見出し画像

米国で定評ある情報戦の教科書『インテリジェンス』の紹介

情報(インテリジェンス、intelligence)とは、安全保障の領域において、状況判断や意思決定に有益な知識を収集、分析、評価、配布する組織的な活動であり、または、その成果物をいいます。20世紀の国際政治では、政府の一部門として情報機関を置くことが常態になっており、冷戦期のアメリカとソ連は激しい情報戦を繰り広げました。

マーク・ローエンタールはアメリカの情報機関の一つである中央情報局(Central Intelligence Agency; CIA)の長官補を務めた実務家ですが、コロンビア大学やジョンズ・ホプキンス大学で情報に関する講義を担当したこともあります。彼の『インテリジェンス:機密から政策へ(Intelligence: From Secrets to Policy)』は教育の経験をもとにした著作であり、情報戦の教科書として定評があります。翻訳されていますので、日本語でも読むことができます。

第1章 「インテリジェンス」とは何か
第2章 米国インテリジェンスの発展
第3章 米国インテリジェンス・コミュニティ
第4章 マクロ見地からのインテリジェンス・プロセス―誰が、何を、誰のために
第5章 収集と収集方法
第6章 分析
第7章 カウンターインテリジェンス
第8章 秘密工作
第9章 政策決定者の役割
第10章 監視と説明責任
第11章 インテリジェンスの課題―国民国家
第12章 インテリジェンスの課題―国境を越える問題
第13章 インテリジェンスをめぐる倫理および道徳上の問題
第14章 インテリジェンス改革
第15章 諸外国のインテリジェンス機関

まず、著者は情報とは何か、なぜ我々は情報機関を必要とするのかという問いかけから始めています。情報は情報資料(インフォメーション、information)と似て非なるものです。

情報資料は、私たちが知り得るあらゆる知識を含んでおり、それは意思決定に役立つものもあれば、役立たないものもあり、正確なものもあれば、不正確なものもあります。情報とは、何らかの要求に答えるために、絞り込まれ、慎重に検討され、また加工された情報資料によって構成されたものであり、政策決定者の意思決定を改善するように設計されたものをいいます。

ある意味で、私たちは意思決定のたびに情報活動を行っているといえるのですが、著者は政策立案と情報活動を切り離しておかなければならないと説明しています。もし政策立案と情報活動が切り離されていなければ、特定の政策を実施するために有利な情報ばかりが報告され、政策決定者に都合が悪い情報が不当に軽視される情報の政治化が起こるためです。情報機関は政策決定者を支援する役割を果たしつつも、一定の独立性を備えていなければなりません。

情報活動は段階的に進められます。第一に、限りある人員、労力、資源をどのような情報の獲得のために割り当てるべきかを決定する情報要求の段階があります。意外に思われるかもしれませんが、著者は政策決定者は自分がどのような情報を必要としているのかを知らないことが珍しくないと述べています。

そのため、情報機関の側が政策決定者と対話を重ねながら情報要求を特定することもあります。この際に考慮すべきは、重大性が大きく、かつ可能性が高い事象に関する情報要求を優先すべきという原則であり、また突発的な事象に即応して情報要求を大胆に見直すことも行われます。

情報活動の第2の段階では情報収集が実施されます。情報収集は、情報資料を手に入れるための活動です。著者は、一般的により多くの情報資料を入手できればできるほど情報収集としては成功していると見なされているが、必ずしもそうとは言い切れないと説明しています。なぜなら、価値が乏しい情報資料が大量に手に入ったところで、そこから導き出せる情報が優れたものになる保証はどこにもないためです。

著者の見解によれば、情報収集で直面する典型的な問題は、どれほど多くの情報資料を手に入れることで満足すべきかを決定することです。また、どのような方法で情報資料を手に入れるかを決めることも情報収集の課題であり、地理情報を駆使する方法から、スパイを使用する方法、信号情報、公開情報を使用する方法などがあります。

次の第3段階は情報分析です。情報要求に応じて情報資料を精査し、必要な情報を導き出す過程ですが、この際に注意すべき問題として鏡像効果(ミラー・イメージング)があると著者は指摘しています。鏡像効果は、情報活動の対象となる国家、組織、個人が自分にとって慣れ親しんだ動機や意図に従って行動しているはずであるという思い込みです。

冷戦時代にアメリカの一部の研究者はソ連の内部に強硬派と穏健派が存在すると想定していましたが、これはアメリカの政治を基準にした鏡像効果だったと著者は批判しています。ソ連にアメリカの政界のような強硬派と穏健派の対立状況があることを裏付ける情報資料がなかったにもかかわらず、それを当たり前のものだと想定して情報分析を行っていました。

最終的に仕上がった情報は政策決定者に配布されることになりますが、この段階においても考慮すべき問題があります。例えば、著者は情報に含まれる不確実性をどのように伝えるべきかという論点を取り上げています。どのような情報活動でも情報要求を完全に満足させるような情報が出来上がることはほとんどありません。

さまざまな不明点が残された情報となることが当たり前であり、また曖昧さが含まれることも多いので、その不確実さを正しく伝えることができなければ誤解を招きかねません。著者は実務的には担当者が自分の判断に対して抱いている確信の程度を高度、中度、低度に分けていることを紹介しています。

低い確度しか持たない情報を報告することは情報活動として適切ではないと思われるかもしれませんが、敵国が戦略的な奇襲を加えることが予測されるような場合であれば、問題が多い情報源から得た情報資料に基づく情報であっても報告すべき事態も想定できます。

著者は、これ以外にも情報機関が秘密工作をどのように実施しているのか、政府や議会が情報機関をどのように統制しているのか、情報活動に伴う倫理的な問題にどのようなものがあるのかといった論点にも踏み込んでいます。教科書として過不足がないバランスがとれた内容であるだけでなく、実務を長く経験してきた著者だからこそ分かる情報機関の内実を記述している箇所が多いことも魅力の一つであると思います。

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。