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通信制大学で小説を書くということ

きのうは通っている通信制大学の卒業研究(小説)の、さいごの口頭諮問だった。

2年間かけて、文芸コースの先生方に見守られながら、同じ小説を書いてきた。でもずっと書いているわけじゃなくて、ふつうに日々を過ごしながら、仕事をしたり、ほかの勉強もしたりしながらときどきその小説の世界に行って、出たり入ったりしながら書いてきた。

わたしはじぶんのドレスの仕事のことをベースに小説を書いていて、わりと最初から書きたいことがハッキリと決まっていた。テーマも。

でもじぶんでテーマを掲げておきながら、途中からなんだかよくわからなくなってきて、担当の先生に何度も相談に乗ってもらった。教員相談のしくみがあるのでもちろん利用して大丈夫なのだけど、さすがに最後の最後の提出ギリギリまで相談していたのは今年はわたしだけだったそうだ。(てことは毎年何人かはいるのかな?)

結局最後まで悩みに悩んでは書き直し、ラストもごっそり変えて、どうにかやっと書ききって提出できた。なんかみんながよく言っている「登場人物が勝手に動いた」という現象は、けっきょくわたしは最後まで体験できなかった。ふつうにめちゃくちゃ悩んだ。

ただ、小説世界とじぶんの日常がリンクしていくような不思議な体験を、この小説を書いていた2年間で何度も味わってきていた。それはじぶんのことをベースに書いているからかな、と思っていたけど、もしかしたら「もうひとつの世界」がどこかに存在しはじめていたのかもしれない。

諮問はすごく緊張したけど、「論文研究のころから2年間みてきているから、最後は読んでいるんじゃなくて、いっしょに書いているような気持ちになった」と主担当の先生がおっしゃってくださり、へー、そんなものなのかー、と思ったつぎの瞬間に猛烈な勢いで「さみしい」という感情がやってきた。もうみてもらえないんだ!

ほんとうに書き終えたんだなあ。てことはわたしはあの世界にもう戻れないのか。もちろんそれでいいんだけど。現実のこと、じぶんの仕事、じっさいの場所を書いていたとしても、やっぱり小説で書いたものは現実とはまったくちがう、愛おしいもうひとつの世界だった。

もし、今後なんらかのかたちで書き足したり書き直すことがあったとしても、それはもうきっと同じ世界じゃないんだろうな。

そういう意味で「小説を書く」というのはなかなかすごい体験だった。

諮問が終わって、2人の「同期」の学生さんたちとラウンジで待ち合わせてすこし話をした。

通信制大学なので、いろんな年代のいろんな人がいて「同級生」という感覚は薄いけど、やっぱり論文研究の合評会でお互いの作品を読んできているので、どこか「同志」という気持ちがある。

2人ともすっきりした〜って顔をしていた。

わたしは学芸員資格のために大学に居残り決定なのだけど、2人は卒業してしまう。(そっちがふつう)

2人とも向学心が高くて、まだまだ学びたいという気持ちなのだそうだ。すごいな。でもたぶんわたしも2年ですんなり卒業してしまったら、そんな気持ちになったかもしれない。

じゃあ居残りも悪くないなあ、と思った。学べる環境がまだ続くことに感謝して、めいっぱい楽しもうと思う。


たくさん話して「じゃあまたどこかで」と解散して外に出たら、たぶん通学部の学生の誰かがつくった雪だるまが、ぽつんと夕陽を眺めていた。

最後にこんな夕陽見たらしんみりするやんか。

まあわたしは最後じゃないんだけどねこれが。それどころかわりかし追われているのだけどね。まずは春期のレポート、がんばろう。

でもきのうはさすがに気が張っていたのか帰ってからはぐったりして何もできなかった。


朝になってきのうの「同期」さんたちと「おたがい引き続き創作がんばりましょう」とやりとりをして、とってもすがすがしい気持ちのきょうの朝。

わたしは卒業式には出ないけど(というか出れないけど)それぞれの場所でがんばっていたら、またどこかでなんとなく会えるような気がする。わたしもそうだけど、たぶん小説を書こうとする人はどこか内省的なところのある人だろうから、これくらいの距離感がちょうどいいなあ。

通信制大学で小説を書くというのはそういう意味ですごくいいかもしれない。

それにしても小説を書くというのは、なかなかすごい体験だった。誰かのためにもの(服)をつくるのとはまったく違う、かと言って完全にじぶんのなかだけの閉じた世界ではない、ことばにした以上、その世界はたしかに身体的に存在している。ちゃんと手で触れられて、音も聞こえて、湿度もあって、匂いがする。その世界をつくったのはほかでもないわたしなのだ。すごい。

帰りのバスの窓から


・きのう読んだ本

柴崎友香『わたしがいなかった街で』新潮社、2012年

わたしが大学の授業で祖父の戦争体験のことを書いたとき、大学の先生からおすすめされた本。戦争と日常。「もしも祖父があの日広島にいたら」「もしも爆弾が落ちなかったら」「もうひとつの世界のわたし」その主題が登場人物の日常の描写のなかでくりかえされる。

それはそっくりそのまま、きのうのわたしとリンクしていた。


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