、イギリスの海底ケーブルを使用しなければ、本国と植民地との間で連絡をとることが難しい状態でした。

イギリスは敵の情報通信を遮断する作戦も実施しています。1914年8月4日、ドイツがベルギーに侵攻したことを受けて、イギリスはドイツに対して最後通牒を送りました。8月4日の深夜に最後通牒の回答期限が過ぎると、ドイツの国際通信では次々と障害が発生しましたが、これはイギリス海軍のケーブル敷設船テルコニアがイギリス海峡でドイツが植民地と連絡をとるために使用していた5本の海底ケーブルをすべて切断したために生じたものでした(Andrew 1985: 87)。ドイツの海外植民地はアフリカ、アジア、太平洋に点在していたので、その通信施設は同じく海外に植民地を多数持つイギリスとフランスから執拗に攻撃されました。

イギリスが世界規模に海底ケーブルを敷設できたのは、その海上戦力によって海を制することができたためです。そのため、イギリスの覇権が海上戦力によって支えられていたという見解は間違っていませんが、その優位性に情報通信の側面があったことを考慮する必要があります。

参考文献

Hezlet, A. R. (1975). The Electron and Sea Power, London: C. Davies.

Andrew, C. (1985). Secret Service: The Making of the British Intelligence Community, London: 

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